10.「……本当に……泣きますよ」
『良いかい、ナタリー。』
『ナタリーのその力は、神様がくれた力なんだよ。』
『きっとたくさんの人を助けられる。』
『だから、しっかり誰かに守ってもらいなさい。』
『……できたら女の人の方が良いかもしれないけど』
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「…………台無しだよ、お母さん」
ぱちりと目を覚ます。ナタリアナに見える天井は、普通の家屋と変わらない木の天井だった。体が少し沈む感覚から、そこそこのベッドに寝ていることが解る。宿屋だろうか。それとも、どこか別の施設か。体を起こす。まだ少し痛む頭を押さえつつ、いつも通りまずは自分の体を確認しつつ立ち上がる。少し気持ちの悪いように服は乱れてはいるが、とてつもない空腹を覚えるだけで大した変化はない。
部屋の窓の雨戸は閉じられていて外の様子は窺えないが、空気は夜という感じでもない。耳を澄ませば少し誰かの話し声が聞こえるような気もするし、隙間から光も漏れ出している。
部屋の真ん中にあるテーブルに、ナタリアナの荷物が置いてあった。小さな袋に全て入りきるくらいの貧相な全財産だが、中身が減っている様子はない。盗られて困るものも、余剰報酬くらいしかないが。
「……アルフさんはどこに……というか……何日も経ってない……はっ!?」
ふと気付いてスカートを押さえる。自分は倒れる前に何を口走ったか。もちろん、変なことを言ったつもりはない、あの時はあの時で色々と考えて、急いでいる中でも最低限必要なことを言ったはずだ。そもそも服の乱れは明らかにそういうことではないのか。自分で頼んだとはいえ、アルフには一度聞かなければならない。
下着の感覚が倒れる前と少し違うことからは一度目を逸らすとして。
(ふーっ……い、いやいや、頼んだことをしてくれてるだけ……怒ってはいけないことよ……)
むしろお礼を言っておくべき、と思い立ち、ナタリアナはそのまま部屋を出た。廊下の端の窓からも光が差し込んでいる。やはり昼間。それも、そこそこ日が昇って長いようだ。
(……案外綺麗な宿屋を見つけたのね……それとも、宿代はあの人達が出したとか?)
報酬の話をするなとは言ったが、それくらいなら構わないだろう。よほどのクズか高級な宿でもない限り、これを理由に反故にされることはないだろう。小綺麗に掃除された、しかし高級というには端々に不足が見える廊下を進み階段を降りる。誰もいない辺りもう昼のようだ。下に来ると、受付に立つ老人が彼女を見つけ立ち上がった。
「おうアンタ。起きたのか」
「あっ……すみません、ご迷惑おかけしてます。えっと、しばらくお世話になっているということで……良いんですかね?何日くらい……」
「運ばれてきた日からってんなら三日だな」
三日。間違いない。何度かされている。動揺を隠し大きく深呼吸。目の前の老人には何の関係も無いことだ。ほとんど健康である以上、余計な心配もかけられない。
「お世話になります……あの、私を運んできた人はどこに……」
「ああ、起きたら枕元に置いてあるものを破壊してほしいと言ってたぞ。これくらいのガラス玉だ」
ありがとうございます、と一度部屋に戻る。食事をとりたいところではあったが、伝える方が先だろう。頭に手を当て回復魔法を発動させながら、枕元を探る。三日寝ていたにしてはシーツは乾いていて清潔だ。この掃除も彼がやったのだろうか。人がいる間宿屋の主人は部屋に干渉しない。ただ、彼なら魔法……でなくとも片手でナタリアナを持ち上げ、その間に掃除をするくらいならできそうなのが怖い。
ガラス球を見つけ、とりあえず床に放る。ガラス玉は床に当たり、跳ねて、壁に当たって彼女の元へ戻ってきた。
「えぇ……?」
何度か繰り返すも、ガラス玉には傷一つ付いている様子が無い。思い切り投げつけてみても何も変わらない。踏みつけても靴が薄く彼女の足が先に痛んだ。また頭が痛くなってきて魔法を用意する。力に自信はない。ナタリアナはそういう意味では子供同然だ。それでも、もう少し無いのだろうか。お腹が減っているからと言って握りこめる大きさのガラス玉にヒビ一つ入れられないなんて。どうせアルフの魔法なのだろうが、やはり手加減が下手なのだろう。
「このっ……」
だからと言って諦めるにも早い。テーブルの足でガラス玉を踏みつけ、それを上から押さえつける。床に這うように体重をかけ手で押し、気合を入れて、逆立ちでもしようかと言わんばかりに足を上げて、
「何だ、起きていたのか」
「ひぃぃぃやぁぁあっっ!!?」
「驚きすぎじゃないのか」
「きゅ、急に声をかけないでください!ノック!」
「いや、解らん」
そのまま崩れ落ちた。額から床に激突し、ナタリアナは悲鳴をあげながら地を転がる。何の感情もなさそうに立っているのは、今ちょうど入ってきたアルフだ。左手に串、右手に何か布のようなものを持って、挙動不審なナタリアナに手を差し出した。
「大丈夫か」
「痛いのは額だけです……」
「大丈夫そうだな」
ベッドに座らされ、食べるか、と差し出されたのはどこかで買って来たのだろう肉串だった。一つ減っているのは彼が途中で食べたからだろうか。少し抵抗はあったナタリアナだったが、やはり三日分の空腹はいかんともしがたい。すぐに齧り付くと大きく腹が鳴った。
「良かった。何日食べずに寝ていられるかなんて俺には解らないからな。そろそろ無理矢理にでも起こそうと思っていたんだ」
「……お世話、ありがとうございました。もしかしなくても付きっ切りですよね」
「気にするな。あの二人は無事生きていたぞ」
「……そうですか」
それを聞けば、少し救われたような気持にもなるというもの。幼いころからそうだが、大魔法の行使には気を失ってしまうので患者の安否を気にする余裕が無い。村の時も結局寝込んだ末、生きていたと解り泣き出していた。あの時と比べると、ただ気を失うだけで済んだだけ成長しているのだろうか。
「ところで、彼らとの話は……」
「ナタリアナが言う通りにしてある。居場所も把握してある……が、すまん、ここの代金は彼らが勝手に払ってしまった」
「まあ、まあ……それは多分大丈夫……だと思います……ところでアルフさん」
「どうした」
最後の肉を食べ終えると、何かに使えるかもしれないガラス玉をしまい、荷物を持ってナタリアナは彼の持つ布を奪い取った。案の定、たった今洗い流して絞ったかのような湿り気とねじれが見られる。丁寧に折りたたみ、ナタリアナはそれも荷物の中に入れた。
「……捨てないのか」
「どうしてです?ちゃんと洗えば使えます」
「いや、まあ……だが抵抗とか……それは一応、お前の」
「やめてください」
「いやしかし」
「やめて……ください……本当に……泣きますよ」
「……解った」
迷いなく捨てられるくらい余裕のある生活がしたい。ナタリアナは久しぶりに自分の貧乏を呪った。
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「なあ、ナタリアナ」
「……なんですか」
「俺もナタリアナも、そう声が大きいわけじゃない」
「そうですね」
ナタリアナが起きて、特に体に違和感も無いとなれば取り急ぎ仕事に向かわなければならない。七日しかない期限のうち、当然ナタリアナがいない間というのは何も進んでいないのだ。自分だけで動かなかったアルフが慎重なのか臆病なのかは置いておいて、夜には様子を見に来るという助けたパーティーを待つ間にもアルフの速さがあれば大抵のことはできる。
「だから、そう距離を取るのは止めないか」
「……嫌です」
「気持ちは解る。俺は違ったが、こっちでも病人のそういう世話をする職というのがあってだな。見る度に大変だなと思っていた。する側もされる側も。だから……」
「……だからと言ってそれとこれとは話が……あっ、すみません不注意で……」
気恥ずかしさからかれと距離を取って歩いていたナタリアナ。前から歩いてきた誰かにぶつかり、とっさに頭を下げる。ぶつかった男は少し驚いた様子だったが、すぐにナタリアナの姿を見ると目を見開いた。いつもながら受けていた視線に、普段なら何とか愛嬌で誤魔化そうとしていたところだったが、今は隣に用心棒を連れている。
「い、いや、全然大丈夫だけどよ……お嬢ちゃん、可愛いな。どうだ、今日日が暮れたら俺と一緒にどこかに……」
「…………」
目を殺してアルフの横に動き、ぴったりとくっつく。すかさずアルフはローブの内側で武器を作り出し、周囲に見えない角度で男に向けた。すん、と目を逸らすナタリアナの代わりに、彼が男の方をじっと見る。
「……間に合ってます」
「……だ、そうだ」
ひるんだ男が立ち去ると、アルフは何も言わずまた歩き出す。ナタリアナも小さくお礼だけ言って、そのままぴたりと離れることなく着いていった。
「……まあ、何だ。本当に悪かったとは思っている。正直ギリギリまで悩んではいたんだ。言われたとはいえ本当にやっていいのかと……」
「いえ、私が頼んだことです。勝手に私が意識しているだけなので謝らないでください。一緒にやっていくのですから覚悟はできてます。それで彼らを救えたなら私は良いんです」
少し覚悟が足りませんでしたが、と喉の奥で呟いた。そこから先、特に会話も無く組合にたどり着く。受付までまっすぐ向かうと、いつもの受付嬢の様子が少し違った。どことなく興奮している様子で、ナタリアナを見てまあ、と口を大きく開く。
「ナタリアナさん!聞きましたよ、救難を成功させたとか!」
「あっ、え……はあ、そうですけど」
「いやあ、素晴らしいです。話を聞くにゴーストに呪い殺されるところを防いだとか。それも二人!素晴らしい活躍です!まさかナタリアナさんにこんなことができたとは思いませんでした!」
できることは別に隠さず言ってましたが、と言いたいのを飲み込む。発揮できない力は無いのと同じではあるのだ、それに今現在褒められているならわざわざ文句を言うことも無い。
「それでですね、ぜひこちらの依頼をと思うのですが、いかがでしょう?」
「え……も、もう指名ですか……?」
「いえ、状況を見るに少しでも回復魔法を使える方にと思いまして……ナタリアナさん、病気は癒せますか……?」
「え、ま、まあ、生まれつきでなければ……」
「良かったです!」
それも以前から言ってあったはずなのだけど。これまでいかにナタリアナの話を誰しもが聞いていなかったか、信用が無かったかが見える。彼女個人が悪いとは言わないまでも、それでもこめかみに青筋は浮かぶ。せめて笑顔は崩さないようにして話を聞くと、なるほど確かに、ナタリアナなら何とかなりそうなものではあった。他のパーティーの命を救うという話でここまで以来のランクが上がるとは思わなかった。
「……アルフさん。王都から泊まりで離れることは可能ですか」
「三日で戻れるなら。それから、金級まで上がれるなら」
「……いえ、そう……すーっ……受付さん、これ、鉄に渡す依頼じゃないですよね。どう見ても銀が妥当……場合によっては金でもおかしくないはずです」
「ええ、恐らくは」
「だったら等級を上げて頂けくというのも正当な要求なのではないですか?少なくとも私の回復の腕は……」
「検討はしておきます」
「いえ、確約を」
「検討は、しておきます」
わざとらしくそう言われてしまったらそれ以上は続けられない。何をどう言おうが同じ返答に落ち着くだろう。どうせ得られないとは思っていたが、やはり言質を取れるはずがない。振り向いたナタリアナは、慣れないながらも満面の笑みを浮かべて上目遣いでアルフを見つめる。
「あの……お願いします」
「…………解った」
少し間があって頷いたアルフは一つため息をついて首を傾げた。何か他に方法を考えよう。そう決心しつつ、ナタリアナは手続きを進めていった。
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「ちなみにですけどアルフさん」
「どうし……な、なんだ、その構えは」
「余計なことを言ったら蹴り上げてしまうかもしれません。先に謝っておきますね」
「…………なんだ」
「私……何度お世話になりましたか」
「…………数えていると思うか?」
「…………そうですか」
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