彼はストーカー。私は落ちこぼれ回復魔法使い。
うたひめアリア
第一章 回復魔法使いナタリアナ
1.「一緒に……冒険者をやりませんか」
「いやあっ!」
とある夜。古い木造建築が立ち並ぶ住宅街の一つの扉が開き、弾かれるように女性が飛び出した。厚手のローブを身に纏い、転がるように道の向かいまで駆け寄る。突然のことに道行く人々が彼女に注目するなか、中から男性が顔を出した。
「ま、まあ話は最後まで聞くものだぜ。ちゃんと聞いてくれれば、アンタにも利になるってことは十分解って」
「私が貴方に抱かれることで何の利があるというのですか!」
口髭を蓄えた小悪党、そんな印象を持たせるようなその男性は、顔に紅葉を張り付けたまま間抜けに口を歪ませた。向かいの壁に背を凭れ駆け出す準備をしている彼女に対して笑みを浮かべ、扉から半身を出したまま語り掛ける。
「そうは言ってないだろう。俺はただ、ちょっと部屋に来ないかと言っただけで」
「その下卑た目で誘っていないというなら私は貴方を信用できません!おかしいとは思ったのです、いつまでも仕事の話をしないばかりか、家から出ないようになど……囲い込んで一度抱いてしまえば私を物にできるとでも思いましたか!それとも、一度でも抱けばそれで満足ですか!獣め!」
「い、いや……だからそういうんじゃなくて……」
口では否定する男だったが、その目からは欲望が透けて見えていた。視線は女性が自らを抱くようにして隠している胸元に向けられ、明らかに頬も上気している。彼が女性に欲情していたことなど女性にとっては明白で、それどころか、通行人にも見透かされている。軽蔑の目で彼を見る視線に引け目を感じたのか男性はそこから追いかけてはいかないものの、それでも少しずつ離れていく女性を目で追っている。
「同じことです。私が募集し尋ね書を書いたのは仕事のパートナーであって、私を女としてみる人間ではありません!どういう理由で入浴後私室に異性を招く必要があるのですか!他のメンバーもいないのに仕事の話をしようとでも言うつもりでしたか!」
「いや、だからさ……」
「お話は無かったことにさせてください!これで失礼します!二度と私の前に現れないでください!」
畳みかけるように叫び、翻って女性は走り出す。夜闇に消えていく彼女に男性は何も言うことができず、追いかけようにも周囲の視線に負け……嘆息して扉を閉めた。怒涛の展開に口を挟む暇も無かった通行人達も、二人を知っているわけでもないので無言でそれぞれの生活に戻っていった。
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(なんでっ、なんでなんでなんでなんで!!)
女性はそのまま路地をでたらめに駆け回っていた。はためくローブの下が少し見え隠れし、駆け抜けるだけで人目を引くのを振り切って人がいない場所にがむしゃらに走っていく。
女性の名前はナタリアナ。ローブの下にあるのは、彼女が忌み嫌い続けた自分の体だった。成人……15を少し超えた年齢ということを考えてもなお、異常な発育を遂げたその体はどうしても人目を惹く。身長は平均的で特筆するほどではなく、肉付きも特におかしなところはない。だというのに、通常制作されている服ではどうしてもはじけるギリギリになってしまうほど育ち切った胸と尻が揺れるのだ。合う服は無く、特注するほど金銭に余裕があるわけでもないので上からローブを羽織るしかないが、それではどうしても隠し切れない。それに、ナタリアナ自身が隠そう隠そうとしているのにも関わらず、やれ男を誘っているだの、女を武器にしているだのと言われることが数えきれないほどあった。
(どうしてっ、私っ……!)
これが娼婦ならそれで良かったのだろう。大きく張りのある体も、溢れ出る色気も、男性を惹き付けるだけなら役に立つ。そんな声がかかったこともある。法外な金額を提示され勧誘されたそれは即断ったが、この手を取るなら五年もあれば一生困らない財を築けると言った男の目に嘘は無かった。それが方便だったとしても、体を堕とせば稼げることなど自分で解っている。他に方法が無いから娼館に身を売るのとは違う。安全もそこそこ保障される、実利だけを考えるならそれが正解だと解っている。
(私は……ただ……っ)
それでも、そんなことはしたくなかった。娼婦を穢れたものだと思うナタリアナを誰が責められようか。それに、彼女には人を癒す魔法の力がある。他人に師事すればだれでも手に入れられる攻撃魔法とは違い、回復魔法は紛れもない天賦の才だ。それを使って誰かを助ける人間になりたかった。戦えなくとも、膂力が無くとも、彼女の力を必要とする人間は世界に数えきれないほどにいるのだ。
「はぁっ……はーっ……は……ぁ……」
走り疲れて、ナタリアナは誰もいない闇にへたり込む。その吐息だってきっと、男性の耳元で囁くぶんには天賦の才になりうるのだろう。それを選ばず、死んだ両親に顔向けできる方法を望んだのは彼女自身だ。どうせ他の仕事だって、男性と関わった時点でろくなことにならない。
しかし、現実は甘くはなかった。
回復魔法は天賦の才、だが、人の多い王都に来てしまえば村で唯一の力もそうではなくなる。昔、ナタリアナが三日三晩高熱にうなされた日の話、彼女は全身に火傷を負った致命傷の村人をも治してみせた。世間でそんなことが簡単にできないというのは自負している……が、それが何だというのだろう。
人間が移動するのには時間がかかる。超一流の魔法使いともなれば転移もできようが、それ以外は歩くか、馬車を使うか、海を渡るなら船に乗る。致命傷を負ってナタリアナを待てる人間はいない。いくら人の多い王都といえどもそんな事件が簡単に起こるわけでもないし、そもそも下手に無償で請けるわけにもいかない。
それ以前に、ナタリアナにはパートナーがいない。共に仕事を請ける仲間がいないから、おちおち遠出もできないのだ。自分の身を自分で守れない以上、他に人を雇わなければならない。その分費用が嵩み、だったら元々仲間のいる魔法使いの方が良いに決まっている。事実それを理由に何度も仕事を断られていた。
では、戦闘において役立つか、これもノーだ。致命傷でも何とかする能力自体は重宝されるだろう。しかし、それをいつ発揮するのか。発揮した後気絶してしまう彼女を誰が運ぶ?メンバーが致命傷を負うような状況で何ができる?
結果、ナタリアナの冒険者としての等級は鉄。五つある階級のうち、一番下のまま。定額報酬も無く、いつ食い扶持に困るかも解らない、それでも冒険者だから、犯罪に手を染めれば普通より重い刑罰が下る最低の立場だ。
「……あぁ……」
それでも諦めず探した仲間は、みな結局彼女の体しか見ていなかった。体の構造からしてそもそも戦闘をはじめ力仕事に向いているのだから、男性のいないパーティーなど皆無と言ってもいい。女性だけでやっていけるほど実力のあるパーティーならナタリアナを入れる理由が無い。この荒仕事は結婚すれば辞めていく者も多いし、既婚者だってナタリアナと距離が近くなればどうなるか解らない。結局何もできず、時々舞い込む王都での仕事や国が大々的に行う回復魔法使い募集だけでは日々を生きるのが精一杯。
金が無いから解決策も探せず、下手に助けを求めようものなら妙な視線を貰うことになる。詰んでいた。守ってくれる親もおらずこんな体質では村にも帰れない。相変わらず声だけはかかっている。明日も明後日も、会えるパーティーがいないわけではない。しかしそのどれも結末が目に見えていた。最近はメンバー全員が顔を出さず、日を改めて同じパーティーの別の人間から声がかかることもある。
「…………だめだなあ」
ナタリアナはぽつりと呟いた。一時期は無理矢理にでも自分の体に刃を入れて、与えられた才能で癒そうと思ったのだ。でも、自分への回復の効力は弱まるし遅い。死ぬ可能性におびえて、そして、忌まわしかろうと何だろうと親から貰った体に変わりはないことに気付いて泣き腫らし、もう少しだけ頑張ろうとしたのだ。
それが今日、どうなった。いつも通り組んでくれる人に会いに行ったら。最初からおかしくはあった。他の男のようにナタリアナの目を見て話そうとしない。それでも良かった。今更視線くらいはどうでもいい。よほどお堅い人間か、公の場か、そんなのでもなければナタリアナの体を見ない男などいない。
でも、部屋に連れ込まれたとき、もうダメだ、と解ってしまった。結局いつも通り外れを引いただけ。いつもと何も変わらない。
「…………だめだ」
もう一度呟く。昏い考えが頭を過る。この先もこの生活を続けていくのか。必要最低限のお金と、本当に一部の人間の擦り傷切り傷を治していくだけで一生を終えるのか。ナタリアナは聖人ではない。欲だってある。何も叶わないままよりは、一つ譲歩して男に抱かれる道を選べば、少なくとも美しいうちはどうとでもなるのではないか。幸い、今まで出会った男達は多少乱暴はしても暴力は振るわなかった。ナタリアナの容姿を貶めたくはなかったのだろう。勤め先は選ばなければならないが、自分の容姿なら嫌なら辞めるが通用するはずだ。新しい勤め先が守ってくれる。
(やっぱり私は……こういう生き方しか……)
だったらせめて、最初の一度くらいは、金ではなく。一時の情であったとしても、その方が良い。捨ててしまえば踏ん切りも付く。
かつ、かつ、と路地裏に靴音が響く。わざわざ夜一人で出歩く女などそういないだろう。夜闇にまぎれて見えはしないが、恐らく男性が歩いてきている。とりあえず引き留めてみて、顔でも見せてもらおう。少しくらい選り好みしたって何も言われないはずだ。
少しずつ足音が近づいてくる。完全に丸まって座り込んでいるナタリアナに、彼が流石に自分から声をかけてくることは無いだろう。酒場で飲んでいれば間違いなく声をかけられるが。
ちらりと彼の方を見る。軽装備だが長身で、歩き方からしても男性だろう。顔はフードを被っていてよく見えないが、自棄になったナタリアナは通り過ぎる彼にゆっくりと口を開いた。
「……あの、そこの方」
「……どうした」
静かな夜道でも男性の声は聞き取りにくい。低く、しかしそう年を取っている様子でもなかった。まあ若くて困ることはない。年下や未成年であれば困るが、声や身長からして考えにくいだろう。一晩過ごしませんか、と一言言えば良い。ナタリアナはいつもの調子で続ける。
「一緒に……冒険者をやりませんか」
「何……?」
が、口をついたのはそんな言葉ではなかった。この期に及んで、とナタリアナははっとなって顔を上げる。ふわついた髪と一緒にローブのフードが落ち、ナタリアナの顔が晒される。それを上から見下ろした男性が、口元しか見えないまま立ち止まった。ナタリアナの顔はもう見ているはずだ。体はまだ見えていないが、夜道で貧相な格好で一人の女性に話しかけられることの意味を知らないわけではないだろう。そうでなければ気味悪がって走り出すはずだ。
「あっ、こ、これは、違―――」
「……何ができる」
「―――え?」
そういう目的で話しかけたんではないんです、という何とも間抜けな言い訳をしようとしたナタリアナを、男は一言で黙らせた。目尻ギリギリまで膨らんでいた涙が引いていく。風船がしぼむみたいに、決めていた覚悟が消えそうになる。
(……い、いや違うっ、これは違う……!どうせこの人も、全部見たら……!)
唇を結び、見下ろしてくる男性を見返す。どうせ結末は変わらない。だったらどんな受け答えをしたっていいはずだ。わざわざ自分から売り込むよりも、向こうが勝手に欲情して襲ってきたという形の方が慰めにもなる。
「……回復魔法が使えます。それ以外は何も」
「回復ってのはどの程度できる。解毒は。修復は」
「……物の修復は不得手で何とも……解毒は一通りできます。回復は……後先考えないなら、即死でなければ何とでも」
馬鹿らしい問答が続く。どうせこの後少しすれば、お互い無意味になるというのに。それでも、彼にとりあえず拾われるために会話は続けなければならない。拾われて、その後は気に入らなければ逃げればいい。暴力に訴えかけられても……どうせ人生は終わっているようなものなのだ。傷は治せるし、痛いのだって一瞬、今後一生感じる心の痛みに比べれば大したことはない。
「どこまでなら普通に対応できる」
「……骨折を治したときは数十分ほど休ませていただきました。それ以下ならよほど連続にならなければ半日は持つと思います」
「……やってみろ」
そう言うと、男はどこからか短剣を取り出し、袖を捲った。何の装飾も無いただの刃物を、躊躇無く腕に滑らせる。細く赤い線が引かれ、滲むように液体が滴る。地面に二滴、三滴、と落ちたところで、彼はその腕をナタリアナに突き出した。
月明かりが路地を照らす。ナタリアナをまっすぐ見る彼の目は、黒く死んだような目をしていた。
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