15.「それはアルフさんだけです」
夫人への報告も侯爵への挨拶もつつがなく終わらせた二人はもう一泊を丁重に断って王都に戻ることにしたのだが、帰りの馬車はどうもお互い何も言えず、そこからそこそこの宿に着いて寝るまでひたすらに無言で終わらせていた。原因となったナタリアナもそれを止められなかったアルフにも、何を言う権利も無いと自身が解っていたのだ。
そして翌日。食事をとって、三人は組合の受付に詰め掛けていた。
「あ、ナタリアナさん!どうでしたか?」
「あ、これ、依頼達成です……」
「良かった……今手続きをしますね!そちらの方もパーティーなら……」
「いえ、私は違いますので結構です」
「そうなんですか……?」
奥に引っ込んでいく受付嬢。一晩明けてもう普段と変わらないまでになっているアルフ、まだ顔に憂鬱が染み出ているナタリアナの隣には、さらに一人増えていた。
銀髪を肩で揃え、アルフと同じようにほとんど表情を変えることなく背筋を伸ばして立っている彼女は、屋敷から監視役としてそのまま着いてきたソフィアである。是非王都にもいつもの給仕服……エプロンドレスで行ってほしいという主の懇願を命令を跳ねのけシンプルなドレスに身を包んでいる。貴族というには少し装飾が少ないものの、しかし平民というには生地も作りも普通ではない、そんな普段着の彼女はやはり目を引く。女性陣へ向いているのか、二人を侍らせている形になっているアルフに向いているのかは解らないが、彼女も愛嬌こそないが目鼻立ちはくっきりとしているしスタイルも良い。王都に来てからは少し落ち着かない様子の彼女だったが、少し経つと慣れたのか今は平気な顔で立っている。
彼女の主から流れ流れ回ってきた報酬を受け取り、アルフに渡して配分させている間に。ナタリアナは受付に手を付いて彼女を見やった。
「それで……?検討した結果はどうだったんです?本来から離れた依頼を請けたわけですが」
「ええ、もちろん検討は致しましたよ」
「それでどうなったんです?」
どうせ昇級は無いだろう。組合はこれでも頭の固い組織だし、そうでなくては困る。別にナタリアナも死にたいわけではない。
だが、アルフの戦闘力は少なくとも鉄級の器ではない。経験が重要な職だとは解っているが、あまりに上位だと他の鉄級に失礼だ。それに、回復の依頼だけでも等級が高い方が良い依頼がある。
希望は薄いがとりあえず言ってみるだけ言ってみる、そんなナタリアナだったが、受付嬢は
笑顔で依頼書を取り出した。
「暫定的に、次の依頼を昇級依頼とすることで決定しました。ですので、こちらを請けていただきます」
「……え?正気ですか?」
あっけなく差し出されたそれに、確かに書いてある。内容自体はそう大したことのないものだが、銀級まで飛べることが明記されていた。つい本音が漏れてしまうが、それを聞いても受付嬢はなんて事の無いように続ける。
「事実としてこの前の一件でかなり評価が上がっておりまして。むしろ問題になっているくらいなんです。ゴーストにやられて瀕死の人間二人を救える人材が埋もれているとは何事だ、とか、依頼遂行の速さからしても普通ではない、と上から怒られまして」
「い、いえしかし……」
「ナタリアナさんについては唯一の問題としてはあなたには仲間がいなかったことだったんですが……それも解決した今、鉄級に留めておく必要もありませんからこういう措置となりました」
嘘でしょう、とは言いたいところだが、書類上嘘をついても彼女らには理は無いし、昇級は望むところである。アルフは勝手に依頼を請けても問題は無いだろうのでそれを請けて、そのまま組合を後にする。いつにも増して周囲を警戒し人通りの少ない路地裏に来てから、アルフに事情を説明していく。本来冒険者等級の昇級、特に銅と銀の間には試験があり、戦闘能力や知識、実績、パーティーのバランスなど勘案して決められるが、それを飛ばすだけ何故か評価が上がっているということを告げるが、彼はやはり事の大きさを理解しないままに呟く。
「そうか……それなら好都合だ。早速それを履行しよう。戦うのか、回復するのか」
「戦闘です。距離としてはこの前より倍遠いくらいですかね」
「まあ……日帰りで行けるだろう。相手がよほど面倒でなければな」
首を回し肩を竦めるアルフ。彼ならこのまま今から行っても問題なく帰ってこれるだろう。たった三度の依頼でナタリアナの信頼を上げた人間はやはりレベルが違う。ナタリアナにできないことは基本的に彼ができる。その逆も多いが、それはそれで嬉しくもあった。
「ソフィアさんは……着いてきます?」
「……仕事としては、まあ着いていかなければならないのでしょうが……私、正直戦闘能力は無いです。簡単な魔法くらいなら使えますが、日常生活以上に使えるものでは……」
「アルフさん、どうですか?」
「まあ……守れるとは思うし、連れていくのも大丈夫だ、一人も二人も変わらん」
「大丈夫ですか?私、結構重いですけど……」
「ナタリアナの方が明らかに重く見えるが」
「あの、事実でしょうけどそんなにはっきり言うのは止めませんか?私も一応傷付くんですけど」
それに、重いのは別に太ってるとかじゃなくて程よく肉が付いている方が健康的って言っていたからですし、なんて言い訳をしつつ、一行は街の奥へ進んでいく。精霊を捕まえに行った時の反省を生かし、より目立たないように移動するためである。言わなかったが、ナタリアナの重みは彼女自身が忌み嫌うところでもあった。露骨に目を逸らし始めたソフィアに文句を言うわけにもいかず、そのままアルフに抱えられる。
「良いですか、絶対加減してくださいね。速すぎたら駄目ですよ」
「解っている。ナタリアナに気絶されたら俺が困るんだ、ちゃんと手加減はするさ」
元々背中にくっつくのは邪魔なものがあって無理があったナタリアナは、身を縮めてアルフの右腕へ横抱きにされる。荷物を体で挟むようにして、出来るだけ小さく丸まる。地図は入念に読み込んで、途中で迷わないように。
「そんなに速いのですか?いくら何でも馬車の方が速いのでは……」
「ソフィアさん、今何を言っても良いですけど、飛び始めたら絶対に口を開かないでください。何なら猿轡でも買って着けておくと舌を噛まずにいられていいかもしれないです」
「何を言ってるんですか……?」
ナタリアナに比べて小柄なソフィアは左腕に、こちらは首に捕まるように抱き着き、その荷物をアルフが自分のと合わせて背負う。まだ恐怖を知らない彼女が恥じらいを見せ抱き着きが甘いので、ナタリアナが本気で睨む一幕もありつつ。
「良いか、飛ぶぞ」
「絶対!絶対にゆっくりですよ!」
「いえ、ですから急ぎたいなら馬車を」
「ソフィアさんは死にたくないなら目を閉じて黙っててください!あっほら、う、浮き始めた!もう喋らないでくださいね!舌噛んでも治療しませんよ!」
「いや、そんな、」
ナタリアナの剣幕に流石にソフィアも呆れたところで、がつんと殴られるような圧力が彼女達を襲った。慣れていないソフィアがいるからという気遣いと、倍の距離があるなら急がなければ、そんな二つの感情のなか発揮されたスピードに負け、ナタリアナは空中で吐いた。
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「おぇ……うぐ……ば、馬鹿……アルフの馬鹿……」
「あ……あ……」
依頼は、とある遺跡の最深部にある扉の調査となっている。ただし、ナタリアナの考える限りこういった場所の調査というのはつまり、そこにいる魔物の駆除と同義である。ただ標的を決めるとその分多くの冒険者に頼むか、途方もない頭数になるのでぼかしているに過ぎない。
そんな事情から基本的には銀級、踏破具合によっては金級に回される可能性も低くない依頼で、早速ナタリアナはバテていた。
まだ口が酸っぱくて、アルフが湧き水のように少しずつ生み出す水で口を潤し、完全にダウンしてしまっているソフィアに軽くだが回復魔法をかけ続ける。気を失っていない、戻していないだけ彼女の精神力は窺えるところだが、それにしても地面に横たわることを何とも思っていない程度には余裕が無さそうだ。
「すまん。まだ足りなかった。急がなければと思ったんだ」
「別に……良いじゃないですか、最悪一泊でも……私、キャンプを張るくらいできますよ……」
「悪い。まだ野宿する決心がつかない」
「それで私が死んじゃったら意味無いんですけど……!」
「急ぎ上手くなるから勘弁してくれ」
ソフィアの復帰を待ってから、三人は遺跡の中へ入っていく。調べられている範囲では罠などは無く、魔物の掃討もかなり進んでいる。一番倒れてはいけないナタリアナが真ん中、自分の身を守れるアルフが最後尾、そしてソフィアが先頭だ。盾にするようだが、前からはともかく後ろから襲われる方がアルフにとっても守りにくい。
「迷路にでもなっているのか?」
「いえ、基本的に一本道……分かれ道はありますけど、間違っても大して問題なさそうです」
「そんなものなのですね」
「もう少し危険度が高いとそういうのもあります……というかそういうのがあるから危険なんですけどね」
「それはそうだ」
遺跡の中は薄暗く、ソフィアとアルフが火を焚き続けてどうにか普通に歩ける程度だ。肌寒いし足元はぬかるみやがれきで悪いが特に危険があるわけではない。表層から人間の前にわざわざ出てくるような知能の低い魔物は既に駆逐され切っているのだろう。あくまで今回言い渡されたのは遺跡最深部の扉の調査。つまり、そこにいる遺跡の守りをどうにかしろという意味になる。
「……これは?」
「右です」
「こっちは」
「これも右です」
これまで調査してきた冒険者達が作り上げた地図を頼りに奥へと進んでいく。少しずつ光が無くなっていき、アルフが火力を上げるとそれに伴いソフィアの魔法がかき消えた。
「何だ?どうして消えた?」
「ああ……申し上げました通りあまり魔法は得意ではないので、ここからはもう少し近付いてもよろしいですか?」
「……マナ理論、話しましたよね、アルフさん。火の魔法はマナに火をつけるものなのですが、それに伴ってある程度たくさんのマナを集める必要があります。同種の魔法は影響を受けやすいんですよ」
「そうなのか……まあ、俺の知っている火とは違うだろうし、そんなものか。流石に別の魔法を使うぞ。さっき照らす魔法が見つかった」
アルフに体を寄せたところで、彼は手を翳し魔法を発動した。一瞬だけ火が消え光が消え、次の瞬間には辺り一帯を謎の光が照らした。
「これは……」
「よし。これで良いはずだ。魔法の効果は……まあ、光らせるってことしか知らないが。これだけ効果範囲が広いんだ、追加効果があることは……いや、デメリット効果がある可能性はあるな」
「私はここまで範囲の広い魔法は知りません……ですが、光の魔法は反動や付随効果も少ないかと思います。光のマナは太陽から無制限に供給されていますし、無くなっても人は生きていけますし」
驚くほど遺跡の全てが明るく照らされている。少し眩しいほどに目を細めるくらいに壁と天井が光り輝き、見回してもその光の終わりは見えない。呆気にとられ目を丸く開くソフィアの肩を押し前に進みながら壁の隙間や蔭まで見ても、どこまでも光に満ちている。自分達の影すら見えないほど全方位から照らされていた。
ソフィアにどんな説明をするべきか……そう考えているうち、その扉は現れた。
「……これですね」
「なるほど……さもこの中に何かありますと言っているようなものだな」
それは人二人が縦になっても入り切れる大きさで、横にもかなり広い。石でできた扉をどんどんと叩くと、砂埃が舞いその歴史と頑丈さを思わせる。とにかく開けてみたらどうだ、とアルフに促され、早速押してみるもびくともしない。アルフに頼むと彼が片手を当て、そのまま力を込め始めた。
「開いてます開いてます。その調子です」
「結構軽いな」
「それはアルフさんだけです」
ズ、ズ、ズ……と地面を引きずり扉が開いていく。その瞬間。ヒュ
「……っ、は、ふーっ……危ない……」
ンッ、バチンッ!!とどこかから音がした。ふと気が付いたナタリアナは、いつの間にか地面に倒れている。見上げるとそこにはアルフが彼女を庇うように控えていた。ナタリアナの隣にはソフィアも転がされている。彼の視線を追うと……少し先の岩壁に刺さる二本の鏃が。すぐに思い当たる。罠だ。油断していた。狙われたのはアルフかナタリアナか、それともソフィアか。それは解らないにせよ、扉を開けることか、あるいは扉の前に一定時間いることで発動する罠の存在に思考が行き着く。
「……反射で時を止める魔法を発動させるのは必須だな、これは」
「……す、すみませんありがとうございます、油断してました……」
罠感知の魔法を探すアルフの後ろで、ナタリアナはなぜ自分がそれを思い当たらなかったのか後悔しつつ、今度こそ頑張らなければ、と決意を新たにしていた。
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