二話 小鳥と出会い

 やっぱり重いなぁ、と思いながら、下駄箱へ向かう途中だった。

 静かな廊下に、何か楽器の音が響く。それは驚くほど呆気なく私の心に入ってきて、きゅぅっと握って離さない。

 どこか寂しげ、かと思いきや一転して楽しげな音になる。

 その色の違う音が、響く。


 こんな事は初めてだ。心臓が一瞬止まったかと思った。


 なんの曲を吹いているのかわからない。そもそも、音楽には疎い。でも、どこか寂しげな音色に、心が惹かれる。

 気づいたら、足がその音の聞こえる方へと向かっていた。上の方、右の方、その角を曲がった先。

 音が一番大きい場所に辿り着いた。ドアの窓から中を覗くと、何かを吹いている子がいる。背中しか見えないけど、恐らく男の子。


「おや、新入生?」


 後ろから声が聞こえて、驚く。心臓がぴょんと跳ねる。ドクドクとうるさい。

 振り返ると、知らない女の人が立っていた。上履きの色が赤い。一つ上。

 彼女はカラカラと笑って、どこか楽しげに話す。


「そんなに驚かなくてもいいのに。なになに、あの楽器が気になるの?」


 両肩に手を置かれる。ビクッと体が魚のように跳ねた。

 初対面なのにこの距離は聞いたことがない。

 さらにそこに。


「てかリュックでかっ、あたしより背小さいのによく頑張るねぇ、この中重そーだね」


 怒涛の質問攻め。


 やばい、まずい、逃げられない。


 心が未知の体験に焦っている。ドッドッドッと鼓動が速い。速い。とにかく速い。

 何をすればここから逃げられるだろう、なんで私はここに来たんだろう、さっきの行動を光の速さで後悔する。


「あっ、あたしフルートパートのいとかわです、まずは名乗らなきゃねとアニメキャラが言ってた、君の名は?」


 ってそれはどっちかってと糸魚川だね、あははっと一人でとても楽しそうだ。

 ……本当に、一人で楽しそうだ。


「あっ、いとは単純に糸で、かわも単純に川なんだ、小一の漢字で苗字がかけちゃう! で、君は君は? って、上履きに書いてあった! おぉ〜、君も『かわ』だけど川じゃないんだ、これはぬのかわさん?」


「……先輩、何してるんですか? その子相当困ってますけど」


 盛大なため息と共に人が現れる。いつの間にかドアが開いていたようだ。右手には楽器が握られている。

 すごい呆れた表情だ。背がそこそこ高い。


「だーかーらー、あたしのことは『まいちゃん』と呼びなさいといってるでしょ?」

「はいはい、まいちゃん先輩何してるんですか、正直うるさくて集中できません」

「あたしはね、ここでなーんかキラキラした目でドアを見つめてるかっわいい少女がいたから捕まえてたの!」

「そうですか」

「わぁ冷たい! まるで冬場の水ね!」

「……頭のネジどこに置いてきたんですか?」

「うぅん、トイレ?」

「一緒に流したんですね」

「……なんでそこでいい返答するのよ……」

「親がお笑い芸人だから?」

「そなの!?」

「嘘でーす」


 はぁ、とため息をつき、彼は楽器から吹き口のようなところを外して咥える。ふっと一つ息を入れると、小鳥がちゅんと鳴いてるような音がした。思い切り吸って吹き込むと、鳥が叫んでるような音。驚いて目をぱちぱちさせる。


「……君のその目は何、これが気になるの?」


 咥えていたものを離して、手渡そうとしてくる。


「驚いてるねぇぬのかわちゃん」

「……あぁ、よく見れば。隣の席の布河じゃん」


 え、と声が漏れ出る。

 確かに上履きの色は同じ緑だ。


「なぬっ!? これはふかわと読むのか!?」

「ぬのかわではないですね」

「これは……! 世紀の大発見だ!! 大変だぞよしの隊員!」

「普段すけちゃんなのにどうしたんですか」

「隊長命令だからだ!」


 はぁ、とまたため息。


「よくわかんないけど、まあどうでもいいや。吹いてみるか?」


 目をまっすぐと見つめられる。

 思わず縮こまる。目を逸らす。上履きには丁寧な字で『吉野』と書かれていた。

 どうしようか、断った方が安全だろう。でもせっかく誘われたのに、断っていいのかな。思考がぐるぐる回って、簡単に判決が下されない。


「……よしわかった、吹こう」


 まだ何も返事をしていないのに、と顔を上げると、ニヤリとどこか怪しげに笑う吉野くんと目が合った。

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