第9話

 男と少女は森の中を並んで歩いた。おぞましい催事の最中なのに、少女はまるでピクニックに来ているかのようにはしゃいでいた。


「おじさんは欲望の果実に何をお願いするの」


 少女にそう聞かれると男は正直に思いを寄せる女性を自分のものにする事だと言った。


「素敵な願いだね。」


少女は笑って言った。


「素敵じゃないよ。」


男は真面目な顔で答える。

どうして、と少女が尋ねると男は答えた。


「私はここに来る途中二人も人を殺めてしまった。一人は昔からの友だった。もう一人は罪のない城主だ。私が下らない欲望を抱いて村を出たりしなければそんな事は起こらなかっただろう。」


 男がそう言うと少女は少し悲しそうな顔をして、そうなんだ、と呟いた。


「君は何を願うんだ?」


男は尋ねる。


「僕は、」


少女はそこで言葉を止め、少し考えるようにしてから言った。


「裕福な生活かな。ずっと不便な暮らしをしてきたから。」


それから少女は急に足を止めた。表情が険しくなる。男がどうした、と尋ねる。


「血の匂いがする。」


 少女は答えた。それから、こっちの方から、と言って少女は駆け出した。男はやむなくその後を追う。


 男と少女は木陰に隠れ、林間に出来た空地の様子を窺った。そこには金髪の女性が剣を片手に立っていた。服は暗褐色の血で染め上げられている。鋭い瞳で地面に転がった大きな物体を見ていた。


 それは頭部が切断された人間の胴体だった。その大きな体は人間というより西の山に住むと言われるトロールを連想させた。切断された頭部はと言うと、金髪女が剣を持っていない方の手で髪を掴み、そこから軒下に吊るされる玉ねぎのようにぶら下がっていた。二、三発殴られたような形のその顔は苦悶の表情に歪んでいる。切断された警部からは血がポタポタと垂れ、地面へと滲んでいく。男と少女が隠れている木陰とは別の木陰から拍手を送る音が聞こえ、金髪女はそちらを向く。


「素晴らしい闘いだった。あなたの剣技に見惚れてしまいました。しかしあなたは少々容赦のない人のようだ。」


 木陰から姿を現したのはとてつもなく顔の整った男だった。長い髪を後ろで縛り、全身を高価な鎧で纏っている。金髪女は持っていた頭部をポイっと放るとふんと鼻を鳴らした。


「私はこいつに教えてやっただけさ。私に不用意に手を出したらどうなるかをね。それで、あんたは何の用だい?」


「あなたの剣技を見て一戦交えてみたくなりました。かねてから我々は一つの報酬を奪い合うもの同士。ここで一勝負お願いできないでしょうか。」


長髪男は真剣な顔で言った。


「上等じゃねえか。」


 金髪女は残忍な笑みを浮かべる。それは百戦錬磨の王宮騎士でも度肝を抜くような決闘だった。二本の剣は鋭い音を立てて激しく交じり合い、火花を散らした。

そうかと思うと急に二人は間合いを取って無言で睨み合う。息もつかせぬ攻防の最中、長髪男は金髪女に向かって言葉を放った。


「やりますね。これほど腕が立ち、美貌も兼ね備えているのにあなたはこれ以上何を望むのですか。」


「私の望みは地位と名誉だ。この国の人間が私の名の下にひれ伏す程のな。」


「そうですか。あなた程の力があれば、欲望の果実など無くともそんなも簡単に手に入るだろうに。だが、私も負ける訳にはいかない。必ず助けると病の床に臥せる弟に誓ったのだ」


 そう言って長髪男が剣を構え直した時だった。身の毛もよだつような獰猛な鳴き声が木立の中から聞こえた。その場に居た全員の視線が木立の中へと向けられる。そこに居たのは巨大な熊だった。体長は立ち上がれば優に二メートルを超えるだろう。ひどく憤っているようで鼻息を荒くしていた。もしかしたらこの森の主なのかもしれない、と男は思った。自分の縄張りを冒されて怒り心頭に発しているのだろう。巨大熊は剣を持った二人の人間を恐れる様子がなく、今にも二人に襲い掛かろうとしている。


「これは一時休戦ですね。協力し合わなければ二人とも殺されてしまうでしょう。」


 長髪男は熊に剣を構えたまま金髪女に言った。金髪女がちっと舌打ちをし、熊に剣を構える。巨大熊は立ち上がると二人に襲い掛かった。その熊の初撃を避け、長髪男が熊に切り掛かろうとした瞬間だった。木陰から様子を見ていた男は自分の目を疑った。金髪女が長髪男を背後から剣で貫いたのだ。長髪男は信じられないという表情で自分の胸から突き出た剣の切っ先を見ていた。それから呻くように自分の背後にいる金髪女に言った。


「貴様、何が名誉だ。貴様を末代まで呪って」


 長髪男が全てを言い終わらぬ内に巨大熊は長髪男の体をがしりと掴むと、ごりっというおぞましい音を立ててその頭蓋骨をかみ砕いた。今まで木陰に隠れていた男はその光景を目にした瞬間、少女を連れてその場を離れた。決して誰にも悟られぬように。その光景は男に確固たる恐怖を与えた。それは巨大熊に対する恐怖ではなく、金髪女の心に潜む悪魔的な何かに対する恐怖だった。あの女には金輪際関わりたくないと男は思った。出来れば巨大熊の餌食になってほしいと願ったがすぐに背後から断末魔の獣の鳴き声が聞こえた。男は少女の手を引いて必死に走った。金髪女の心に潜む悪魔的な何かから逃げるように。

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