28.「強引な、そう、これだ」


「うわ、うわうわうわ……」

「驚くのは良いですけど、絶対止まらないでくださいね……はい、数えて……」


そこからは凄惨な光景が広がるばかりだった。ナタリアナやマムからすればただ一定のペースで歩いているだけ。集中している彼のため、アルフにできるだけ思考を割かせないようにする。そうすれば、彼がその魔法によって、襲ってくる魔物達を風で押し潰し斬り刻む。

今まで魔物が死ぬところなど何度も見てきたが、それでも心を揺さぶるほど、風は残酷に、一匹残らずバラバラに、場合によっては死骸すら残らないようなほどに散り散りになって消し飛ばす。血飛沫が少しずつマムを染めていった。恐怖なのか安堵なのか、恐怖にしろ果たして魔物達の力になのか、それともアルフに対してなのか、解らなくなっていく。


彼女を後ろから押すように歩くナタリアナも、意識して現実から目を逸らしている。監視、敵感知、そして遺跡ごと吹き飛ばさないようにする手加減……本来魔法をいくつも同時発動するなど正気の沙汰ではない。それを三つ、しかもそれぞれ制御している彼の集中力、あるいは彼に与えられた力があっての現在だ。固定砲台に徹することで、彼の弱点はほぼ無くなってしまう。遺跡をただひたすら道順に沿って歩きながら、ナタリアナはそんなことを考えていた。


「ひゅっ……」

「うっ……すみません」

「い、良いの……仕方ないし……」


魔物の中に虫型でもいたのか、どろどろとした体液が降りかかる。絞られ噴き出したような勢いのそれはすべてマムの体で受け止める形にはなってしまったが、水滴程度で済んだナタリアナがすぐに毒消しを行う。驚いても歩みを止めないのは、彼女にも冒険者としての経験があるからだろう。声をあげながらも、冷静に前に進んでいく。魔物が引きちぎられ、その悲鳴と轟音に魔物が集まり、それをも蹴散らしてさらに前へ。しばらくすると、集まる魔物もいなくなったのか魔法が止み、少し煙たいような埃の臭いだけが残った。


「……アルフさん?」

「ん……後ろからのも撃退した。前にもいない。そこまで範囲は広げていないが、恐らくこのまま出られるだろう」

「ふぅ……良かった……」


一旦は危機は去り、緊張も少しだけ解ける。まさか四つ目の魔法を扱っていたとは思わなかったが、それをも制御していたのか。まだ彼の底が知れない。考えられるのは……そう、普通の魔法使いと違い、彼は魔法の使い方を知らない。ただ使える魔法が頭に浮かぶのだと言っていた。その分、考えることが少なく複数の魔法を使っても問題が起きないのだろうか。


そんなことを考えながら進んでいく。アルフの提案によりびしゃびしゃとマムが頭から水を被りつつ、少し空気が変わってきた。出口が近い。魔法発動も止みペースを守る必要も無く、少し早足になって抜け出していく。


「……急げ。出るぞ」

「え?」


だが、そんな一行にアルフが呟いた。言葉に疑問を持つ前にまずは速度を上げ、小走りになって進み出す。もう並び順も問題無い。アルフが回復魔法使い二人を背中から押すように促し、外の光が見えてきたところまできてからナタリアナも口を開く。


「どうかしたんですか!?」

「一度感知の範囲を広げたんだが……後ろから何か来ている。かなり速い。急げ」

「は、はい!」


最も足が遅く、最も消耗するわけにはいかないナタリアナに合わせてではあるが、一行は早足で太陽のもとへ駆け出した。ナタリアナ達が入っていった下水からは少し離れた場所の山林の中腹に、石造りの大階段とともに外観が現れていた。まさに先人、魔物の城。古びたそこには歴史がある。とにかく遺跡からは離れ、遺体を安置してバズも剣を抜く。


「に……逃げますか?」

「相手の方が速い。無理をすればできなくはないかもしれないが……まあ、とにかく応戦はしよう」


ナタリアナは定位置につき、地から生やした剣をとるアルフに囁きかける。戦えるのはアルフのみ、普通なら撤退するべきだ。だが、相手の速度が見えているアルフ以上にその判断はできないだろう。全員で走って逃げた場合、回復魔法使いが二人いるのがあまりにも足枷過ぎる。それに、ナタリアナもアルフも、彼の強さを知っている。迎撃するという彼を止めることなく、遺跡からゆっくりと現れたそれを睨んだ。



「……知ってるか」

「いえ……見たことありません……」

「……だろうな」


アルフも本気で聞いたわけではない。もし「それ」に出会ったことがあったなら、ナタリアナがここにいるはずがない。そう確信させるほど、「それ」には物言う禍々しい瘴気と有無を言わせぬ圧力があった。端的に言うのなら、腐った死体と言うべきなのだろう。だが、人間のものではない。もっとグロテスクに巨大な、濁った緑色をした何か。肩までだってアルフの三倍、そして不釣り合いに大きな頭部にはぎょろりと白目を剥いた目が一つだけ、それだけが爛々と輝いている。

のっぺりとした体には何の器官も無く、ただ隆起した筋肉だけが痙攣を起こしていた。どろどろと垂れ下がった皮膚から、何かも解らない何かが垂れている。

「それ」は片手に棍棒を持ち、ゆっくりと日の光の下に歩み寄る。生物とは思えないほど左右非対称な体で、それが当然のようにまっすぐに、アルフに向かって歩いている。深呼吸とともに、彼は「それ」に半身で構えた。


「体液が毒だったりというのもあるだろう」

「毒は私が何とかします……が、あまり効果の高い毒だと私の力が先に尽きてしまう可能性もあります」

「まあ、どちらにせよあんなの浴びるのは御免だ。ちゃっちゃと倒すか」


「それ」が棍棒を振り上げ、少し歩幅を上げながら迫ってくる。アルフは冷静に反動をつけ、剣を振り上げながら飛び上がり、



「っ……と……」


ナタリアナを抱いて、少し斜めに距離をとっていた。


「グオオオオアアアアアアッッッッッ!!!!!」


一瞬遅れて、地の底まで響く咆哮とともに山林が揺れた。振り降ろされた鈍色の棍棒が地面を抉り、ぎろりと「それ」がナタリアナ達を捉える。引きずるようにして、体ごと向き直る。


「じ、時間を……?」

「ああ……だが駄目だ。首を撥ねてしまおうとしたんだが……剣が折れた」

「な……っ」


アルフの持っていた剣が、「それ」の足元で朽ちて土に消えている。確かにそれは短く圧し折れ、「それ」の首には何の傷もできていない。変に剣で戦わない方が良いな、と新しいものは作り直さず、アルフは手を翳す。


「焼く」


アルフの言葉の呼応して、「それ」に向けた腕を巻き込むように、炎が渦を巻き揺らめいた。一気に「それ」の体を飲み込むほど火力を上げて噴き出す。伝わってくる熱にナタリアナは目を隠す。ほんの隙間から見た景色は橙色に染まり、「それ」が炎に押されて下がっていく様子が見えていた。不気味な鳴き声が弱まり、出口まで押し戻されていく。熱風が収まったそこに、火だるまになった「それ」がもだえ苦しんでいた。


だが。


「アルフさん!」

「……火は効かないか。だったらこれでどうだ?」


咆哮一つ、「それ」が棍棒を振り回すと、まとわりついていた炎が消えていく。火種になって木々に火が付き灰になっていっても、肝心の「それ」の体は何も変わらず動いていた。離れた場所のナタリアナにも届くほどの焦げ臭さを漂わせながらも、それでも早足に狙いをつけ迫ってくる。落ち着いてアルフも照準を向け、再び魔法を発動させた。

カッとナタリアナの視界が白く飛んだ。咄嗟に目を閉じてしまうような眩い光と、一秒遅れて溜めたような轟音。日の光が薄くなっている。頭上に集まった雲が、稲光を纏わせて散っていく。「それ」はその場に留まり、バチバチと何かの弾ける音をさせながらスパークをに包まれている。痙攣が止み、振り上げた棍棒も重さに従い落ちていく。


「……駄目か。敵反応が消えない」

「そんな……」

「魔法が効かないなんてことがあるのか?それとも、俺の魔法は実は大したことがない……ことはないか。人間ではどうにもならない相手がいるとか……」

「そんな、かのドラゴンだって人間による討伐報告はあります。もしそれより上なら、人間が会ったことのない魔物ということに……」

「遺跡にいたんだ。その可能性はあるな」


続けて突風が巻き起こる。アルフの左手がナタリアナの肩に回り支えた。


「バズ!離れるか何かに捕まるかしてくれ!」


彼らの方は見ることなく、アルフはロープを彼らに放り投げた。風はさらに音を巻き上げ集まって、吸い込まれそうなほど逆巻く旋風を作り上げる。巻き込まれて吹き飛ばされないようにナタリアナも彼の腕にしがみつく。それでも足が浮いてしまいそうなくらい、周りの木々も根元を残して圧し折れるものが出てきた。


「斬り刻む」


そして、竜巻は「それ」を飲み込んだ。


破壊音にも似た風の音は「それ」の声すらかき消して、そのまま残酷に肉を無理矢理引きちぎる。アルフの顔が歪んだ。「それ」は風に巻かれて足元しか見えないが、それでも中で何が起きているかは想像に難くない。ついに圧し折れたどこかの木が風に乗って「それ」に突っ込んでいったころ、やっと暴風は止み風が掻き消えた。


だが、「それ」はまだ立っていた。


「き、効いてない……!?」

「いや」


ナタリアナの心に絶望が根差したその瞬間、「それ」が膝から崩れ落ちる。持っていた棍棒が手を離れ、所々抉れ刻まれ、肉とも内臓とも解らないものが破けた皮膚から飛び出て落ちる。咄嗟に口元を押さえたアルフが、しかし警戒を解いていない。じっと睨みながら、小さく何かを呟いた。


「直接の魔法は効かないが、力押しは有効ってところだな……なら、やらなきゃいけないのは物理的に押し潰すような……強引な、そう、これだ」

「何か手が?」

「ああ……風圧で切り裂くのが有効なら、これでいい。見付けた。これで決める」


これまで片手で構えていたアルフが、初めて両手を向けた。これだと言ってから、時間が空く。「それ」が立ち上がり、前方に転がった棍棒に手を伸ばし、その柄に手をかけるまで彼は動かない、しかし次の瞬間、彼が小声で何かを呟いた。


ドグンッッッッ!!!!


「なっ……」


耳が鳴るくらいの爆音。ナタリアナの目の前に、突如として壁が現れた。立っていられないくらいの地鳴りにへたり込んで、一瞬遅れて何が起きたのか理解が追い付いていく。ただの壁ではない。ナタリアナから見えるそれは、側面に切れ込みが入っている。そして、地面が抉れるように掘り返され、いっそ清々しいくらいに四角く、それこそ壁と同じ大きさに陥没していた。


「これ、は……」

「土を操って、挟んだ。本を閉じるみたいにな。敵感知も消えたし……これで良いな」


土が溶けるように消えていった。どろどろの泥に変わって、凹んだ大地に戻っていく。挟まれ押し潰された「それ」は、既に影も形も無くなっていた。ただ、地面に突き刺さった棍棒とそれを掴んだ手首だけがあった。握ったまま落ちない手首にぎょっとするが、敵感知が消えたというならつまり死んではいるのだろう。全てが元に戻ると、不自然に草だけが消え剥き出しになった地面が残された。一歩目が少しふらついた彼に魔法をかける。


「バズ、すまん遅くなった」

「い……や……大丈夫、だ……ありがとう」


折れる寸前と言った木の根元に捕まったままのバズ。ロープで仲間を背負い、マムを抱きしめて風に抗っていた。目の前のものが信じられない、と口を大きく開けたまま、特に消耗した様子もないアルフを見ている。


「下水を見に行こう。鎧はそう流れては行かないだろうし、荷車もある。全部回収して街まで戻れる」

「ああ……は、はは……そうか…………なるほど、そうか……」

「どうした……その、突然危険なことをしたのは悪かった。余裕が無かったんだ」

「いや……良いんだ。助かったんだからな……」


彼はロープを解き仲間を背負い直すと、呆れたように笑って歩き出した。慌ててナタリアナが先導する。遅れてアルフも着いてきた。頭を下げたアルフを止めて、バズは少し早口に言った。


「来たのがアルフで良かった。俺達のこれからも考えて、色々とな」

「……そうか」


少なくともアルフが何も解らず返事をしたのは、ナタリアナにも理解できた。

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