第2話
翌日、男は村長の元へ出向いた。王宮からの手紙を見せ、三週間ほど村を開ける旨を伝えた。村長は手紙を見て随分と驚いていたが快く了承してくれた。
「お前が無事帰って来る事を願っておるよ。餞別だ。持って行け。」
そう言って村長は若い頃戦で使ったという剣を男に渡した。それから馬小屋に繋いである牡馬の中でどれでも好きなのを持って行っていいと言った。男は村長に深くお礼を言い、村長宅を後にしようとした。その時、村長は付け加えるように言った。
「そうだ。王宮に向かう途中山を一つ越えるだろう。山中にある古城には決して近づくな。そこに住む者は気が触れておるという噂だ。」
それから男は自分の仕事仲間に挨拶をして回った。仕事仲間の多くは自分が村を離れることを快く思わなかったが、王宮からの手紙を見ると納得してくれた。
「王宮から招待状とはいい身分になったもんじゃねえか。朗報を期待してるぜ。」
男の昔からの友は言った。それからいつ出発するのかと男に尋ねた。明日にでも発ちたいと答えると昔からの友はひどく驚いた顔をしてそいつはいけねえと言った。
「親友が壮途に就くんだ。祝杯を上げさせてくれよ。」
その夜、二人は盛大に飲んだ。仕事の話、子供の頃の話、とにかくありとあらゆる話を酒の肴にした。そうして夜は更けていった。
明くる日の朝、男は村長にもらった馬に跨り村を出た。王宮までは馬に乗っても片道一週間はかかる。まず今日向かうべくは隣町だろう。町から町へと移動し、そこで宿を探す。男が手綱で叩くと馬は一鳴きした後、荒原を駆けだした。
それは隣町を目前にした頃だった。男は町の近くを流れる川のほとりで馬を休ませていた。日は随分と西へ傾き、荒原を怪しく染め上げていた。男は吹き抜けていく面妖な風の中に何者かの気配を感じ取った。見ると兜を被った人物が鉞を手に近づいて来る。男は剣の柄に手を掛けた。何者だ、と声を上げる。
兜はその問いに応えず距離を詰め、鉞を振り上げた。男はすかさず剣を抜き、振り下ろされた鉞を受け止める。そのあまりに強い力に呻き声を上げ、剣を手放しそうになる。兜は再び鉞を振り上げ、男の命を奪おうとする。一体何者なんだ。どうして自分の命を狙うのか。
男は混乱する頭で必死に振り下ろされる鉞を凌いだ。それはふとすれば見落としてしまいそうな刹那の事だった。兜の攻撃の合間に隙が出来たのだ。男はほとんど何も考えず身を屈めて剣の切っ先を兜の心臓へと向けた。男は全体重をかけて兜に突進し、その心臓を貫く。
その瞬間、兜は地面へと倒れ込み、数秒間呻いて絶命した。地面に暗褐色の血液がじわりじわりと広がっていくのを男は茫然と見ていた。気付いたら人を殺めてしまっていた。これは仕方のない事だったのだと自分に言い聞かせる。おぞましい感触を感じながら剣を抜くと、そこからも血潮が噴き出す。男は恐る恐る自分が殺めてしまった者の兜を外した。一体何者なのだろうか。その顔を見た時、男の心臓は凍りついた。
この男は昨日、私に祝杯を上げてくれた男だ。ずっと昔から仲の良かった男だ。一体どうして。どうしてなんだ。男は目に涙を浮かべた。それから一頻り叫んだ。独り、地平へと続く荒原の中で。
明くる朝男は町中の宿で目を覚ました。脳裏には未だ昨晩の惨劇が焼き付いている。男は額に溢れ出る脂汗を手で拭った。なぜ旧知の友は自分を襲うような真似をしたのであろうか。村を発つ前、彼は確かに心からの祝杯を上げてくれた。自分と彼の間柄に曇天の如き影は一つとして無かったはずだと男は思っていた。だが、これもまた自分の思い込みであったのかもしれない。男は宿を後にして町中で食糧や物資を買った。この町には男が思いを寄せる女性が暮らしている。
今はどうしているのだろうか。きっと貴族の夫と仲睦まじく暮らしているのだろう。もしかしたらそれで良いのかもしれないと男は思った。自分が歪んだ欲望を持って村を出たりしなければ、友人をこの手で殺めることもなかったかもしれない。しかし男には今更引き返すという選択肢はほとんど残されていないように思われた。友人を殺めた罪を背負って独り細々と生きるなど耐えられないと思うからだ。結局その町にいる間に男が思いを寄せる女性に会う事はなかった。
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