4-4

「カイ、デートしようよ」

 その翌日の夜、いつものごとく僕の病室にやって来た夜は、開口一番そんなことをのたまった。

「……何を言ってるの?」

 僕はものすごく胡散臭いものを見るような目を向けたが、夜はまるで意に介した様子もなく「デートだよデート」と繰り返した。

「ハナが昨日言ってたよ。男と女が仲よくなるためには、デートをするのが一番だって」

「ものすごく偏った見解だと思うね。そういう発想を恋愛脳っていうんじゃないかな」

「恋愛脳って何? ナポレオンは、吾輩の辞書に不可能という文字はないって言ったけど、私が見た辞書には恋愛脳なんて載ってなかったよ」

「ナポレオンの辞書には落丁があったんだよきっと。恋愛脳っていうのは、頭の中が恋愛のことでいっぱいな人のこと」

「それってつまりハナみたいな?」

「……ズバッと言うね。でもその通りだよ。夜もあんまり春川さんの言うことは真に受けない方がいいよ」

 僕がため息混じりにそう言うと、夜はしばらくなにやら考え込んでいる様子だった。

「んー、でもハナのお話は楽しかったよ? 恋っていうのは、好きな人に会いたくて会いたくてたまらなくなるものだって言ってた。私もカイのこと好きだし毎日会いたいから、これって恋かな?」

「そういうことを本人に向かって言える時点で違うと思うよ」

「なんで? 図書室で恋愛がテーマになってる本も読んだことあるけど、よくわからなかったんだよね。心臓がドキドキするっていう描写があったんだけど、そうなるのは困るよ」

「そうだね。きみの場合特に」

「そうだよ。まあ恋愛のことは置いとくとしても、カイとはデートしたいよ。デートっていうのはお互いがすごく楽しくて幸せになる行為なんだって。それに思い出にもなるってハナが言ってたからね」

「思い出?」

「うん。ハナのお話を聞いてて思ったんだぁ。生きてる間にカイとの思い出をいっぱい作りたいなって」

「それは……」

 僕は言葉に詰まった。急にそんなことを言われて、なんて言えばいいのかわからなかったからだ。

 その言い方だと、まるで死ぬことを前提にしているみたいじゃないか。それとも、夜も本当は不安なのだろうか。そんなそぶりはまるで見せないけれど、もしかしたら手術が失敗するんじゃないかって、そのことを恐れているのか。

「あれ? どうしたのカイ?」

「……なんでもないよ」

 しかし、やっぱり夜はいつも通りの夜で変わりなかった。

 死の気配なんてまるでない、心臓移植が必要だとは到底思えないくらい元気な女の子。

「だからカイ、デートしようよぉ。ハナが言うには、デートってすごく楽しいことなんだって。カイの照れるところがいっぱい見られるかもって言ってたから、私絶対デートしたいんだよ」

「夜も春川さんも、僕に対する遠慮ってものがまるでないね」

 あまりにも身勝手な言い草に、僕は軽くめまいを覚えた。

 とはいえ、デートデートとうるさいくらい迫ってくる夜を跳ね返すほどの力は残念ながら僕にはなかった。

 僕にできることといえば、このまま流されるにしても、せめて兄さんのようになるためにデートくらい経験しておかないといけない、という自己弁護を試みるくらいだった。

「……それで、デートっていうけど具体的に何をするのさ」

「ハナによると、デートっていうのは男女が一緒にどこかに出かけて楽しむことなんだって。だからまずは出かけようよ」

 その言葉に従って、僕は先日と同じように夜に支えてもらう体勢で病室を後にすることになった。

 といっても行く当てがあるわけでもなく、僕達は深夜の人気のない院内をふらふらと歩き回るだけだった。

「ねえ、これってデートなのかな?」

「僕にはリハビリの一環としか思えないね」

「私はカイと一緒にいるだけで楽しいけど、でもなんか違う気がする。デートっていうのは特別楽しいものだって言ってたのに」

「まあ病院内じゃ代わり映えしないしね」

「どういうこと?」

「デートって大体、普段行かないような場所に行くものでしょ。だから特別感が出るんじゃないかな」

「あ、なるほど。カイは詳しいね。今までデートしたことあるの?」

 もちろんないのでここはノーコメントだった。全部聞きかじりの適当な知識でしかない。

「普段行かないような場所かぁ……どこだろ? カイはどこか知らない?」

「……休憩スペースとか?」

 僕が適当に答えると、夜はじゃあそこに行ってみようと言い出した。

 休憩スペースに着いて、二人で椅子に並んで座ってみる。

「あ、自動販売機だよカイ。私、お金持ってないけど」

「僕も持ち合わせはないよ」

 だけど、もちろんそれで何かが起こるわけもなく、虚しい空気が流れるだけだった。

「うーん、なんか違う気がする。もっと他の場所に行こうよ」

「どこに行くっていうのさ」

「今までカイと行ったことがない場所……中庭とか」

「こんな夜中に? そもそも閉鎖されてると思うよ」

「じゃあ……手術室?」

「そんなところになんで行かなきゃいけないの」

 そんなこんなで、僕達はいろいろとデートの場所を検討してはみたけど、所詮入院患者の移動できる範囲なんて限られたものでしかなかった。

 結局これといった場所も浮かばず、僕達はいつもの通りに院内をグルッと回らざるをえず、当然特別感など出るはずもない。

「うーん、デートって難しいね。。楽しむって言っても、デートじゃなくてもカイと一緒にいるのは普通に楽しいもんね。カイはデートで何をすればいいか知ってる?」

 夜が首を傾げながら訊ねてくるが、そんな質問をされても困る。

 世の中の人はデートで一体何をしてるんだろう。僕には見当もつかない。

「あ、そうだ。ねえカイ、私の心臓の音を聞く?」

「急に何を言い出すのさ」

「ハナがね、デートが盛り上がったらお互いの鼓動を聞き合うんだって言ってたよ。それが究極の愛の形なんだって興奮してた」

「今までで一番意味不明だね。そんなマニアックな愛の形なんて聞いたこともないよ」

 春川さんの個人的な嗜好全開の内容に、僕は辟易しながら答える。

「そう? 私はいいと思うけどなぁ」

 一方で夜は、それがまるで素敵な提案だとでも言うように笑っていた。

 同じ心臓移植を待つ身として、何かわかるところがあるのだろうか。そう考えると、急にそのトンデモな提案が重く感じられた。

「……聞かないよ」

 答える声も自然と重くなる。

 しかし当の夜はというと、特に気にした風もなかった。

「ちぇー、まあいいや。じゃあ、とりあえずハナのところへ行って報告しようよ」

「報告?」

「デートを実践したら、どんなだったかハナに教える約束なんだよ」

 そんな約束なんてしてたのかと思いながら、僕は引きずられるようにして春川さんの部屋の前までやって来た。

 今日は行くと言ってないのにこんな時間に訪ねていいものかと思っていたけど、夜がサッサとドアを開けてしまった。

 春川さんは昨日と同じようにベッドで寝ていた。一瞬眠ってるんじゃないかと思ったけれど、夜が中に入ると振り返ってこちらを見た。

「あ、先輩と夜さん……」

 その声はどこか元気がないようにも聞こえて、月光の加減か顔色も悪いように見えた。

「ハナ、早速デートしてきたよ」

「え、本当ですか? 是非聞かせてください」

 でも夜がデートという単語を出すやいなや、春川さんは目を輝かせて上体を起こした。

 早く早くと僕達が椅子に座るのも待ちきれないといった様子で、デートの経過を前のめりに訊ねてくる。

「……ああなるほど、場所の問題ですか」

 しかし話を聞いていくうちに、春川さんの顔にありありと落胆の色が浮かんだ。

「ちょっと先輩、だらしないですよ。ちゃんと夜さんをエスコートしないとダメじゃないですか」

「なんで僕のせいになるのさ」

「デートなんですから、男性側が女性を楽しませないとダメでしょ」

「そういう男女平等にもとる考え方には賛同できないね」

「私はカイと一緒で楽しかったよ?」

「くー、夜さんは健気ですねぇ。こんな可愛い彼女にデートもさせてあげられないなんて、彼氏としてどうなんですかって話ですよ」

「彼女でもないし彼氏でもないよ。そもそも病院内でデートっていうのが無茶なんじゃないか」

「確かにそうかもしれませんけど、二人がラブラブならたとえ場所がどこでも楽しいデートはできるもんですよ。手術室とかでも」

「勢いだけで無茶苦茶言わないでくれる?」

 それに僕達はラブラブでもない。というか、ラブラブっていうのはどんな状態なのか、僕には想像もつかない。

「しかしまあ、確かに雰囲気のある場所がないっていうのは困りものですね」

 僕をイジるのにも飽きたのか、やがて春川さんはちょっと真面目な雰囲気になってそう言った。

「どうすればいいのかな? カイとの特別な思い出が作れるような場所があればいいんだけど」

「うーん。その前にまず、そもそも夜さんが先輩と行きたい場所がどこなのかっていうのが大事じゃないですか」

「私が?」

「そうですそうです。夜さんが行きたい場所に先輩と一緒に行くからこそ特別なデートにもなるんですよ。そっち方面から考えた方がいいのかもしれませんね」

 一転して、それはまともな意見のように聞こえた。

 とはいえ、たとえそんな場所があったとしても、今の僕達に行ける所なんて基本的にないという事実は厳然としてあった。

「私の行きたいところ、あるよ」

 しかし夜は、そんなことなど気にする様子もなく、すぐにそう答えた。

「お、どこですか? 教えてください」

「海だよ」

「おお、海ですか。いいですね! 雰囲気もあるし、星空の下の海とかロマンチックですしね。夜さんは海が好きなんですか?」

「行ったことがないからわからないけど、行きたい理由があるんだよ」

「どんな理由です?」

「カイの名前だから。カイは漢字で海でしょ? だから海に行ってみたいんだぁ」

 それを聞いて、春川さんはポカンと口を開いて固まった。

 僕も似たような反応で、夜がそんなことを考えていたなんてまるで知らなかった。

「……いやいや夜さん、ちょっとそれ素敵すぎますよ」

 やがて春川さんはニヤニヤした顔で僕と夜を交互に見た。

「ぬはー、いいなぁ。やっぱり夜さんは最高ですよ。よし、そういうことなら是非行きましょう。海」

「ちょっと待って。勢いだけでそういう無茶なこと言っちゃダメでしょ」

「何が無茶ですか先輩。この夜さんの健気な気持ちを無駄にはできませんよ」

「そういう問題じゃなくて、現実問題どうやって海に行くのさ」

「決まってるじゃないですか。ちょちょいと病院を抜け出せばいいんですよ」

「それが勢いだけっていうんだよ。そんなことできるわけないし、大体ここは山奥だよ。抜け出したところで、あるのは木だけじゃないか」

 僕がそう言うと、意外なことに春川さんは余裕のある笑顔を見せた。

「ふっふっふ、ところがそうでもないんですよ。実はこの病院の近くに大きな湖があるんです。知ってました?」

「湖? いや、聞いたことないけど……」

「あるんです。歩いて行ける場所だそうですよ。海はさすがに無理でも、その湖なら十分行けますよ。そこなら特別なデートになるんじゃないですか?」

「湖……うん、行きたい! カイと一緒に見てみたい!」

 夜がぴょんぴょんと目を輝かせながら飛び跳ねる。

 その姿に、春川さんは得意げに「そうでしょうそうでしょう」と頷いていた。

「……で、どうやってこの病院を抜け出すの?」

「やっぱ無理ですかね?」

 けど僕がその根本的な疑問を提示すると、春川さんはすぐさまてへっと舌を出した。僕はため息を吐く。

 以前荒木先生に聞いたことがあるが、この病院のセキュリティはかなり厳重なものらしい。

 病院自体が高い塀に囲われているし、出入口はもちろん裏口も厳格に管理されている。夜中は当然施錠されるし、そもそも僕達は入院患者だ。夜中に抜け出す道理がない。

「湖、行けないの……?」

 それを聞いた夜は、まるでぬいぐるみを取り上げられた幼子のような悲しそうな顔を見せた。

 さすがに僕も、その表情には胸が少し痛んだ。普段が無邪気なだけに、無邪気な悲しみというのは純粋に重い。

 春川さんも「う……」と一瞬後ろめたそうな顔になったが、すぐに気を取り直したように口を開いた。

「そ、そうだ。代わりに星空なんてどうですか? それも結構ロマンチックですよ」

「星空なんてどこで見るの? 中庭は封鎖されてるし、窓から身を乗り出すとか?」

「違いますよ先輩。屋上です。病院の屋上に行けばいいんです」

 その言葉に、僕と夜は思わず顔を見合わせた。

「屋上なら病院内ですから行けるでしょ? そこでで仰向けになって、思いっきり星を眺めるんです」

「でも屋上も封鎖されてるんじゃないの?」

「先輩は甘いですね。立入禁止ってありますけど、ドアは内鍵です。余裕で突破できますよ」

 しゃあしゃあと言ってのける春川さん。口調から察するに、実際確認してみたこともあるようだ。

「……大した行動力だね」

「いえいえ、これも夜さんと先輩の恋を応援するため――」

 僕が呆れて肩をすくめると、春川さんは笑いながら胸を叩こうとした。

 だけどその瞬間、小さなうめき声と共に春川さんの動きが止まった。

「……春川さん?」

「あ、う……っ」

「ハナ!?」

 春川さんがパジャマの胸元を掴んで、苦し気に顔を歪める。

 と同時に、さっきまで規則的な信号を出していた心電図から、急にけたたましい音が鳴り始めた。

「カイ! ハナが!」

 夜が春川さんに駆け寄って何度も名前を呼ぶが、春川さんは苦しそうに喘ぐばかり。

 僕は突然の事態にしばらく呆然としていたが、やがて誰か人を呼ばないといけないことを思い至り、慌てて呼び出しボタンを探し始めた。

 だけどその瞬間、病室のドアが勢いよく開いて、医者と看護師数名がなだれ込んできた。

 医者はなにやら緊迫した様子で、看護師に指示を出しながら春川さんに処置をしていた。僕と夜はベッドの傍から弾き出されその様子ただ眺めているしかなかった。

「きみ達は自分の部屋に戻りなさい」

 やがて僕と夜の存在に気づいた医者の一人が、そう言って僕達を部屋の外へと追いやった。

 廊下に出て、閉じられた春川さんの病室のドアを眺める。

「……ハナ、大丈夫だよね」

「……うん」

 夜のか細い声に答える僕も、同じくらい心細そうな響きの声だった。

 僕達はなおしばらくの間、そのままドアの前に立ち尽くしていたが、やがてどちらともなく自分達の部屋に戻ることになった。

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