23.「あれは人間ではありません」

「かなり広いんだな」

「広いですか……?三部屋しかないですけど」

「……そんなものなのか」


売りに出されている家にあがる。書かれている通りの三部屋に台所とトイレがあるだけの構成で、部屋から部屋までも非常に近い。さらに一部屋は風呂、一部屋は食事や普段使いにするため実質的な個室は一つのみ。街の家はやはり狭いなあ、なんて嘆くナタリアナの一方で、アルフは満足そうに頷いている。


「これならそこそこ普通に暮らせるだろう。良いじゃないか。ここからなら学校までも最悪歩ける」

「まあ、立地は結構いいですね……えっと……前の人は死亡二人、退去三人です。結構死亡も少ないですね」

「少ないか……?二人だぞ」

「そんなものじゃないですか?」


部屋の壁に貼り付けられたものを読み上げると彼の顔も曇ったが、特にここではいけないという理由は無い。まだ誰も目を付けていないという証拠のそれをもう少し読み進める。代金は少し前のナタリアナからすれば目の玉が飛び出るような値段だが、今となればそう驚くような値段でもない。もちろん、かなり目減りすることにはなるが払えないことはなさそうなレベルではあった。もちろん、アルフより多く貰っている分には手を付けたくないので全額となると少し無茶もあるが。

ただし、それは同時にアルフでも一人で無理が出来てしまう額だということ。少し考えてからナタリアナは笑顔で告げる。


「ところでアルフさん、お金の話なんですが……」

「ああ。そこにいくらかも書いてあるのか?」

「ええ、書いてありますけど……アルフさんはどれくらい払うつもりなんです?それによって私、読みたくなくなっちゃうかもしれません」

「……別に、半々が良いならそうするが」

「話が早くて助かります」


騙すようなことにならなくてよかった、と安堵しつつ、値段を告げる。一瞬驚いたような表情をするアルフだったが、高いから驚いているのか安いから驚いているのかは解らない。ただ、戻って金を払いに行った組合でも特に躊躇なく金を出していたし、恐らくは安いと思っているのだろう。それでもいい。対等になるための第一歩はとりあえずつつがなく進んでいた。



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「……これか」

「ええ。あんまり傷は作らないでね。できれば日没までに運んでもらえると助かるわ。日を跨ぐとなると人を配置しないといけないし」

「……まあ、できるだけ頑張りはしよう」


翌日。早速家を買ったことを報告しに行ったナタリアナ達は、ついでに組合から依頼を請けてカレンの依頼を遂行することにした。ルーカール邸の門前に積み上げられた木材を、少し離れた街まで運ばなければならないらしい。一本一本が人間数人分あるような枝を落としただけの丸太を前に、流石のアルフもうんざりとしながら首を捻っている。

それを少し離れたところで机と椅子を広げ屋外で優雅にティータイムを始めるカレンとナタリアナ、それとお付きのソフィア、遅れて見学に来たルーカール侯爵が見ているという状況。侯爵貴族の前で座っていていいのか、自分も立つべきじゃないのかと震えるナタリアナ。それをうっとりと見つめるカレンという状況から今すぐにでも逃げたい。だが、逃げる足も無ければ一応アルフは仲間である。震える手で注がれたカップを手に取り口に運ぶ。


「カレン」

「はいお父様」

「私は確かに、お前を信頼してこの依頼をお前に一任することにした。だがあれは何だ」

「私が拾った冒険者ですわ、お父様」


少し簡素ではあるがまだ豪華絢爛な服装のルーカール侯爵が是非見てみたいと言って来たのがつい先ほどのこと。ちょうど暇だったらしく外に出て、隣り合って座るナタリアナとカレンの向かいで悠然と腕を組んでいる。そう侮っている様子は無いがその目は懐疑的で、呆れの色も見て取れる。頑なにナタリアナの方を見ようとしないが、それはともかくとして。


「一人じゃないか」

「そりゃあ、もう一人はこちらの彼女ですもの。回復魔法使いに荒事はさせられないわ。ねえ?」

「は……はい……」


切実に、自分に話を振らないでほしかった。数度しか会っていない、娘と仲がいい冒険者が二人で来たらこの反応が正しいだろう。侯爵は考え込んでいるアルフを眺め、用意された焼き菓子を口に入れた。依頼人はカレンとなっているが、実際に金を払うのは彼なわけで、ナタリアナとしても逆の立場なら門前払いしている。そうしないのは、カレンという自分の娘が一切失敗を疑っていない表情で見ているからだ。


「ところでナタリアナ。そろそろ等級は金に上がったかしら」

「え、いえ……まだです。もう少しかかるかと思います」

「そう。こんなに綺麗なあなたが埋もれていたなんて目が付いていないのかしらね、王都の人達も」

「いえそんな……私なんて、彼のおかげでここにいられているわけですから」


その前から悪目立ちはしていましたが、と続けるのは止めておく。アルフが何かを思いついたようにこちらに歩いてきたからだ。流れるような一礼の後、どちらに話すべきかと悩み、依頼主であるカレンの方に話しかける。


「カレン様」

「何?」

「方法を数個考えて参りました。よろしいでしょうか?」

「言ってみなさい」


ん、と顎で示されると、アルフは少しの会釈の後語り出した。普段や侯爵がいなかった時の口調から考えられないほどではある。もっと言うならアルフは貴族ではないのでカレンのことを名前で呼ぶべきではないが、冒険者が仕事に来ていることを考えれば妥当なところだろう。


「まずは私が一本一本運ぶ方法です。当然木材への傷は最小限となりますが、その分時間はかかります。できる限り急ぎますが、何分私もあれだけのものを抱えて飛んだことはありませんので」

「飛ぶ……?」


侯爵がさらに表情を険しくしている。見ていれば解ります、とカレンが黙らせて、続けて、と促す。


「はい。もう一つは、私の使える魔法のうち、物の動きを縛るものがありますので、それでまとめて運ぶというものです。上手くいけば傷もなく、運搬も一度で済みますが、何分手加減が苦手なもので、場合によってはバラバラにしてしまう可能性もあります。風の魔法を使う方法も同様です」

「後は?」

「魔法で槍のようなものを作り出し、突き刺して纏めて運ぶ方法もあります。こちらは運搬が数度必要ですが失敗も考えられません。ただし、すべての木材に一律に一定の穴が開くことになります」

「なるほど……」


意味の解らない方法を持ち出す彼に、侯爵だけが眉を大きく顰めてしまっている。時間停止までできると解っているナタリアナやソフィア、そして契約時にアルフの力について教えられているカレンは平気な顔でそれを聞く。実際には一番確実かつ早く終わるのは時間を止め二本ずつ飛んで運ぶ方法なのだろうが、恐らくそれをやらないのは単に疲れるからだ。一本一本、とわざわざ言ったことからも、それは選んでほしくないという気持ちがひしひしと感じられる。実際重さだけを考えるなら全部まとめて持つことも不可能ではないのだろう。根拠は無くともそう信じさせるだけの経験があった。


「ふぅん。でも傷がつくのは困るわ。一本一本運びなさい」

「…………畏まりました」

「それと助言してあげる。数本まとめて運ぶと早いわよ」

「…………痛み入ります」


だが、そんなことはカレンにも伝わっていたようで、あえなく一番面倒な方法を指定され戻っていくアルフの方が落ちていた。哀れアルフは積み上げられた丸太を一本抜き取ると、そのまま肩に担いだ。


「馬鹿な……なんだ、あの怪力は……」


それを見て、侯爵が大きく口を開けている。長さも太さも上質な立派なものだ。それを右肩に担ぎ、そのまま左手一本でもう一本抜き取って右肩に乗せ。結局両肩で四本を担ごうという時点で、娘に向かって目を大きく見開いたまま向き直る。


「カレン……彼は何者だ……?」

「いやですわお父様。拾ったと申し上げたでしょう」

「そうではない、何者だと聞いているんだ……」

「さあ……何者なのでしょうね?私にも解りません。でも、とっても役に立つでしょう?これで金貨一枚ですよ?安く上がって良いじゃありませんか」

「金貨一枚……だと……?カレン、お前には金貨三枚を渡したはずだが」

「あらやだ」


お父様に叱られますわ、と抱き着かれ、ナタリアナの心臓が止まりそうになる。彼女がどさくさに紛れてナタリアナの胸をクッション代わりに顔を押し当てているのも指摘できないくらいに。ただ、侯爵もそれ以上追及しない。否応にもナタリアナを視界に入れなければならないからか、それとも木材を担いだアルフがそのまま飛び上がったからか。


「何だと……?馬鹿な、そんなはずが……」

「だから言ったじゃありませんか。見ていれば解ると。ふふふ。ああ、本当に幸せです。こんな綺麗な人に巡り合えた上、あんなに強い人も手に入った。そろそろ私のことを認めてくださってもいいのですよ、お父様?」

「ば……馬鹿を言うな、そんな……認められるはずが無いだろう……」

「声が震えていてよ、お父様」


カレンはそのままナタリアナが動けないのをいいことに、椅子をぴたりと隣に着けて寝転がり、ナタリアナの太ましい太ももを枕に見物を始めた。ちらりちらりとナタリアナの方も見てくるがそんなものに反応する余裕はない。無言でカップにお代わりが注がれたのは、ソフィアなりの激励だろうか。侯爵の視線は飛び上がってぐんぐんと消えていく彼に釘付けになっている。柔らかさでも確かめるみたいに頭を跳ねさせるカレンがそれを見て、つまらなさそうに呟いた。


「何だ。結構速いじゃない。あれならすぐに終わっちゃうわね。ナタリアナ、今日は泊っていくでしょ?ね?」

「え、えと、あの……」

「カレン……私にはあれが悪い冗談か、夢にしか思えない……んだが……」

「お父様。こう考えるのです。あれは人間ではありません。少なくともお父様の視点では、彼は人間の形をした何かです。人間ではないものが人間ではありえないことをしている、それだけの単純な話ではないですか?」


否定はできないが酷い言い草にナタリアナの意識も戻ってくる。侯爵の視点では、というのはつまり、カレン視点では解っているのだろう。一度は死にかけたソフィアも解ってはいるはずだ。彼は確かに人間で、人間らしいところも持っている。だが、彼の実力しか見たことのない侯爵は娘のその物言いに唸り、目を固く閉じてカップで口元を隠してしまった。


「まあ、とにかく依頼をしっかりこなしているならわざわざ否定する話でもあるまい……これからは彼に頼める依頼は言いなさい」

「ありがとうございます、お父様。でも、私は彼と個人的な約束をしておりまして……嫁に行ったらそれも途切れてしまうかもしれません……次はどこぞの貴族に拾われてしまうか……」

「…………サハルテ公には私から言っておく。だが、自分の年齢も考えろ」

「肝に銘じておきますわ」


侯爵に見えないよう、カレンは寝返りを打ってから少しだけ舌を出した。可愛い顔をして悪魔のような交渉をするものだ。そこまでして嫁に行きたくないのか。ナタリアナは行くつもりが無いから別だが、彼女はナタリアナより少し若い程度で嫁入りを拒んでいて良いのだろうかと心配になる。彼女の手を引いて自分の頭に乗せ撫でるカレンを見ながら、頭を空っぽにして戻ってくるアルフを見ていた。



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「疲れとか無いんですか?」

「ん……ああ、別に……まあ、気疲れはあるがこれも仕事だしな」


そのままルーカール邸に泊まり、カレンとともに入浴。ナタリアナと違い諸々の身支度がある彼女を待ちながらアルフのいる部屋に戻ると、彼はただ窓の外を眺めていた。彼は集中するとき空の遠くを見る癖がある。「彼女」の監視に全神経を集中させることができてご満悦なのか、ナタリアナが話しかけるまで反応すらしなかった。


「やっぱりおかしな体してますよね……普通の人間は一本も満足には持てないんですけど」

「確かにそうだ。鍛えたわけでもないのにこうなのは俺が一番気持ち悪いと思ってるさ」

「そういう意味じゃないんですけどね。そんなことを言うと私のこれだって別に私が頑張ったわけじゃないですから」

「うん?ああ……そうか……悪いな。大事なのはどう使うかだもんな」

「ええ」


あなたの場合は間違っていますけどね、と内心呟きつつ、ナタリアナはお休みなさい、とカレンの部屋に戻っていくのだった。

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