18.「そんなことをする必要が無い」
何も聞けないまま日が沈み昇り、ナタリアナはげっそりとして朝食をとっていた。原因は他でもない、カレンがナタリアナ達に全面的に協力してくれると言った一日、ずっと口説かれ続け、あまつさえほぼ強制的に彼女とともに寝ることになってしまったからである。手は出されなかったものの、アルフのように自分を眼中に置いていない相手でも緊張するところ、相手がカレンとなればそれもなおさらである。立場としても友人としても下手に刺激したら不味い人間なのだ。性的なことをしたら大声で助けを呼びます、と宣言したことで露骨にはされなかったが、これくらいなら全然普通よ、と押し切られ最終的に抱き着く寸前まで行ってしまったのはナタリアナの油断である。
とはいえ、本当にそれ以上はされなかったあたりまだマシではあったのかもしれない。一晩中口説かれるくらいのことは前例が無かったわけではない。まだナタリアナが若く、アプローチを受け続けるくらいでチームに慣れるならと考えていた頃だ。
「……どうした、ナタリアナ」
「別に……何も怒っていませんけど」
「そういうのは怒っている奴しか言わないんだ」
「はあ、本当にどんな顔をしていても可愛いわね……」
それに、隣に座るアルフがいる。少し見上げると何が問題かを理解していないような顔をして、既に食べ終わっていた。少し声をあげただけで彼が飛んできてくれる……はずだ。やり方は解らないが、彼がそうすると言ったからにはそうするのだろう。流石に屋敷側から彼の部屋はかなり遠くに飛ばされてしまったが、それでもできないことはやるとは言わない。やり方があるからできると言ったのだろう。
「で、アルフさん。件の彼女はどうするんですか。今日王都入りするんですよね?」
「ああ。ちゃんと確認してその動向を探る。何かトラブルに遭ったら場合によっては助けなきゃならんからな」
「……王都、結構人の出入りが激しいんですよ?それで見つかるとは思えませんが……」
「見つかるさ。俺はそれを感じることができる。絶対に見つかる」
ぞく、と背中に冷たいものが走ったような気がする。一瞬、ほんの一瞬だが、彼から、何か薄気味の悪いものを感じた。彼の表情にも、目にも、何ら変化はない。その言葉だけがどうにも気持ちが悪い。隠すために水を一気に飲み干し、視線を逸らした。やめよう。彼に協力すると決めたのはナタリアナだ。それで助けられたことだってある。奇妙な関係だが、それでも一緒に居続けるだけの理由がある。
すぐに注がれた水にお礼を言うことも忘れそれも飲み干す。前から注がれる熱い視線すら気にならないほどに、ナタリアナは隣を恐ろしく感じ取っていた。
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「よし……ここだな。ここからなら全て見える」
「……あ、あの、じゃあ行ってきますけど……だ、大丈夫なんですよね……?」
「大丈夫だ。何かあったら呼んでくれ」
朝食後。アルフが飛べば王都に戻るのは一瞬だ。少しくらい限界を見極められるようになってきたことに喜びを感じつつ、彼が降り立ったのは王都正門を臨むことのできる建物の屋根だった。不可視化の魔法を見つけたということで、全く問題なくただの民家の屋根に問題無く居座ることができている。ナタリアナは組合へ、アルフはこのままここで「彼女」を待つらしい。
まだ一人で行くのに臆病なナタリアナは再度彼に救援の確認をして単独行動を始める。呼べば来てくれるという確約を得て、じっと王門を眺めるアルフから離れていく。
(どんな人なんでしょう……やっぱり綺麗な人なのかな……女の人って言ってたし、言い方からして年下かな……)
組合に向かいつつ、彼が探すその彼女について考える。大した話は聞いていないが、こちらの世界に来て云々をアルフには聞いている。つまり、その前。アルフが前の世界にいるときからその人のことが好きなのだろう。なるほど、刺さる人には刺さりそうな恋愛小説のような想いの強さだ。もっともナタリアナには刺さってこないが、否定するようなものでもない。
癖になった裏道を進み、曲がるときも人目を気にしてしまう。人目に付かない歩き方が体に染み込むまで過ごして、そんな感傷は消えてしまっている。感情の機微というものが薄い……少なくとも、アルフの事情よりも自分の事情で動いているくらいには、そう彼女は考えていた。
(仲間になるなら魔法使いが……でも、その人も戦いには慣れていないはずだし、いっそ回復魔法が使えて、アルフさんにもっと頑張ってもらった方が依頼成功率は上がるかも……戦えるなら攻撃魔法使いでも……)
こうしてその人間のことを考えるのも、結局はナタリアナがこれからやっていくうえで、恐らく仲間になるであろう「彼女」と上手くやっていけるかが不安なだけだ。できれば彼は手放したくはない。アルフと「彼女」がどうなろうと、わざわざ見せつけてでも来ない限りはナタリアナが気にすることは無いし、祝福して終わりにすればいい。組合の扉を開きながら、彼女はかなり楽観的に考えていた。
結局、何も無いならナタリアナの扱いも変わらないし、わざわざナタリアナを切り捨てる意味も無いだろう。彼がナタリアナに望むのはこちらでの常識と並外れた回復魔法の出力だ。後者はともかく前者はよほどでなければ代わりは利かない。カレンだって冒険者の常識に詳しいわけではないし、ナタリアナのことをえらく気に入っている。
(まあ、こ、これくらいなら……大丈夫、ですけど……)
それは実際のところ、ナタリアナへの好意を利用しているようなもの、もっと言うならナタリアナの存在を交渉に使われているようなものだが、それでもこれまでよりマシだし、カレンは口説くのにも無理やりではなかった。ひたすら褒めつつ、自分と一緒になることのメリットを説き、ナタリアナが眠いと言ったら引く。褒められること自体は決して嫌ではないのが彼女の本質でもあった。
「すみません、依頼達成なのですけど」
「はい、お疲れさまでした。では手続きの方致しますので少々お待ちください」
こうして受付にすら体をじろじろと見られるより、よほど楽でいい。今のところ、ナタリアナの人生は右肩上がりなのだ。止める必要など無い。そう思い直し、彼女はさらに強くローブを巻き付け胸を引っ込めるように少し屈んだ。
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「あ、おーいアルフさん、今戻……おっとっとっとっ」
「お帰り。来い」
受付を済ませ報酬を貰い戻る最中、アルフが道を歩いていた。話しかけると、短く言ってナタリアナの手を引きそのまま歩き続ける。まっすぐ、どこか前の方、ナタリアナが今まで歩いてきた方を向いていた。
「ど、どうしたんです?」
「彼女だ。今追ってる」
「あ、見付かったんですね……え?追ってる?」
別に、話しかければいいのでは、なんて思いつつ、手を振り払って隣に並ぶ。「彼女」を追っているからか、普段より歩くのが格段に遅い。是非これからもそうしてほしい、とは思いながらも、一応身を隠した方が良い、と小声になっておく。何か、「彼女」に見つかるわけにはいかない理由があるのだろうか。
「どの人ですか」
「ん……少し距離はあるが、見ろ、ここから見える行商馬車のうち、手前から一、二……四台目だ。その隣に着いて歩いているのがいるだろう」
「んー……流石に少し見づらいですね……でも何となく、確かに女の人っぽいような……」
アルフの言う先の方を見るに、確かに行商馬車には似つかわしくなく、馬車の真横を大した装備もない女性が歩いている。戦闘用の装備はある程度のものなら遠くからでも見えるが、それがその人間には無い。護衛の冒険者なら両脇に着くはずだがそれもない。
見ろ、とアルフがナタリアナの頭に手を当てた。その瞬間一気に視界が歪み、遠くが鮮明に映りこんでくる。思わずふらつき立ち止まるが、アルフは構わず背中を押して歩かせてきた。
「こんな魔法もあるんですか……?」
「あった。正直どんな魔法が使えるかは日々探してるから俺も解らないんだ」
「見付かればそのうち攻撃から身を守るような魔法も使えるようになるんですか?」
「それはここに来てすぐ探した。頭をピンポイントで守るくらいしかできん」
「そう……」
解っていたことではあるけれど、と再び前を見る。あまりこの視界でいると頭がおかしくなってしまいそうだ。早く終わらせなければならない。さっきまで辛うじて軽装備だということが解る程度だった彼女の容姿がはっきりと見えてきた。
身長はナタリアナと同じくらいだろうか。アルフと同じ真っ黒な髪はめったに見ない。それを背中まで真っすぐ伸ばしている。少し膨らんだ長い髪はとても綺麗で、歩幅と風に揺れて流れている。顔は良く見えないが、横顔からするとかなり整っているのだろう、とは思う。アルフが着ていたような、豪華でもないが質素でもない、真新しい服だけを身に着けている。一人であk集うしている冒険者としてもあまりにも荷物が無さすぎる。なるほど、アルフの同類だ。
「もう大丈夫です、アルフさん」
「見えたか」
「はい。彼女……何故行商馬車と一緒にいるのでしょうか……?」
「さあな。だが、彼女も俺と同じような力を持っているはずだ」
「何故解るんです?」
「何となくだ」
「彼女」のことだけ雑じゃないか、とは思うが、そういえば連絡も何もしていないのに七日後だと断言していた。そのまま歩いていくと、行商馬車はどこかの商店の前で止まる。すると、彼女が馬車の周りを歩き、荷下ろしを始めた。
「……あの行商馬車と仲良くなっているんでしょうか?別の世界からここに来たなら冒険者でもないでしょうし、商人に弟子入りするとも思えないですし……」
「まあ、そうだろうな。俺もそう詳しくはないが……商人と絡んでるってことは何か利になることをしたか、よほど優しい人間に会ったかだろう。それならそれでいい。一人で来た時のことも考えていたが、もう少し様子を見よう」
馬車も止まったので歩みを止め眺める。視界は戻っているが、馬車から降りてきた人間がいるのは解る。商人らしくやはり重装備は着けていないが……その商人の男性が、一緒に荷下ろしをしつつ何か話している。ナタリアナも王都についてそう詳しくはなく、その店が何なのかは解らないが……それでも、小さいところではあるのだろう。「彼女」はともかく商人馬車に冒険者の護衛が着いていないことなどほとんどない。よほど貧乏なのだろうか。もしくはどこかの山村に行っていて、何らかの要因で冒険者が帰りに着いてこられなくなったとか……
しばらく見ていると荷下ろしも終わり、商人の男性が頭を下げている。そして、二人で中へと入っていった。
「……ひと段落着いたみたいですし、私達も行きましょう」
「待て、彼女の能力が正確には解らない以上、もし不可視化が見抜かれたら困る。少し離れていても俺は確認できるからな」
「え?いや、不可視化も何も別に普通に声をかければ良いじゃないですか。別に何があるわけではないんですから……」
「いや……突然知らない人間が話しかけたら困るだろう」
「……はい?」
アルフはゆっくりと近付いていきつつ、そのまま壁に寄りかかってその商店を眺め始めた。知らない人間、と言った彼に、何の躊躇いも見られなかった。これまでと同じように、それが当然のことのように彼は言ったのだ。
「し、知らない人……?いやでも、その、アルフさんは彼女のことを知っているんですよね……?」
「ある程度は知っている。細かくは知らないが……これから知っていくことにしよう」
「だ、だったらその、なおさら行った方が……これから助けていくんですし、しっかりアルフさんのことを知ってもらわないと……」
「何を言っているんだ……じゃないか。ナタリアナは話を聞いてなかったんだったな」
アルフは店から一切目を逸らさないままに、ぼそぼそと呟くように話した。
「俺みたいな人間が彼女に認知されるわけにはいかない。そんなことをする必要が無い」
ひ、と喉の奥で声が鳴った。体が震える。彼の目が一切変わらないことに、ナタリアナはまた恐怖を感じていた。
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