6.「い、生きてる、私、生きてる……」

「と、飛んでいくんですか?」


道をすたすたと歩いていくアルフを、やっとのことで追いかけていく。馬どころか武器もアイテムも用意しようとしない彼に、早歩きのままナタリアナは問いかけた。


「飛んでいく。よく解らないが馬を借りるのだって金がかかるんだろう」

「それはまあ、そうですが……」


冒険者として依頼を請けると言えば少しは安くなるが、それでも結構な額がかかる。もちろん依頼に成功すればそこから払えるので問題は無い。請けた依頼、ブレイドウルフの討伐はそこそこ難しくはあるが、それでも鉄への依頼である。獰猛ですぐに襲い掛かってくるといえば脅威だが、しょせん力があるだけで知能が高くないのだ。もしアルフに近接の才能が一切無くても、魔法の力だけで何とかなる。


「すぐ行ってすぐ帰ってくればそれでいい。俺も王都を見て回らなければいけないからな。明後日までに少なくとも生活に問題ない程度には知名度と軍資金を集めておきたい」

「いや、でも……」

「それに、俺は馬に乗れない」

「えぇ……」

「俺の世界に馬に乗る機会などそうそう無い。ゆくゆくは学ぶが等級上げが先だ」


思わず肩の力が抜けそうになる。馬に乗れないなど冗談にしてもマトモな育ちをしていない。特に王都に来て働くのにそれは無いだろうと言うほかない。彼の世界にどんなからくりがあったのかは知らないが、こちらでの陸上移動手段で最も手軽なのは馬だ。もう少し余裕があれば馬車、大富豪ともなれば車を用意できるが、今はそんなものひっくり返っても手が届かない。


「それに、な、何か道具とか、薬とか……」

「回復役はナタリアナがいる」

「そ、それはそうですがっ」


広い歩幅で歩いていくアルフに着き、既に王都も端の方まで来てしまっている。ここから門を越えればその先には何も無い。途中で倒れ誰にも見つからなければそれで終わりだ。高価だが、街から離れるなら使い切りの転移魔法のアイテムを持っておくべきというのが冒険者の中での常識となっている。


「私が怪我しちゃったりしたら……自分を回復するの、効果が弱いんですよ!」

「それは、靴擦れやら転んだ擦り傷も治らないのか」

「それは治りますけど……」

「だったら良い」

「何が良いんですか!」


文句を言っている間にも、アルフが衛兵に言って門の扉を開けさせていた。騒いでいるナタリアナに周囲の視線が向けられ、思わず口を噤む。ただでさえ知り合いだらけの中で変に目立ちたくはない。呑気な顔で戻ってくるパートナーの耳に口元を寄せる。


「ちょっと、やっぱり何か買ってから……」

「ナタリアナが怪我をしなければ何とでもなるだろう。俺もそう重傷は負わん」

「何の保証があるんですか!」

「昨日一回だけ戦ったんだ。それを言ったら衛兵に馬鹿を言うなと笑われてな」

「……ちなみに、何を」

「ドラゴン。黒いやつだ。突然襲って来て食われそうになってな。あの反応、ドラゴンというのは相当強いんだろう」


ひゅ、と喉が締まった音がした。ドラゴンなんてのは人間の敵う相手ではない。昨日会った時の彼にしても傷を負っていた様子はない。もし本当なら確かな実力とかそういうレベルではない。人類の域をはるかに超えている。


「だから大丈夫だ。絶対にナタリアナも守ってみせるから、後ろで回復して見ていてくれ。どうやら俺は回復魔法は使えない」

「……わ、解りました……」


まっすぐに目を見て言われたら強くは反論できない。それに、ここで揉めても仕方が無い。注目を集めるだけだ。彼の自信に押されるままに街の外まで出てきてしまう。道が数本、そこを通っていく馬車がそこそこ。そのうちいくつかはナタリアナ達と同じ冒険者だろう。それに加え、どの馬車も単独ではない。護衛役の馬車だ。


「えっと、飛んでいくってことは」

「ああ。抱えていく。まっすぐ西に行けば良いんだろう」

「あ、いやでも」

「目的地周辺に着いたら教えてくれ。対象が隠れていても呼び出す方法は……あるみたいだ」


魔法を探したのか一瞬言いよどむアルフ。そして、有無を言わさずナタリアナの肩を引き寄せた。脇に腕を通し、膝を持ち上げる。そのまま、勢いよく上空に飛び出した。景色が一気に変わり、地面が遠のいて体が浮く。ぶらん、と投げ出された腕が空中で何にも触れることなく終わったのを確認して、ナタリアナは柄にもなく強くアルフに抱き着いた。身を守るために大きく息を吸い込む。



「いやあああぁぁぁああああっっっっっっ!!!!??????」



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「は、はーっ、はぁーっ……い、生きてる、私、生きてる……」

「すまん。大丈夫か?」


ブレイドウルフは森林に住む四つ足の魔物だ。普段の姿は少し牙が鋭利なだけの動物だが、警戒状態に入るとそれがさらに伸び、まるで剣のように鋭く尖るという性質を持つ。群れは成さないが単独でも一般人を容易に殺し得るだけの力を持ち、森に採集に入る人間達のためにある程度の数を駆除するのが冒険者たちに任せられている。いわゆる常時依頼だ。基本的には一度の依頼で二頭、可能でも五頭まで。本来なら牙や毛皮を剝ぎ取れば素材としての価値も十分にあるが、今回の依頼では全て組合に回収される。馬車代を考えるとなるとかなり実入りは少なくなる。それを飛ばせるのは良いのだけど。


「絶対に落とさないから安心してくれたら良かったんだが」

「そ、そういう問題じゃ……ないでしょう……!」

「まあ、解らなくはないが」


俺ならむしろ楽しいと思うんだが、と、大木の根元で座り込むナタリアナに対して全く動揺していないアルフ。上空、しかも地上からそう簡単に見つからないような高度を音を置き去りにするような速度で突っ切った二人は、ナタリアナが悲鳴をあげ、その後恐怖から息を止めている間に目的の森林にたどり着いていた。

未だに浮遊感が抜けず、降り立った瞬間から既に立ち歩くことすら覚束なかった。吐き気がこみ上げるけれど何とか飲み込み、大木にへたり込んだのだ。ローブははだけ大きな双丘が強く自己主張して、呼吸とともに揺れている。しかしそんなものには目もくれず、アルフは周囲を見回しながら手を組んで伸びをしている。


「そ、それで……ここからどうするんですか……?やはり魔法で……?」

「いや、魔法はもう良いだろう。実力は解ったんじゃないか?」

「まあ、解りましたが……でも武器を持ってないじゃないですか」

「ここで作るからいらん」

「は?」


少し経って立ち上がる。それを見て、アルフは地面に掌を付けた。ズ……と地が鳴り木々が揺れる。咄嗟にナタリアナも木に寄りかかり彼の手をじっと見つめる。その手が土を掴むように握りこまれ、そのまま持ち上げる、と。


「え……?」


そこには、一本の剣があった。ナタリアナは武器には詳しくないし、間近でじっくりと見たことも少ない。しかし、そこに現れたそれはこれまで見てきたそれらよりも質の良いものだと解った。白っぽい鋼色の剣は陽の光を弾いて輝き、先まで少しの欠けも見当たらない。一振りして纏っていた土も振り払えるあたり、その滑らかさも窺える。身が長くかなりの重みがあるであろうそれを彼は片手で振り回し、天に向けるとナタリアナの方を見やった。


「こうだ」

「こうだ……って!どうやってやってるんです!」

「知らん。俺は魔法を使ってるだけで理屈など解るわけがない」


頭が痛くなる。確かにそうだが、だからと言って胸を張ってそんなことを言われてもナタリアナだって困ってしまう。いくつか想像は付くものの、地面から剣を抜くなんて魔法があるはずがない。それとも、土から剣を作ったとでも言うのだろうか。

だから、行くか、と歩き出した彼に、ナタリアナは何も言わずに着いていくことにした。森の中に入っていき、ブレイドウルフを探す。アルフの足取りは全く迷いが無く、初めてここに来たとは到底思えないような速さで森の奥へ進んでいった。


「ナタリアナ。相手がどんな奴なのか教えてもらえるか」

「解らないでこんなに進んでいるんですか!?」

「もちろん敵感知はしている。こんな手前にはいない」

「そ、そうなんですか……」


敵感知、『シーエネミー』の魔法はそう高度なものではない。そこそこの魔法使いであればだれでも使えるものだ。ナタリアナも範囲は弱いが使えなくはない。だが、発動にはそれなりに時間がかかるし、そもそも歩きながら使えるほどのものではない。発動難易度は低いが集中は必要なのだ。だというのに、彼は話す余裕も持っている。剥き出しの剣を慣らすかのように振り回しながら、まっすぐ歩けている。


「依頼対象はブレイドウルフです!そこまで強いわけではないですが、群れを作らず奇襲される可能性がありますので気を付けてください!」

「どんな見た目なんだ」

「四つ足で牙が少し出ています。毛色は黒がほとんどですね。基本単独です。もしかしたら番といる可能性もありますが……」

「なるほど……こっちだ。たぶんいる。それっぽいのが」


それに、敵感知はそう細かくできるものではない。魔物か、ただの動物か、人間かをある程度把握することしかできないはずだ。だが、アルフは方向を大きく変えている。たぶん、というほど不確実ではなさそうに見えるし、周りを警戒している様子も無い。あまりにも雑に進んでいっており、彼が彼でなければ一度歩みを止めなければと考えただろう。だが、彼はアルフリーだ。会って一日だが他の人間と違うことだけは解る。扱いやすいかどうかはまで考えなければならないが、とりあえず着いていこうという気持ちにさせられている。

空を飛んでいるときだって、彼は何も考えていなかった。成り行きとはいえナタリアナを抱きかかえるところまで行った人間はそう多くはない。そうなった男どもは平等に股間を蹴られてダウンしていったが。


「どれくらいの距離ですか!?」

「しっ……そこにいる。周りにちょこちょこ敵がいるから背中に張り付いて離れるな」

「は、はい……」


アルフが立ち止まり、手で制してくる。早足で彼に追いつき彼の後ろに縋った。彼を壁のようにすることに抵抗が無いわけではないが、複数人ならともかく二人でいるならこれが成功だろう。体を少し屈めて腰元に抱き着くようにつけた。手に回復魔法を準備しておき、もし彼が遠距離攻撃を受けても問題無いように構える。アルフは剣の無い左手に小さな槍を持ち、投げ構えている。


「よし……」

「え……?その槍どこから出したんですか……?」

「今作った」

「……なるほど」


もう何も言うまい。ナタリアナはそう決めた。ゆっくり彼が投げた槍が森の奥へ飛んでいく。相手の姿は彼女には見えない。しかし少し経って、辺りに雄たけびが轟いた。物理的に風となって衝撃が届くほど、森から鳥達が飛び立っていく。


「な、何……あっアルフさん!あれ!あれがブレイドウルフです!」


逃げ出していく動物たちの中に、見知った魔物の姿。頭で思い浮かべていたそのままの姿のブレイドウルフが、小鳥たちとともに彼らの横を駆け抜けていった。牙が出ている。警戒状態だ。それなのに、人間を見ても襲ってこない。

もちろん、人間を見たら即襲い掛かってくるような魔物は絶対ではない。ある程度は知能もあるし、満腹なら襲う理由が減る。しかし、今駆け出して行ったブレイドウルフは確かに警戒状態だった。それなのに逃げ出すということはつまり、警戒してそれでも戦うことのない事情があったということだ。


「何だと?じゃあ俺の攻撃したあいつは何なんだ」

「どんな見た目か解りますか!」

「さっきのと同じ感じだ。色がもっと赤っぽいが」

「見た目が同じで赤……?そ、それ!それは不味いです!逃げましょうアルフさん!」

「何だ、そんなにヤバいのか」

「ヤバいです!」


ブレイドウルフとかなり似た外見、そしてその体色が赤。その特徴に思い当たるのは一種類、ブレイドウルフの上位種にして、危険度が思い切り跳ね上がる別種の魔物。


「それはブレイズウルフ!等級金のパーティーが戦う相手です!」

「……そうなのか」

「暢気すぎませんか!?」


逃げる様子の無いアルフの裾を掴んで引っ張る。二対一、それも一人は回復役で挑む相手ではない。しかし、彼を引っ張る力などナタリアナにあるはずもなく。ずりずりとシューズが地面を削った。もう!と彼の背中をはたくと、彼は不思議そうな顔で振り向いた。


「何を慌ててるんだ」

「何ってそりゃ……」

「あいつはドラゴンより強いのか。そうは見えないが」



「…………全然、ドラゴンの方が強いですけど」


ドラゴン。幼体でも街一つに避難勧告が出て等級金すら集団で足止めが限界の超常存在であり、生物としての格は当然魔物も人間も含めて最上級である。それを思い出し、平静を思い出したナタリアナは、一転して彼のローブに赤くなった顔を押し付けていた。

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