2.「信じられないとは思うがとにかく聞いてほしい」
「……では」
ナタリアナは特に驚くことも無くその手に手を翳す。こんなことは珍しいことでもない。むしろこれにより、彼は金銭的に不自由していないことが解った。回復魔法を求めているということは彼は使えないのだろうが、人に頼むには金がかかる。失敗してもそこで治す余裕があるのだろう。
「……ふっ」
手を翳して念を込める。この程度の傷に大仰な詠唱など必要無い。翳した手がぼんやりと光り、その光が傷口に移っていく。光は傷口を覆い、ほんの数秒で無くなっていく。そこには、少し体毛が生えただけの男の肌があった。傷は一つも無い。
「なるほど。これは良い」
「次は何ですか?爪でも剝がしますか?指一本くらいなら大丈夫ですよ」
「いや、やらなくていい。十分解る」
回復魔法の実演が切り傷一つで済むのは稀だ。そんなものは回復魔法が使えるなら誰でもできる。この男は恐らく、裕福だが冒険者としての経験が薄いのだろう。時々いるのだ。商人や貴族の子供が自由を求めてきたり、跡を継げないからと冒険者になる。その多くは途中でリタイアしてコネを使って兵士になるが、ナタリアナには関係無い。一夜を過ごすだけの相手だ、見るのは外見くらいで良い。もちろん、性根が良ければそれでもいいが、性根が腐っていたら自分が女性と見るや手を出しているだろう。もしくは気にも留めないか。
「来てくれ。話は宿でする」
「……宿?王都に住んでいるのではないのですか?」
「ああ。ここには少し前に来たばかりだ」
「……そうですか」
どうしよう、とナタリアナは少しだけ目を逸らす。彼は解っていないのだろうが、宿屋でのそういった行為はご法度である。それが許されるのはよほど権力のある人間か、宿屋にそれこそ年単位で宿泊費を支払って貸し切っている人物くらい。男女の行為に及ぼうというなら娼館の部屋を借りるか、借家でも住居に定住していなければならない。まさか、本当に自分と組もうとしているのか……なんて勘違いを、彼の後ろで歩きながら首を振って追い出す。
(また騙される気ですか、ナタリー!結局最後には全部無駄になるんです!期待してはいけません、どうせこの男も……)
ローブに猫背、そんなナタリアナが一枚脱げば、あの視線を向けるに決まっているのだ。
男性の歩みは迷わず早い。身体能力では子供同然、今まで無理矢理手籠めにされてこなかったのも奇跡と行き過ぎた色気のおかげのナタリアナでは着いていくだけでも早歩きにならざるを得ない。これもこれまでではありえないことだった。ナタリアナを狙うなら歩幅を合わせ、会話をしようとするはず。勘違いしそうになるたび、何度も何度もこれまでのことを思い出す。
「ところで、あんなところで何をしていたんだ」
と、彼が切り出した。ほら来た。悲しいことに得意げになりながら、ナタリアナは彼の後ろで笑う。
「別に、何をしていたというわけではないんです。ただちょっと、用を終わらせて帰っていたところでして」
「そうか。一人で外にいるのは危ないぞ」
「ええ、まあ……」
それを狙ったのではないか、と言いたいのをぐっと堪えて、努めて笑顔に、声色に漏れないように。
「しかし、こうして拾っていただいたわけですし、良かったのかもしれません」
「……さあ、それはどうだろうな。来なければいいと思ったかもしれないぞ」
「それは……どういうことですか……?」
「話せば解る」
彼が自分を狙っているのか、それともそうでもないのかが解らなくなってきている。少なくとも有象無象……ではないのだろうか。単純に女性に慣れていないという可能性もあるが、であれば見知らぬナタリアナに誘われて宿屋に連れ込むとは思えない。
(っ……う……)
そしてそれらの疑問は、「彼が本当にナタリアナを勧誘している」という事実を信じるだけで瓦解する。何の行為も行えない宿屋に行くのもそうだし、この時点で多くを話す必要も無い。そもそももっと喜んでもいいものだというのはナタリアナの自惚れではない。これまで培ってきた、培いたくはなかった経験による客観的判断だ。
二人はそのまま路地をしばらく進み、人通りも減ってきた大通りを越え、ナタリアナも一度使ったことのある宿屋にたどり着いた。いつも通り彼女は自分の胸元を隠し、深くフードを被る。流石に男性と一緒にいて新しい男性に声をかけられることは無い……とも言い切れないのがナタリアナのこれまでなのだ。そんなことはざらにある。流血沙汰も何度もあるのだから、警戒するに越したことはない。
宿屋は明るく、男性の顔がよく見える。特に顔を隠そうとしているわけではないようだ。堂々と進み、カウンターで鍵を受け取っている。美形と断じるほどでもないが顔立ちは整っているし、取り立てて欠点も見当たらない。ここまでは外見の魅力としてはかなり良い。良いのだが、ここまで来てナタリアナは少し揺れていた。彼とこれから何かを行うのだ、という覚悟を持っていたはずが、彼が妙な言動をとるものだから。揺らいでいく気持ちのまま彼について部屋まで入ってしまう。
そもそも、この宿屋はかなりの安宿だ。無理に連れ込むにしてももっと他にある。このレベルの安宿だとベッドは一つしかないし、それ以外の家具は小さな机とランプくらい。この宿にはそれに加えて椅子が一つあったようだが、それでも大して値段が変わるわけではない。銅貨五枚もあれば泊まれるだろう。どんなに取り柄が無くても最低限男が力仕事で一日必死に働けばそれくらいなら稼げるわけで、そんな場所にこの男が泊まる必要があるのかと疑ってしまう。
「ベッドに座りな」
「は、はあ」
お世辞にも柔らかいとは言えないボロのベッドに座る。男性が座るのはさらに劣悪だろう木の椅子だ。少し明るい部屋で、彼の服もよく見える。小綺麗、というより新品をそのまま着ているかのような真新しさすら感じる。仕立てのしっかりした服だし、よく見ればチェーン・シャツも着こんでいる。グローブまで揃えているあたり資金難には見えない。
「……ちなみに、結構ちゃんとした装備をしてるみたいですけど、それは……」
「これか?ここに来て適当な店に入って一式買った」
「……武器などは」
「話せば解る」
やはり裕福な貴族か商人か。ローブを脱ぎ捨てテーブルに置いた男に合わせ、意を決してナタリアナもローブを脱ぎ捨てた。当然、隠していたものが大きく揺れるみたいに晒される。下に着ていた薄くもない一般的な服を押し上げるように自己主張するそれを、ナタリアナはあえて胸を張るように前に突き出した。
「……では話そうと思う。まず先に言っておくが、俺がアンタに望むのは普通のパーティーじゃない。少し事情があってな。もちろん無茶はさせないが、それを聞いてから組むかどうか決めてくれ」
……だが、彼の目はそれには向かなかった。淡々とナタリアナの目を見て、ランプを弄り回している。拍子抜けするほど何もしてこない。これまで彼女が外套を脱いだ時、その胸を見ない男はいなかった。屈めば尻を見られるし、顔を見られることなど至近距離まで近づいた時くらい。それだって、真剣に話を聞くから、という理由ではなかった。
「え、ええ……もちろん、説明は聞きます、けど……」
「では……ああ、しまったな……夜に連れ出したんだ、食事くらい融通するべきだったか……それは話した後で良いか」
「は、はい」
「よし」
後で食事でも、という誘い文句は何度も聞いたが、ここまで下心を隠せるなら尊敬に値する。何度も浴びてきたナタリアナから見て、一切の性欲を感じない。枯れているか、あるいは男色か、それほどに、ナタリアナの体に興味を示していない。
「まず最初に。俺はアルフリー。アルフと呼んでくれ」
「あ……ナタリアナです。呼び捨てが慣れてますが、お好きに呼んでください」
「じゃあナタリアナ。俺は剣士……そして、魔法使いだ。足りないのは回復役が一人。組むなら俺とナタリアナ、二人になる」
「剣士……魔法使い?あの、失礼ですが、どちらが本業でしょう?」
「どちらもだ」
「…………」
さっきまでの心配が、さらに色濃くなった。嘘をつくならもっとましなことを言えないものだろうか。確定してしまった。彼はナタリアナを手籠めにしようとしている。表面上取り繕って紳士を気取っているのか。大した精神力だと褒めたい気持ちすらある。だが、やはり彼は世間を知らなすぎると言わざるを得ない。彼を相手に選ぶのは違うような気がしてきた。このまま女の扱いもズレていたら辛いのはナタリアナだ。
「魔法使いで、体を鍛えたということですか?失礼ですが、両立するには人間では時間が足りないと言いますか、どちらかに偏らないと到底使えるようにはならないんです」
「剣技も魔法の腕も望むように見せる。今はとりあえず飲み込んでくれないか。まさかここで剣を振り回すわけにもいかない」
「……それは、そうですが」
アルフは至極真面目に、表情を大きく変えないままに話し出す。自分にはやらなければならないことがある、それにはできれば女性の手が借りたい、回復魔法の使い手という他人をサポートする役割であればそれが一番だ、と。確かに、それであればナタリアナに目を付けたのは解らなくはない。それに、さっきの話が全てを台無しにしていると言っても、果たして本当に世間を知らないだけだろうか。一応命を懸ける仕事ではあるのだ、下調べ位するのがまともな人間ではないだろうか。自分が強いと思いあがっても先は長くない。もちろんナタリアナのように、力があってもどうしようもないことはあるが、大前提として力は無ければならない。
それからアルフが話したのは、待遇の話。言われなくてもそれを話すあたり、やはり最低限の常識は持ち合わせているのか?どんどん解らなくなっていく。言っていることはかなりマトモ、どころかナタリアナに都合が良すぎるほどの条件だった。ここに裏がありますよ、と自白しているようなものだ。適当に相槌を打ちながら、ナタリアナはどうやって逃げ出そうかと考えていた。隙を作って逃げ出すのが一番良いが、最悪大声をあげ手を出されそうになったといえば一旦は人を集められるか。
二人で依頼をこなしたなら報酬はナタリアナに七割、四日以上連続で仕事はさせないし、させるなら追加で報酬を出す、やりたい仕事は可能な限りナタリアナに合わせる……そんな夢物語がいくつか並べられた後、最後にアルフは一息ついて、ここまで何か質問は?と話を一度切った。全部だよと言いたい気持ちを何とか堪え、何を聞くべきかを考える。
別に、ここで彼を糾弾、攻撃するようなことを言うのも悪くはない。彼を敵にしたところで何が起きるのか。簡単に人も呼べる状況で、将来的にも勘違いをしたアルフはすぐに死ぬだろう。適当に流して、その気ならその気にさせて、公衆浴場にでも行かせている間に逃げるのが良いのかもしれない。だが、敵は作らないに越したことはない。
だから、特にありません、とナタリアナは呟くように言った。それに対してアルフも何を言うことも無い。人を疑うということを知らないのか、とどんどん彼への好感度が下がっていく。外見は良いがいかんせん中身がろくでもないならナタリアナにすれば総評してろくでもない、となってしまう。
さっきまで彼に抱かれてもいいと本気で思っていたことに後悔を覚え、覚悟を決めたはずなのにまだ選り好みをして他人を「評価」している自分に吐き気がして。やっぱりやめようと思っても、結局その先に道が無いと何度も悩んだからこうしていると思い出すと愛想笑いも歪む。
彼ではない、と彼から逃げ出して、次に行ったとして、それで何が起こるのだろう。次の男にも欠点を見て逃げてしまわないか。
ナタリアナにとって、ナタリアナは弱い人間なのだ。変なこだわりがあって、生きていくのに向いていない。もっと周りを無視できる性格なら、各地の男を惑わせてでも他の職業を試しただろう。もっと融通の利く性格なら、一度くらい抱かれてもパーティーに加入して、お金を貯めて解決策を見つけただろう。もっと器用だったなら、一人でも生きていける方法を見つけたはずだ。もっと恥を捨てられたなら、疎まれると解っていても村に戻っていたかもしれない。
(結局……これしかないんだ)
必死に自分に言い聞かせ、考えていた計画を捨てる。少なくとも外見は良いのだ。どうせ娼館に行くのだし、それは今の所持金が無くなるまでに、決断しなければならないのだ。だったらせめて外見だけでも整った彼を選ぶべきなのだと自分に言い聞かせる。少なくともこのレベルはそういない。妥協のしどころだ。
「解ってもらえたならもう一つ大事なことを言わなきゃいけない」
「……はい。何でしょう」
「……俺は異世界にいた前世の記憶がある。ナタリアナにやってほしいこともそれに関連してる。信じられないとは思うがとにかく聞いてほしい」
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