13.「あなたが、可愛いということよ」

「こんにちは。昨晩はよく休めた?」

「ありがとうございます、ルーカール侯爵夫人。とてもよく」

「そう。それは良かった。ごめんなさいね、変に待たせてしまって」

「いえ、依頼ですから」


翌朝。変に早く起きたナタリアナはアルフを待って、ソフィアの案内で身支度を済ませて朝食を取り、夫人に呼ばれて私室に赴いていた。一晩で洗われたナタリアナの服は綺麗に乾き、少しだけ落ち着かない。アルフのそれは元々真新しかったこともあり大した変化は見られないが、それでもしっかり洗われているのだろう。


部屋に無いって来た夫人は、少し目や頬に老いが見られる妙齢の女性ではあった。だが、くたびれてはいない。座り姿にも温和な笑みにも瑞々しさすら感じるほど力に溢れている。三人の侍従を侍らせて静かに紡がれる言葉にも重みがあった。


彼女がルーカール侯爵夫人である。大したことはナタリアナも知らないが、普通の女性が侯爵家に入れるわけがないことくらいは知っている。彼女もまた貴族なのは間違いない。適当に挨拶を流し、一息ついてから依頼書の控書を取り出した。


「それでは侯爵夫人。早速ですが依頼の方を」

「ええ。回復が使えるのは貴女?」

「はい。私です」

「そう。頼みたいのは私の娘のことよ」

「娘さん」


ええ、と侯爵夫人は少し伏し目がちに肩を竦めた。効くと、彼女の娘が五日ほど前から激しく咳き込み、簡単な運動でも息が切れてしまうほど消耗しているらしい。

その症状自体はよくあるものではあるだ。やはりまだ医者に治せるものではない。流行り病とは言われてはいるが、人にうつったというのも聞かない妙な病気の一つである。依頼では謎の病気になっていたはずだが、それを言ったところでその方が質の良い人が来ると思ったと言われて終わる。嘘をついたことを平然と笑って受け流す夫人に辟易としつつも、ナタリアナは


「……では、生まれつきではないということですね」

「やっぱり生まれつきだと治せないのかしら?」

「そうですね、やはり生まれつき……その病気が無かった段階の体の記憶が無いと厳しいようです。怪我も病気も、生まれつきだと……」

「そう……ついでにもう一人頼もうとしていたのだけどね」


私も回復魔法の全てを知っているわけではありませんが、と続ける。今回の症状にしろ、場合によっては生まれつき発症していることもあるらしい。ナタリアナでなければと思われたくはないが、彼女に通じるだろうか。

それはしょうがないわねえ、なんて呟く夫人に一安心しつつ。早速とばかりに昨日の女性が部屋に入ってきた。昨日と違って侍女服ではないのは、結局侍女ではないからだろうか。


「では、彼女に。あなた達は煙草の用意をしなさい」


侍女の一人が出ていき、夫人の横に女性が座る。彼女の分の報酬が出るのか聞かなければならないが……ただ、それを割り込んで言う度胸が無い。ナタリアナは心の底から謝りつつ、隣に座りこれまで一切話さなかったアルフの太ももを突いた。


「ん……ルーカール侯爵夫人。失礼ですが、我々……彼女はこれを食い扶持としていますので、是非ご一考頂けませんか」

「もちろん、治ればそれは払うわ。少し少なくはなってしまうけれどね」

「……助かります」


恭しく頭を下げたアルフに感謝しつつ、回復魔法を手に宿すナタリアナ。回復魔法の消耗はどれだけ対象が死に近いかによって変わる。彼女は何か急いでいるわけでもなし、大した消耗もなく治せるだろう。こういう仕事を昔からできればそれで良かったのだが、それも辿って行けばアルフの力でもある。回復の灯が彼女に入っていき消えると、戻ってきた侍従が彼女に煙草を差し出した。


「失礼」


口元を押さえて顔を逸らすアルフ。煙草をくわえ火が付いて煙が燻った。ふう、と煙を吐き出してしばらく深呼吸を繰り返す女性の息に妙な音はしない。ナタリアナは魔法使いであって医者ではないが……それでも、わざわざ煙草を用意し吸わせたということはそういうことなのだろう。ほっとして座り直し、夫人に問いかける。


「どうでしょう?」

「うん……まあ、良いでしょう。では確認だけれど、前金に銀貨五、十日後に銀貨十が依頼報酬で、では……彼女の治療費として即金で銀貨二くらいかしら」

「え……え、そうですね……」


弱った。相場など解るはずがない。等級銀の依頼ならばと考えるより先に、銀貨二枚がかなりの額であることに思考が眩んでしまう。ナタリアナがやったことは確かに治療と考えれば貴重な力の行使ではあったが、労力を考えれば大したことでもないのだ。ちらりと相棒を見てもじっと口元を隠しているだけ。当然だ。彼はお金の価値を知らない。悩んだ末ナタリアナは首を縦に振った。それが正解かどうか、わざわざ言ってくれるような人間はここにはいない。



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「失礼します、お嬢様。冒険者の方がいらっしゃいました」

「入っていいわよ」


娘をよろしく、と話し合いは締められ、今度は娘の部屋に連れていかれる。変わらず案内をしてくれるソフィアに着いて入った部屋は、今日泊まった部屋と変わらない内装をしていた。ベッドだけ窓際に寄せられ、一人の少女が座っていた。先の母親とは明らかに目の色が違うが、もちろんわざわざ反応はしない。侍女が後ろで見ている中、ここでも前に出るのはもちろんナタリアナ。


「失礼します。冒険者、回復魔法使いのナタリアナと申します。こちらは仲間のアルフ」

「こんにちは。さあ来て。ここに来ているということは、ちゃんと治してくれるのでしょう」

「全力は尽くします」


自分はやることがないので扉際に控えるアルフ。侍女と並んでこの家にでも仕えているかのような態度で動かない。ナタリアナ一人で彼女に治療を施そうと手を翳す。


「では、参ります……」

「……あなた、凄いのね」


大して集中するほどのことでもない。すぐには終わるが、まじまじと褒められれば悪い気はしない。ふふん、と誇りたいところだが、残念ながら努力で得た力でもない。


「いえ、癒しの魔法は神の与えてくださったものです。私は何も……」

「いえ、そうではなくて……あ、どれくらいかかりそう?」

「……はあ。いえ、もう終わりです。実際魔法は一瞬で終わりますので……」


凄いのねえ、なんて、令嬢は美しい顔を綻ばせた。ナタリアナより少し若いくらいだろうか。これくらいの年齢であれば、貴族は既に結婚相手が決まっているのだろう。少なくとも彼女の容姿なら妻としての価値は非常に高く見える。ナタリアナほどではないが、若くして可愛さではなく色気に手をかけているというのも珍しい。不敬なのを承知で、これくらいならもうちょっと楽に生きて来れたのかな、なんて考える彼女の腕を、令嬢は微笑んだまま掴んだ。


「え」

「失礼、ナタリアナさん。私が凄いと言ったのはね」

「は、はい」


一瞬にして、ナタリアナの本能が逃げろと叫び出した。これまで培ってきた、いや、培わざるを得なかった観察眼と聞き察知能力が警鐘を鳴らしている。ふとアルフに視線を向ける。通じて!なんて助けを求めるも伝わるはずがなく、むしろ隣のソフィアが何事かと目を見開く始末。ナタリアナではそう振り解くこともできないし、できたとして貴族令嬢にそんなことをするわけにはいかない。何をされるのかと身を縮込めたナタリアナをゆっくりと手元まで引きずると、少し間違えれば唇が触れるような距離にまで来てからゆっくりと薄い唇を開いた。


「あなたが、可愛いということよ」

「……えっ、あ、いやっ……」


大きな碧の目が真っすぐにナタリアナを見つめていた。見目美しい彼女の目に宿る、明らかな欲情の炎。もう片方の手が脇の下から背中に回り、さらに距離を詰めようとしているのを感じて、咄嗟に相棒に声をあげる。


「アルフさん!」

「ほら」


その瞬間、ナタリアナは令嬢ではなくアルフに抱かれていた。あからさまな位置の変化は、彼が時間を止めたことによるものだろう。驚きの余り飛び退いた侍従ソフィアを見て、自分の危機といらぬ混乱とどちらが大事かほんの一瞬だけ考えた。自分の危機だ。ありがとうございます、とだけ小声で言って彼の後ろに隠れる。


「あら……?ううん……ああ、もしかしてあなた達ってそういう関係なの……?」

「……何のつもりです?」

「求愛に裏があることはないでしょう?貴族だからといって常に腹芸をしているとでも?」

「いや……だったらなおさら……」

「あなたも……こんなことはおかしいと言うの……?」


変な刺激の仕方をしてしまったのかもしれない。ナタリアナはアルフの後ろから顔を出したまま、いつ逃げるのか必死に考えていた。部屋から出るのは容易い。しかし、彼女にしっかり魔法を施したことを報告してもらわねばならない。

そもそも、顔も名前も所属も覚えられているのだ。下手に逃げて、理由をでっちあげて呼び出されれば今度こそ逃げられなくなる。所詮ナタリアナは平民、対等でいられるのは冒険者としてのみだ。


「おかしくはないが」

「だったら良いでしょう?それとも本当にあなた方は男女の関係なの?」

「違う……が……」

「今の、魔法?もし心配ならあなたを……ああ、冒険者を雇うのは問題よね……一度私からも依頼を出すから、不慮の事故か何かでこの家のものを何か壊さない?そうすれば裏から手を回して……」

「待ってくれ。何を言っているのか本当に解らない」

「そんな難しいこと言ったかしら……とにかく、彼女の姿をもっとよく見せて?」


ひえっ、なんて情けない悲鳴が漏れた。笑顔にここまで圧力を感じたのは初めてだ。壁がアルフで良かった。彼は貴族を知らないゆえに、目の前の彼女をただの少女としてしか見ていないのだろう。ナタリアナは今にも腰が抜けてしまいそうなのに。


「そ……ソフィアさん、あの、彼女は何を……」

「お嬢様、その、口説くのならばもう少し丁寧に、優しく接して差し上げないと」

「ソフィアさん!?」


彼女側の人間にも助けてはもらえない。いよいよ部屋を出るしかないかとナタリアナはアルフの背中を叩き少し距離を取った。彼が時間を止めて運びやすいように体をまっすぐにして、アルフさん、もう部屋を、と続けようとして、後ろでかちゃん、と鍵のかかる音がした。


「内鍵か」

「あら、気が利くわねソフィア」

「お、お手伝いしますので、これでもう私はお役御免ですよね?」

「うーん……たまにはソフィアみたいな素朴な感じの子も良いのよね……」

「ひぇっ」


鍵が開いた。扉をソフィアが乱暴に開き走り出していく。これ幸いとアルフが手を引いて駆け出した。


「待ってください、ちょっとっ」

「待っても何もあんなに話が通じないことがあるか?信じられん」

「私も信じられませんけど、あの、これどこに向かってるんですか!?」

「解らん、彼女に着いていっているだけだ」

「あの、ソフィアさん!どこに走ってるんですか!?」


早足で屋敷内を進みながら、先を行くソフィアは少しだけ振り向いた。動きを止めることはないが、その顔はうって変わって焦りに満ち満ちている。


「私は侍女室に向かっています。来ますか?少し落ち着くまでお嬢様には近付かない方が良いかと思います」

「落ち着くってどれくらい……?」

「まあ、あれで元々病弱な方ですから、寝てしまうまでですかね」

「夜までってことじゃないですか!」


そうですね、なんて部屋に入っていくソフィアを追ってそこに入る。これまで入った部屋とは違って設備が少しだけ荒い。扉を閉めて鍵も閉め、誰より早く座る彼女を見ながら二人も席に着く。背もたれに強く寄り掛かったソフィアは目を覆い、机に突っ伏した。


「あの……彼女は何を言ってるんですか……?」

「……すみません、お恥ずかしい話なのですが……お嬢様は大の女好きでして」

「……はあ」

「本来もうとっくに嫁に行かれているはずなのですが……向こうの侍女達が好みではなかったと断固拒否を繰り返しております」

「……そんなに貴族ってのは自由なのか」

「そんなわけないじゃないですか」


申し訳ございません、ソフィアはそう言っておもむろに立ち上がると、そのまま緩慢とした手付きでお茶の用意をし始める。手際は良く進んでいるが、彼女自身は落ち込んでいる様子でカップを配る。


「そろそろお嫁に行ってもらわないと困るのですが……困ったことに私を気に入っておりまして……私、ここを離れるわけにいかないのですが……」


ともすれば自慢にすら聞こえそうなそんな言葉にも、ナタリアナは深く共感してうなだれていた。

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