8.「ああいう輩は世界で一番嫌いだ」
「ああ……そうかい……」
「ん……闇討ちするくらいなら今ここでやれ。警戒するのが面倒だ」
また心を読んだのか、掴みかかった腕を掴み返しながらアルフは男を睨みつける。少しアルフの方が背が高いだろうか。しかし男もひるむ様子はない。そもそも面白くないのだろう。アルフは知る由も無いことだが、元々ナタリアナをパーティーに加えた時点で嫉妬に巻き込まれることは必然なのだ。別にナタリアナが惚れられていたわけではない。純粋に、自分の手に入れられなかったものを他の誰かが手に入れたという事実に苛立つ人間がいてもおかしくはない。
男もそうだったようで、腕を掴まれながらもその気にはなっているらしい。ちらりと受付に目をやるも、彼女らは一様に目を両手で塞いでいた。組合でのもめごとに関してはいつもこうだ。規約上やってはいけないことにはなっているが、それを止める方法が無いし、告発したところでこの組合から犯罪者が出たと評価が下がる。できないことは見て見ぬふりをするのが彼女達にとっては正解なのだろう。
「あ、アルフさん、流石に物を壊すと弁償とか……」
「こいつをやることについては問題無いのか」
「安心しろよ。こんなに見物人がいて訴えるなんてことはしねえ。それに、何勝つ気でいんだお前。いいから大人しく組めばいいんだ」
「勝てるから勝つ気でいるんだ。やってみるといい。まずはこの手を振り解くところからだな」
「何だと……」
明らかに相手を挑発して、掴んだ腕を自分の胸元に持っていくアルフ。男は何とか振り払おうとしているが、ナタリアナにだってそれが不可能なことは解っている。彼の力は並大抵のものではない。山をも崩すドラゴンの力を受け止めた彼と力比べをしようというのがまず無謀なのだ。
「おっ……うおっ……!?なんだ、こいつ……っ」
「どうした?早くやってみろ」
「ぐおおっ……」
案の定、彼の腕は動かない。男の腕が腰元のナイフに伸び、すぐに引っ込んだ。武器を抜けば命の問題になる、賢明な判断だろう。後はできればもう少し苦しめてもらえるとナタリアナの心は晴れるのだけど、それは同時に心も痛むのでそれ以上考えるのをやめておく。むしろやり過ぎたら回復くらいはしてやれば、これから絡んでこないのかもしれない。それとも優しくされたと勘違いしてさらに来るだろうか。目の前で顔を真っ赤にして力を込める男を見ながら、ナタリアナは他人事のようにそう考えていた。
「は、放せねえ……!何だこいつ、化け物か……!び、びくともしねえ……!!」
そこから少しの間もがいていた男も、だんだんと現実に気付いてきたのか喚きながら周囲に視線を向けていた。抜け出そうとアルフに放った前蹴りも簡単に受け止められ、男は為すすべもなく掴まれていることしかできない。
「ナタリーはこっちだ」
「その名で……きゃあっ!?」
だが、彼らには仲間もいる。アルフは彼の仲間の見分けがつかず、なんとなしに立ち上がってナタリアナのハイドに近付く男に気が付けなかった。言ってやった、と息巻いていたナタリアナも、気が付けば背後の男に抱き着かれて後ろに引かれていた。
「……ナタリアナ」
「おい。放せよ」
悶えていた姿からは一転、急に笑みを浮かべ始める男達。後ろで一人減ったテーブルでも少し笑いが起こっている。わざわざ人前で絡んでくるあたり碌な人間ではないと思っていたが、まさかここまでろくでもないとは思わなかった。
しかし、ここで引くのもナタリアナが危ないのだ。今までナタリアナが力ずくで手籠めにされなかったのは、あくまで彼女が基本的には無防備で、やろうと思えばいつでもできるから、だったら話して何とかして、彼女の美しさを少しでも保ちたいと思われていたからに過ぎない。要するに、アルフという人間が守る立場となったことで手を急ぐ人間が出てくることを考えるべきだったのだ。
「力自慢でもしたいのか?ん?解った解った。アンタが強ぇよ。これで良いか?それとナタリーをどうするかは話が別だ」
「その名前で呼ぶなとナタリアナは言っていたようだが。恋人か何かかお前は」
「どうだろうなあ。とにかく放せばいいんだ」
「ひ、卑怯な……」
「ほら、早くしろ」
囚われのナタリアナの声に、彼はそれ以上何を言うこともなく手を放す。降伏のつもりか両手を上げ、ゆっくりとナタリアナの方に振り返った。男はアルフの首元を掴み、それから目くばせでナタリアナをゆっくりとどこかに引きずっていく。
「な、何ですか!どこに……っ!」
もちろん抵抗などできるはずがない。蹴り上げようにも彼らも冒険者、夜のベッドで油断しているならともかく、こんなタイミングでひるむわけがない。体を動かす以上の抗い方ができるはずもなく、アルフとの距離が離れていく。
「……どうするつもりだ?このまま連れ去れると思ってるのか」
「この状況でか?少し意見が変わるまでお話しするだけだ。そこで待ってればいい。何も出来っこないんだからな」
「お前は馬鹿か?お前より力があるのにお前より速く動けないとでも思うか?」
「馬鹿はお前だ。ナタリーを抱きかかえているのに無茶したらどうなると思う?」
ぐ……と歯ぎしりするナタリアナとは逆に、アルフは全く動じることなく首を捻り肩を回した。掴まれた首を振り解き、指をこめかみに当てる。頭を使え、なんて挑発ではない。明らかにナタリアナを見ているそれは、頭の中で魔法を探しているという合図に他ならない。何をするかは解らないままに目を閉じる。体を固め、もし解放されたらすぐに走り出すことだけを考えて構える。
「人に喧嘩を売るのは馬鹿のやることだとは思う。俺も含めてだ」
「あ?てめえ何を……
………………は?」
次の瞬間、驚くべきことが起こっていた。
「……え……」
ナタリアナはいつの間にか、組合二階のテーブルまで来ていた。客のいないテーブルの上に座らされ、落下防止柵に寄りかかって下を眺めるアルフの背中が目の前にある。誰にも掴まれてはおらず、二人とも自由の身となっていた。ああ……とため息をつくアルフに何があったのか聞くと、彼は息を整えながら柵に寄りかかって振り向いた。
「時間を止めることのできる魔法があるらしいから使ってみたんだが……物凄く疲れている。これは何だ……やはり魔法を使うにも限度があるのか?」
「限度、えー……あー……ああ、回数制限とかは無いです。ただ、マナ干渉をしなければいけないので体力は消耗します。精神力って普通は言われてますけど……」
「それは回復できるのか」
「もちろん大丈夫ですけど……ほ、本当に時間を止めたんですか……?」
「本当だ……ああ、大魔法だから消耗が大きすぎるという話か。無理をするくらいなら戻さなくても良いからな」
信じたい……が、これも飲み込む。全てを飲み込むと決意したのだ。何も言うまい。ナタリアナの知識は軽く超える魔法ではあるものの、現に発動しているとしか思えない現象が起きているのだからそういうことなのだろう。すぐに回復魔法を発動して彼に向ける。
「おお……大分楽にはなるな……」
「そうですか……?あんまり強くはかけてないんですけど……」
「一気に消耗しただけなのかもしれんな」
満足げなので魔法を解除する。その時には下の人間もナタリアナ達に気が付いたようで見上げていた。角度からしてナタリアナは見えていないが、それでもここにいることは簡単に透ける。降りてこい!と怒号を飛ばす男どもに向かい、アルフは手を振って応える。
「人質は失敗だな。次はどうする?俺は戦いたくはないし引いてくれればそれで良いんだが」
「何をしやがった!」
「素早く動いたんだ。疑問はそれだけか?」
「……クソがっ……!行くぞ!」
立ち去っていく男達。これだけ騒ぎになっているのにそれで終わったかのように業務を再開する受付達と、ざわついたまま眺め続ける組合の冒険者達。明らかに悪目立ちしているが……高速移動だと言えば何とかなると思っているのだろうか。頭が足りないんじゃないだろうか。それでも彼は何も言わずに降りていこうとするし、別にそう困ることはないので着いていく。むしろ「ナタリアナの新しい仲間は狂っているが信じられないくらい強い奴」とした方が彼女自身への攻撃は止むだろう。彼の言い方からしてそのうち自分にたくさんやることが生まれるのだろうし、その代わりはあっても良いはずだ。
「手続き、見ていても良いか」
「え?ああはい、もちろん。とは言っても別に私が何かするわけじゃありませんが……」
「ちなみに、余計に狩ったら金になるのか」
「それはちゃんと解体して素材として別に商人に卸すことになります。ブレイズウルフは私も見たことがないし、解体用の道具も無いので何もしませんでしたが……」
「それも俺はできないからな。頼りにさせてくれ」
「はあ……」
とりあえず彼が自分を必要としているうちは利用しよう。その先どうなるかはまた別の話だ。彼から頼まれる仕事がどんなものかは知らないが、これまでのことよりは遥かにマシだろうから。依頼を選ぶのだってナタリアナが選んでいけるのだ。自分さえしっかりしていれば自分たちは歪にはならない。頑張ろう、と自分に言い聞かせて、ナタリアナは達成報告を始めていった。
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「宿屋ですか?」
「ああ。一通り回ったが流石に中に入るわけにもいかないからな。いや、透明化すれば入れるんだが」
「人の心を読んでおいてそんなことを言うのですか……?」
「俺の体に向こうから触れてきたんだ。触らなければ読めない」
「…………」
「距離を取らないでくれ」
明らかに自分達に必要以上に触れないようにしている受付で報酬を手に入れ、次の依頼は夜でなければならないということで一度街を歩いて案内しているところ。昼食にも少し早いような時間に、つくづく狂った強さをしていると思わせられる。本来は一つの依頼に長くて一日、ともすれば泊まりになってもおかしくないのだ。夜の依頼も恐らく飛んでいくのだろう。
「本当に読まないんですか」
「読んでほしいならそうする」
「そんなわけないでしょう」
「だと思った。それに、ナタリアナが俺に危害を加えるとも思えん。昨日だって俺の部屋に来ただけで盗みも乱暴もしなかっただろう。俺が強いからかもしれないが……」
「その話はしないでください!怒りますよ!」
「もう怒って……あ、いやすまん」
高めの宿にはまだ泊まれない。宿泊費は基本的に先払いだ。銅貨十枚をまさか全部使うわけにはいかないだろうが……それでも、明日からもどんどん依頼を続けるだろうし、一つレベルは上げられるだろうか。
「ところで、さっきの奴らは知り合いか?渾名で呼んでたみたいだが」
「知ってますが仲良くはしたくない人達です。渾名も呼ばれたくはありません」
「そうか。仲の良い人間がもしいたら是非教えてくれ。態度も考える」
「……別に、王都……ここにはそんな人いませんけど」
「……そうなのか」
いるはずがない。その理由は彼には言いたくはないが、この街に味方はいない。よくしてくれる人ならいるが、それだって憐れんでいるだけだ。本当のところは解らないが、少なくとも受付の人間は深く事情を聞いては来なかった。逆の立場でも聞かないだろう。一人くらいは誰かの名前を出したかったが、できないのだから仕方無い。
「では、これからも絡まれたら拒絶した方が良いのか」
「……まあ、ああいう絡み方をされたときは」
「解った。任せてくれ……ああいう輩は世界で一番嫌いだ」
「そうなんですか……」
よほどのことがあったのか、その言葉には重みがあった。どちらにせよしっかり彼に助けてもらえることが確定したのだ。今はそれで喜ぼう。何ができると聞いた時、もしかして参加するんじゃないかと一瞬跳ねた心臓の話はしないでおこう。黙って彼を引っ張るのが正解だ。少なくとも今は。
「……ところで」
「何だ」
「……その。さっきはありがとうございました。これからも……ですけど」
「気にするな。仲間を助けただけだ」
それでも、それくらいはと発した感謝の言葉に、彼は単調に答えた。とても冷たく聞こえるその物言いに、既に安心しているナタリアナがそこにいた。
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