12.「野宿でも同じことが言えますか!」

「では、何かありましたらそちらのベルでお呼びください。入浴と食事はどちらが先がよろしいでしょうか?」

「……アルフさん?」

「別に、どちらでも」

「えと……食事で」

「畏まりました」


通された部屋は王都でも最高級、もしかするとそれ以上に豪華かもしれないと血の気が引くようなものだった。広い部屋を適当に使う、贅沢に無駄にするという強い意志を感じさせる部屋に大きすぎるベッドが一つ、それから壁際に大量の家具と調度品が溢れている。丁寧に頭を下げて出ていったソフィアに思わずナタリアナも頭を下げ、それから部屋の真ん中の席に座る。

アルフはどこ吹く風で棚に入った古びた本の数々に目をやっている。平気な顔でどうせ読めないものに着目した彼に、ナタリアナは突っ伏して声をかけた。


「すっごいですね……ちょっと気持ち悪くなってきました……私、殺されたりしませんかね」

「あるわけないだろう」

「いや、それはそうですけど……アルフさんは緊張しないんですか?」

「俺からすれば少し古めかしい豪華な部屋、くらいの感覚だ。感覚としては骨董に近いな。生憎美術品の価値は解らないから、そこまでは」

「……少し羨ましいです」


実際の価値を知らないのはナタリアナもそうだが、やはり貴族という肩書に委縮してしまうのが当然の平民なのだ。もちろん、気に入らないからと言って平民を殺すような暴君、あるいは馬鹿は実際にはいないのは解るが、それでも怖いものは怖い。


「それにしても、どうして同じ部屋に通されたんだ?ベッドも一つだ」

「まあ、そういうものだと私は聞いてます。冒険者は貴族の家に泊まるとこうなるんだそうです」


パラパラと埃っぽい本を捲りつつ、アルフの視線は外に向いている。寝床が一緒なくらいでいちいち文句を言うような人間は冒険者としてはやっていけないが、彼もまったく気にしていないようで何よりだ。入浴も恐らく同時だということも言った方が良いだろうか。


「別に部屋は余っていそうだったし、別室でもいいとは思うんだがな」

「さあ。監視か何かじゃないですか?何かあった時に一つの部屋にいる方が都合が良いとか?」

「なるほどな……」


程なくして、再びソフィアが現れた。食事の用意ができたらしい。この部屋で食べても良いとのことなのでそれを選ぶと、すぐに食事の乗ったプレートが運ばれてきた。乗っている料理こそ大して変わったものではない。明らかに高級と呼べるようなものではないが……特筆すべきはその量である。明らかにナタリアナ……女性が一食で食べきる量ではない。出会ってからほとんど変わらず無表情を貫いているアルフからも、目に見えて動揺が伝わってきた。


「ちょっと……これ、アルフさん……」

「いや、待ってくれ、俺もこんなには食えん……」

「でも、残したらまずいですよ……」

「まあ、それは、まあ……」


ソフィアの退室と同時にこそこそと話し始める。無理だと断じるアルフに人間味を感じつつ、結局食事は彼が食べ切ることとなった。全てが終わった後のアルフはいつにも増して死んだ目を半分閉じて、ぐったりと動かなくなってしまっていたという。



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「あぁ……どうしよう……!」


そしてその時がやってきた。食事が下げられしばらくして、ソフィアが入浴を勧めてきたのだ。当然のように二人揃って案内され、浴場に置いて行かれる。貴族ならここから介助の一つでも挟まるのだろうが、お願いだからただいるだけでもいてほしかった。アルフは広い風呂にかなり喜んだ様子で勇んで入っていき、脱衣所に取り残されたソフィアは頭を抱えていた。


(ぐ、ぐぐぐぐ……)


もちろん、彼が出るのを待ってというのも選択肢ではある。しかし、見たところ出た後の着替えは用意されていない。脱いだ服は持っていかれてしまったし、入浴中に容姿しようとしているのは明白だ。すると、二度手間を踏ませることにはならないだろうか。そもそも夜も遅い、掃除の手間もある。何より、部屋は同室でも拒否しない、というのがある以上、風呂も同時でも拒否してはいけない可能性は大いにある。言われた通りに行動する方が平穏に終わるのだ。

それは解っているが……それはそれ、これはこれ。そこらの村娘よりは擦れているとは思うが、それでも会って数日の男と二人で風呂に入れる女がいるはずがない。


一応あと一枚までは脱ぎ捨てた自分の体を眺める。腹を見下ろせないほど育ったそれは、いっそ清々しいほどに布を押し上げて格好をつけている。何がそんなに誇らしいのか生まれてこの方常に上向きにつんと膨らんだそれを、場合によってはこれから晒さなければならなくなるわけだ。それに、それを何とかすればいいという話ではない。少し高めだが男性よりは小さい背丈、微妙に幼さを残しながらも子供ではない相貌、すらりと適度に太く伸びた手足、きゅっと芯の通った背筋、そして胸と同じように大きく膨らみながらも下を向かない尻……全部を晒す必要がある。同じ空間にいて入浴して、ずっと隠し続けることも出来まい。そのまま倒れこむ。


「うああああ…………」


床を小突きちらりちらりと浴場を見やる。もはや彼がナタリアナを意識することはないとほぼ確信できている。それに、ナタリアナは彼は同性愛者ではないかとも疑っているのだから、ためらっているのはむしろ彼女がアルフを意識しているのと同義になってしまう。彼に助けられたと言ってそんなことは断言できるし、仮にそうだとしてそれで自分が折れるのは少し腹立たしい。


「ナタリアナ?」

「は、はい!どうしました!?」

「すまん、すぐに出るから待っていてくれ。もう体を洗って終わりだ」

「え、い、いや……うぅぅ……」


中から呼びかけられる。扉の向こうにわざわざ来てナタリアナに気を遣っている。彼が入っていった時間からして、浸かることもなく一度戻ってきているのだろう。なぜ気を遣っているかって、それはナタリアナが女だから。冒険者として仲間になっているのに、それを理由に気を遣わせて、あまつさえそのせいで彼が風呂に浸かることすらできないことなどあって良いのか。

ばん!と強く床を叩き、ナタリアナは立ち上がって扉に向けて叫んだ。


「今入ります!浸かって待っていてください!」



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「…………」

「…………」

「……いや、その、ナタリアナ……」


私は何を言っているんだ、と後悔したのが数秒後。しかし、どうあれ言ってしまった以上入るしかないし、入らなければ彼は出てきてしまう。せめてもの抵抗に早足で洗い場に向かい、そそくさと出ていこうとしたアルフを何故かきっと睨んで引き留めて。丁寧に洗ってもそう時間がかかることではなく、そこそこ広いとはいえ同じ湯船に二人は浸かっていた。


「……無理をするな。顔、真っ赤だぞ」

「お風呂に入っているのですから真っ赤に決まってるでしょう」

「そういうレベルじゃないが」


案の定、強く意識しているのはナタリアナだけだ。最初こそ一瞬体の方に視線が向いたような気がしないでもないが、それをナタリアナがちゃんと認識する前に既にまっすぐ目を向いていた。

むしろ、ナタリアナの方が彼のどこを見るべきか解らず目を逸らし続けている状態だ。


「そもそもがおかしいんだろう。男女関係なく風呂なり寝室を一緒にするのはやはりおかしい。屋敷の人を待たせたくないのは解るが、それなら俺がすぐに出れば」

「そうは行きません。私のせいで一方的に不公平を強いるなど」

「いや……今俺がナタリアナに無理を強いているんだが」


断じて意識はしていない。していないが、果たして彼の方を向いていいのか悩んでいるナタリアナもいる。ここに生まれ変わってからなのかそれとも元からなのか、ほどよく筋肉が浮き出て発達した体に感嘆で目が行ってしまう。かなり鍛えられているが傷が無い肉体というのは基本的に希少だ。これまでも何度か一方的に見たことはあったが、筋肉はあれど古傷の一つや二つはあるのが冒険者としてはむしろ当然だった。


「大丈夫です、それとも私、出会って数日の男性を意識するような軽い女に見えますか」

「見えないが、実際出会って数日の男と風呂に入るのも相当だぞ」

「アルフさんがこちらを意識しなければ間違いは起きませんから……」

「……いや、まあ……俺がマトモな頭を持ってたら危なかったんじゃないか」


大きく上を向いて体を浮かべるみたいにアルフに頭を向ける。長い髪が広がって顔が熱くなった。マトモな頭とは、と聞くと、彼は何てことないように答える。俺に好きな人がいなかったらってことだ、と。それを聞き、ナタリアナは慌てて飛び起きた。足が滑り顔から湯船に沈み込む。今度は彼に足を向けてしまっていることも気にせず、ナタリアナは顔だけで振り向いて彼を指さした。


「え……好きな人がいらっしゃるんですか……?」

「え……いや、最初に話しただろう、好きな人がいるからその人の役に立ちたいんだと……聞いてなかったのか?」

「……男が好きなんじゃないんですか……?」

「いや……そういう奴もいるんだろうが……俺は別にそうでもないぞ。好きな人は女だ」

「ふーーーーーー…………死にたい……」

「ええ……?」


ゆっくりと水をかいて彼から離れていく。どこまで行っても透明な湯船で障害物も無ければ逃げられないが、できるだけ離れていく。流石に意味が解らないのだろう、首を傾げるアルフに、ナタリアナは自分の体を抱きしめて顎まで沈み、ばしゃばしゃと水面を荒立てて視界を切った。


「騙されました……絶対そうだと思っていたのに……」

「え?い、え?ごめん、本当に意味が……あ、いや、ナタリアナが何を言っているのか……」

「良いです解らなくて……アルフさんは悪くないので……」

「そうなのか……」

「でもそれはそれとしてちょっとムカつくので目を閉じてください」

「何……何が起こっているんだ……ぶぶっ」


困惑しながらも言われるがままに目を閉じた彼に、思い切りお湯をかけた。


「私の安心を返してください……いや、ある意味では返しても貰ったんですけど……でも……何でしょう、とにかくムカついてます。自分に」

「だったら俺にわぶっ」

「それはそれです」


別に、何が変わるわけではないことは解っている。ナタリアナが彼に選ばれ拒絶しなかったのはナタリアナ自身を狙っていないからで、その理由までは関係が無い。だが、恋慕する相手がいてだから興味が無いのと、そもそも女性に興味が無いのとでは少しだけ違うような気がする。立て続けに波に襲われてうおお、と手を振り回すアルフが、もしかしたら自分にと一瞬でも疑ってしまえた。自意識過剰とは言わせない。ナタリアナの人生とはそういうものである。

ただ、事実彼が今もナタリアナの体は見ていないのは事実。よほど深く愛しているのだろうか。それにしてはここ数日その話は出なかったが、もしかしたら初日にベッドにもぐりこんだ時の狼狽はそういう意味だったのだろうか。どちらにせよ、どんなに紳士ぶってもここまで完璧に目だけを見るのは並大抵ではないし、そうでなければナタリアナは楽なままだ。一頻り嫌がらせを繰り返してから、ナタリアナは湯船からゆっくりと上がった。


ナタリアナが行動するとき、それは誘っているように見えるらしい。そう何度も言われてきた。恐らく全裸でそれをやろうものなら相手を殺すくらいのものだったのだろう。だが、結局彼の目に欲が浮かぶことはなかった。



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「良いのか?俺は床でも」

「大丈夫です!これに関しては私がどうとかじゃなくて冒険者としてこれくらいは受け入れないとこれから困ります!野宿でも同じことが言えますか!」


風呂を出て用意された薄布に着替え。部屋のベッドでもアルフは当初床で寝ることを主張していた。もちろんのことそれを却下し、二人でベッドの端に背中向けに寝転がる。慣れるためなら向かい合ってもよかったが、流石にそこまでの覚悟はなくこの形に収まった。



「まあ、それを言われると反論できないが……じゃあ良いのか。消すぞ」

「はい」


ランプが消え、雨戸を閉じているため部屋もほぼ光が無くなる。何も見えなくなると、少しの衣擦れの音まで聞こえてくる。こくりと何かを飲み込んだナタリアナが目を閉じ、じっと集中して彼の方へ向き直る。そこには見えないが、彼の背中があるはずだ。手を伸ばしても届かない距離ではあるが、いざ何かをしようとすれば一秒とかからない距離に誰かがいる。そこらの男と同じように女に興味ある人間が、である。彼はそこそこ信じられるけれど、では、最初から一緒に寝ていると知ったら彼はどう思うのか。好きな人への義理は無いのか。息を少し止めて、耳を澄ませた。


「…………はぁ」


聞こえてきたのは、早速規則正しくなった彼の呼吸音。何も考えていない。それでいいけれど、それで良いのかとは聞きたくなる。だが、ナタリアナには関係が無くて、自分が心地よくいられることだけを噛み締めてその日も眠った。

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