19.「素晴らしい!素敵なことね」

「俺は前の世界で、ちょっとした事情から嫌がらせを受けまくっていてな」

「…………」

「それを助けてくれたのが彼女なんだ。簡単に言えばな」

「大丈夫?具合悪そうよ、ナタリアナ」


陽が落ち、ルーカール邸。もはや宿屋に泊まる理由も無くなった二人は、当然のようにそこにいた。ルーカール侯爵もその夫人も特に何も言わず、娘が誰かと楽しくしているなら、と受け入れていた。当の本人達の話している内容はとてもマトモではなく、今アルフが珍しく饒舌になっているのも、ナタリアナにとっては地獄にも等しい状況ではあったが。


「彼女は前の世界の時からずっと優しく強い人だったんだ。彼女に何度救われたかは解らない。おかげで最後まで生きていけたと言っても過言じゃない」

「…………」

「だがな、俺は気付いたんだ。結局優しくされた俺が惚れたって彼女に言って、それは迷惑じゃないかってな。だから何も言わなかったし、それから一度も関わっていない。行動だって把握していない。だけどな、何年も経った後、ふと知ったんだ」

「…………」


ナタリアナだけ食事が進んでいない。アルフの話がどう、というのもあるが何より、それ以前に、彼が昼間に見せた言動に吐き気すら覚えていた。


商店に入らず遠巻きに眺める、自分のことを認知されたくない、そんなふうに言ったところからおかしくはあったのだ。認知されないまま、知り合いにならないままどうやって助けるというのか。カレンのように金を持っていて、発言力もあって、というなら話は変わるが、アルフはそうではないし、名声も金も冒険者としてだ。結局世襲である大商人や貴族には勝てないし、ある程度以上の発言権も持つことができない。

だからナタリアナはてっきり、「彼女」を自分達の仲間にしたい、そのために自分の地位を高めておくんだ、そんな理由かと思っていたのだ。彼が言うには「彼女」もアルフに似たような力を持っているという。それなら仲間として一緒にやっていけるだろう。



だが、それは違った。アルフのそれはもっと歪んでいて、気味の悪い行動原理だ。


『あの商人、手違いで冒険者を雇えなかったらしい。危ないところをそれを彼女が助けた……間違いないな。俺のような力を持ってないと、戦い慣れてもいないのに人助けなんてできない』

『え……なんで解るんですか……?』

『会話を聞いているからだ』



だってマトモな人間はそんなことを言わないから。ごくごく当たり前で普通のことで、それに疑問を持ったナタリアナの方がおかしいんじゃないかと思えてしまうほど、ごく自然にそう言ったのだ。



「彼女はどこかで死んでいた。彼女はずっとみんなの人気者だった。周りには人が絶えず、嫌われていたなんて話も聞かない。でも、おかしいんだ。みんな彼女のこと、触れないんだ。あんな素敵な人が死んでいるのに、腫物でも扱うように。彼女に助けられた人だってたくさんいるはずなのに」


止まらず語り続けるあるふ、それをニコニコとしながら聞くカレン、顔を背けたまま戻さないソフィア。この空間は、おかしい。叫びだしたくなるほどの不気味さの中で、それでもナタリアナはじっと話を聞いていた。


「俺は本当に、絶望したんだ。俺はな、社会で誰かの役に立つことが、彼女への恩返しだと信じてたんだ。でもそれも終わってさ。だったら生きていなくても良いだろう?」

「…………」

「ええ、然り。愛する人がいない世界など地獄も同然でしょう」

「…………」

「だから死んだ。だが、気が付いたらここにいた。そして理解したんだ。『彼女』もここにいる。その動きを俺はある程度感じられる。これは運命の赤い糸のようなもじゃないか」

「素晴らしい!素敵なことね」


そんなはずがない、とも言えないのが悲しいところだった。

ナタリアナはそこまで敬虔な信徒ではない。当然神は信じているし癒しの力もその名に恥じぬように使っていきたいと思ってはいるが、それでも教会に入るほどではない。そんな彼女も、例えばこれがお伽噺で、命を救われた人と生まれ変わっていても繋がっていて、その恩を返す……なんて聞いたら、少しは夢のある話だろうと思っただろう。ナタリアナが助けたいのはきっとそういう、夢を見ることのできる人間や子供だった。


だが、実際それが目の前にいるとここまで気持ちの悪いものか、なんて、ナタリアナは自分でも驚いていた。人生で一番気持ち悪いのは自分に言い寄る男と一部の悪徳な貴族だけだと思っていたが、その順位は今覆りそうになっている。


「……でも、別にこっちでは普通に仲良くすればいいと思うのです……けど」

「いや。俺にとって彼女は唯一だが、彼女にとって俺は唯一じゃない。前の世界のことを覚えていてもいなくても、俺のことは覚えていないさ。そんな人間から付き纏われたらどう思う。気持ちが悪いだろう」

「いや、気持ち悪いのはどちらにしても……」

「だが、俺が気付かれなければどうだ。痕跡も残さず、俺が裏で動いていることも気付かせない。これなら大丈夫じゃないか」


控えめに言って狂気としか言いようがない。ずっとカレンが笑顔なのが信じられない。何とか絞り出した言葉も、何の気無しに返されてしまった。ここまではっきりと言い切られると、本当にどうしようもない。もしかして、本人にバレなければ本当に幸せなんじゃないか、と思えてしまうほど、彼の目は真っすぐだった。

と、いやいや、なんて変な考えを振り払う。そんなはずがない。人が人に付き纏って、なんて気持ちの悪い話があって良いはずがない。少なくとも自分がされたら、でもそれは気が付いているから話が別で、いやでも、なんて思考がループする。自分で握ったティーカップが震えていて、口に運ぶのを諦める。


「まずはあの商人を調べる。『彼女』はそこに居候すると言っていたし、恐らくそうギリギリってわけじゃないだろう。しかし規模は大きくはない……何か限定的な技術を持っていると考えるべきか」

「ま、そういう商人もいるでしょう。まあ、役に立つようであれば私も考えていいけれど、そこはあまり期待しないで」

「ああ。まあ、金で解決できるなら解決してそれでいいが……商売ってのはそう簡単じゃない、と思う。貴族が介入した時なり大金が動いた時の影響がまだ計れない」

「そう。ならしばらくは自分で何とかしなさい。依頼の方はもう伝令が行ってるから、少ししたら組合に出るはずよ」

「内容は?」

「確定してるのは戦闘二、回復三。それ以上は知らないわ。半分は厳密な指名ではないけど、まあ今の勢いと場所からしてまとめて請けられると思う」


何度も何度もおかしいと思う反面、話しは進んでいる。彼らに歯向かい、それはおかしい、気持ち悪い、考え直せ、と言うのは簡単……ではないが、不可能ではない。だが、それをする利点が一切無い。

少なくともアルフ、カレンともに、ナタリアナが普通に生きていれば知り合うことのないほどの存在だ。ルーカール侯爵家の人間となれば、たとえ娘だったとしてもその権力は計り知れない。アルフは言わずもがな、お伽噺にでも出てくるような力を持っている。欲のある人間ならいくら大金を積んででも繋がりたい人脈だろう。そこにいるナタリアナは、二人共とナタリアナ有利な話を進めているのだ。


これからだって、少なくとも三件依頼が舞い込んだ。貴族からの指名依頼を立て続けに達成したとなれば、金級だって現実的だ。そうなれば、等級に物を言わせることも可能になる。


(でも……やっぱりおかしい……はず、なのに……)


それを阻むのは唯一、良心だけだ。同じ女性が、付き纏われている。彼女には何の謂れもない範囲で、会話を盗み聞かれ、実質的な監視を受けている。今だって、アルフは何らかの手段をもって遠隔で監視しているのだ。どこまで見ているのか、本人にしか解らないというのも本当に怖い。ナタリアナの心に反して重くもない空気で、アルフは食事を終えてナタリアナに向き直る。


「じゃあ、ナタリアナ。これからの話をしておく」

「は、はい……」

「これから考えられる方向性としては三つだ。もちろん、基本的に俺は彼女の選択肢を尊重する。学校の話はしたし、そうなる可能性が高いとは思っているが、それはあくまで俺の予想でしかない」


三つ指を立て、無表情に戻るアルフ。さっきまで、何か目を閉じて光を思い出すかのように、さも「彼女」に心酔しているかのような話し方をしていたというのに。ここまでなら確かに、ナタリアナになど興味は無いだろう。狂気と呼べるまでに愛する人間がいれば、それは。


「一つ。あのままあの商店で働く。これは正直薄い……とは、思う。俺達は恐らく計算能力はそこそこ高いはずだが、商才などあるはずがない。流石に商売に関わらせるほど優しくはないだろう」

「はあ……」


どうしてその分析力で自分が気持ち悪いと気付けないのか。


「二つ。教育を受ける。これはカレンに何とかしてもらえるし、理由が必要なら適当な困難を用意して、カレンが助けられたことにしてもいい。これはかなり確率が高い……とは、思う。解らんが」


どうしてその行動力を今活かしてしまったのか。


「三つ。そのまま組合に行く。これもあり得ると言えばあり得る。どちらにせよ、こっちの常識を知らないなら力で何とかなる仕事をするしかない。教育を請けないならこっちだろうな」


どうしてその冷静さを自分の行動に向けられないのか。


「他を選ぶにしても……まあ、旅に出るとか言い出すなら少し変わってはくるが、こっちのサポートが無ければ成しえないのは就学くらいだろう。そこで、ナタリアナには彼女が学校に通った時の話をしておきたい」

「……はあ」


とにかく話を聞いておく。まだ、どうすればいいのか解らない。ともかく、この地獄にこれ以上いるとおかしくなってしまいそうだった。カレンに口説かれている方が遥かにマシだ。少なくとも、歪んだ愛を見せつけられるよりはいくらかまっすぐに好意を伝えてくれる。


「もしそうなったら……ナタリアナ。その学校に通ってほしい」

「ひゅっ」


だが、そんな考えもアルフの提案に濁る。


「が、学校に通うんですか……?」

「ああ。姿を丸ごと変えて、彼女に接触してほしい。あの商店いるのは世話になっている女性だ。ナタリアナが初めての友達になればかなり深い仲になれる……可能性がある」


どうして最後不安げになってしまったのですか。そんなことを言う余裕すらないほど、ナタリアナの頭が熱を帯び始めた。胸が跳ねあがるように気分が高揚していく。学校に行く。そんなのってない。ナタリアナは村の生まれである。読み書きは両親が教えてくれたが、それは学校ではないし、友達もできなかった。


「姿を……変えて……?」

「ああ。体の一部を変えることはできないが、丸ごと別人のように見せることはできる。見つけた。見たことのある人間にしかなれないが、それでもナタリアナのままより良いだろう」

「学校に……行くんですか……?」

「ああ。まあ、現役のナタリアナが行って何があるのかは解らないし、こっちの依頼との並行になるから忙しくはなるが」


そんな馬鹿な話があって良いのか。だってナタリアナのこれまでは、そんなことなんてなかったし、今だって友達なんていないのに、いきなり学校で、自分の友達が、なんて。


「なる……ほど……」


言わなければならない。アルフは狂っているし、自分の心はそれには加担できないと言っている。聖職者ではない程度の倫理観でも、彼がおかしいとは解っている。


「そうですね……」


彼女が可哀想だとか、女として許せないとか、そんな感情にぐちゃぐちゃにされて、ナタリアナはゆっくりと呼吸を繰り返し、一度目を閉じ、顔を塞いでから静かに呟いた。



「……姿、ソフィアさんとかになりますかね?」

「まあ……知らない人間の姿は借りられないし、事情を話すのも面倒だしな。その辺になる」

「……友達になって、何をするとかは……」

「別に、基本的には仲良くしてくれればいい。危ないことがあっても友達として以上には止めなくていいし、俺は友達が少ないからよく解らん。好きにしてくれ」



「…………入学の手続き、進めておきます」

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