4-2

 リハビリと勉強を終えて自分の病室に戻ろうと歩いてると、休憩スペースに差し掛かった。

 基本的にここで人を見かけることはない。昨日は瀬戸先生が座っていたが、誰かが利用しているのを見たのはそれが初めてだった。

 けれど珍しいことに、今日も椅子に座っている人が一人いた。見ると、それは中学生くらいの女の子のようだった。

 薄いピンク色のパジャマの上にベージュのカーディガンを羽織った姿で、窓の外を眺めながらサンダルを履いただけの足をぷらぷらと揺らしている。

 格好からして入院患者の一人だろう。病室で寝ているのに飽きて、あんなところにいるのだろうか。なんにせよ、出歩くだけの元気があるのは結構なことだ。

 僕はそんなことを考えながらさっさと通り過ぎようと思ったが、その時ふとこちらを振り向いたその女の子と目が合った。

「あっ」

 するとその女の子は、僕の姿を見るなり驚いたような顔で声をあげた。その声が結構大きくて、僕は思わず立ち止まる。

「……なにか?」

 僕が訊ねるとその子は慌てた様子で立ち上がり、きびきびした動きでお辞儀をした。

「っと、すいませんでした。急に大声出しちゃって。まさかこんなとこでバッタリ出会うとは思ってなかったから」

 そうして「てへへ」と笑うと、ペロッと小さく舌を出した。

 その子供っぽい仕草は年齢相応で、小柄な身体も相まってひょっとしたら小学生かもしれないと思ったけれど、そんなことより僕は彼女の言葉の方が気になった。

 それはまるで、僕と以前どこかで会ったことがあるかのような言い方だったからだが、僕には目の前の女の子に見覚えなどなかった。

「えっと、きみは……?」

 僕が訝んでいると、女の子はまた「あっ」とまた何かに気づいたように声をあげ、なぜかビシッと気をつけの姿勢になって口を開いた。

「失礼しました。私は春川花といいます。園川中学二年生です。ソフトボール部に所属してました。ここにはこの春から入院してます」

「それは……ご丁寧に、どうも」

 いきなりはきはきとした口調で自己紹介をされ、僕は面食らいながらもかろうじてそう返した。

 もしかして自分も自己紹介しないといけないんだろうかと迷ったが、そうこうしているうちに春川さんはさらに言葉を続けた。

「いきなりお声をかけてすいませんでした。先輩の――……えっと、先輩であってますよね?」

「……まあ、僕は高校生だから、年上ってのは間違いないかな」

「先輩のお姿が急に見えたので、つい呼び止めてしまいました。今、お時間は大丈夫ですか?」

「リハビリも終わったばかりだから大丈夫だけど」

 僕がそう答えると、遥さんは「やった」と小さくガッツポーズをした。

「……その前に、あの、僕って春川さんと会ったこととかあったっけ?」

「いえ、ないですよ。ただ私の方は先輩の姿を見たことがあるんです。ちょうど、昨日の夜に」

 昨日の夜と聞いて、僕は目を見開いた。

「昨日の夜、先輩って女の人と一緒に歩いてましたよね?」

「……見てたの? どこで?」

「自分の病室です。眠れずにベッドに寝転がってたら、廊下の方から話し声が聞こえたんです。それでドアの隙間から覗いたら先輩と女の人が見えたんですよ」

 確かに病室の近くを夜と一緒に歩いていた。あの時、見られていたのか。全然気がつかなかった。

「それは……迷惑だったかな。うるさかったなら、ごめん」

「いえいえいえ、迷惑だなんてそんなこと全然ないですよ。声が聞こえたっていっても小さくでしたし、寝てたら気づかなかった程度ですってば」

 それでも病院内の静寂を僕達が破っていたこと事実で、申し訳ない気分だった。それに、夜に支えられて歩いている姿を見られていたかと思うと、なんとなく恥ずかしい。

 しかし、僕が再度謝ろうとすると、春川さんはそれを制して言った。

「そんなことより、私、先輩とお話ししたかったんですよ」

「え、どういうこと?」

「それはですねぇ、あんな夜中に女の人と二人で先輩が何してたのか、私、すごーく興味があるんです」

 そう言ってずいっと前のめりになる春川さんに、僕は思わず身体を引いた。

 春川さんの目は好奇心の光でキラキラと輝いていた。その輝きがあまりにも強くて、僕は一瞬たじろいでしまった。

「……あの、何言ってるのきみは?」

「あ、大丈夫ですよ。私、誰にも言いませんから」

「そういうことじゃなくて」

「スバリお訊ねしますけど……あの人は、先輩の彼女さんなんですか!?」

「……………………」

 絶句。

 こんなにハッキリと言葉を失ったのは、ひょっとしたら初めての経験かもしれない。

 この子は、何かとんでもない思い違いをしている。

「どうしたんですか先輩? ひょっとして図星ってやつですか!?」

「……待って。きみは勘違いしてるよ」

「勘違いって……もしかしてまだ彼女じゃなくて、友達以上恋人未満な関係ってことですか!?」

「だから、そうじゃなくて……」

「あ、でも待ってくださいよ? 知り合い同士が一緒に入院なんてまずあり得ないから、お二人はここで出会ったんですよね? それでそんな関係って、つまりは院内恋愛ってことですよね!? ぬはーっ!」

 ぬはーって。

 頬を赤く染めていかにも楽しそうにはしゃいでいる春川さん。その謎の迫力に圧倒され、僕は上手く言葉をつなぐことができない。

 そうこうしている間にも、春川さんの暴走は止まらない。

「そんなの超ロマンチックじゃないですか! いいなぁいいなぁ! しかもまだ恋人同士じゃないってところが超燃えますね! それなのにあんな夜中に密着して……! ぬはーぬはーっ!」

 どうしよう。これはどうすればいいんだろう。

 一人で盛り上がっている春川さんを前にして、こういう事態の経験がない僕は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 何を言っても藪蛇になりそうなのに、何か言ったら余計に藪蛇になりそうなこのどうしようもない感覚。

 とはいえ、やっぱり放置はできないだろうと考えて、僕は気が進まないながらも口を開いた。

「……あの、ちょっとだけ待ってくれるかな……」

「なんですか!? 恋の相談なら、全力でお受けしますよ! こう見えても私、ソフトボールではキャッチャーやってましたから!」

「うん、それ何の関係もないよね」

 早くも挫けそうな心を奮い立たせて、僕はなんとか続けた。

「とりあえず一度落ち着いて。いろいろと誤解してるようだから」

「誤解ですか?」

「まず最初に、僕と夜はきみが想像しているような関係じゃないってことを念頭に置いて話を聞いてほしい」

「ほうほう、あの女の人は夜さんっていうんですか。なんだかちょっと変わってるけど素敵なお名前ですね」

「本名じゃなくあだ名みたいなものだよ」

「すっごく可愛い人でしたよね。可愛くて美人。あんな綺麗な女の人、私初めて見ましたよ。そっかぁ、夜さんっていうのかぁ……」

「はいはい、ボーッとするのはいいけどちゃんと話は聞いてね。さっきも言った通り、僕と夜はそういう関係じゃないよ。ただこの病院で知り合って、話をしたりする程度の仲になったというだけの、まあ単なる知り合い同士って感じかな」

「えー、そんなのつまらないですよぅ」

「つまるつまらないの問題じゃないと思うけど?」

「単なる知り合い同士の割にはお二人はすごく親密そうでしたよ。そもそもギューって熱く抱き合ってたし」

「きみは記憶の補正力が強すぎるみたいだね。あれは抱き合ってたんじゃなくて、僕が夜に支えてもらってただけだよ。この通り、まだ満足に動けない身体だからね」

 僕は今も支えにしている点滴台を春川さんの前へと出した。あからさまに不満そうな顔をされた。

「でも、じゃあなんでそもそもそんな状態で出歩いてたんです?」

「それは……夜が僕のリハビリを手伝いたいって言うから、仕方なく散歩をすることになったんだよ」

「あんな夜中に?」

「夜の活動時間があの時間帯なんだ」

「じゃあ本当にお二人はただの友達で、先輩は夜さんに支えられて夜中にリハビリのために散歩してたってだけなんですか?」

「知り合いって言ったはずだけど……まあ大枠はその通りだよ」

「そんな、確かにお二人からラブラブオーラを受信したと思ったのに」

「アンテナが壊れてるか回路が混線したんじゃないかな」

 そんなありもしないものを勝手に受信しないでほしいと思いながら、僕は言った。

「はぁ……じゃあお二人の院内恋愛は私の勘違いってことですか?」

「最初からそう言ってるよね? というか院内恋愛って単語として存在するの?」

「うーん……でも、やっぱりお二人は普通の関係じゃないように思うんですけどね」

 春川さんはひょっとしたら、人の話を聞かない系女子なのかもしれなかった。

 とはいえ、確かに僕と夜との関係について正確には何なのだと問われたら、どう答えるべきなのかわからない。夜は友達とか仲よしとか言ってたけど、それも全然しっくりこない。

 知り合いという言葉は実に曖昧なもので、一見説明になっているようにも見えるが、その実何も語っていないに等しい言葉のように思える。

「とりあえず勘違いしてたことは謝ります。すいませんでした」

 春川さんは実は、ちゃんと自分の非を認めて謝れる系女子でもあったらしい。

「けど、やっぱりお二人のことが気になります。気になって気になってたまらなくなってきました」

「そんなこと言われても困るんだけど……」

「あの、よければ先輩のお話を聞かせてもらえませんか。私、先輩のことたくさん知りたくなりました。どうしてこの病院に来たのかとか、そもそもどういう人なのかとか」

「ちょっと待って。なんでまたそんな」

「なんでと言われても……そうですね、夜さんとのこともありますけど、先輩がこの病院で珍しいタイプの人だからっていうのがやっぱり大きいかもしれません」

「珍しいって?」

「ほら、先輩ってすごく元気じゃないですか。そういう患者さん、この病院にはまずいませんから」

 その言葉に、僕はハッと小さく息を呑んだ。

 不意に訪れた緊張が、自然と身体を硬くする。

「そういう意味では夜さんも同じです。昨日チラッと見ただけでもすごく元気そうでしたから、そんな二人が一緒にいたら気になっても当然じゃないですか」

「……元気って意味じゃ、春川さんも相当元気に見えるけど」

 僕がそう言うと、春川さんは「いやぁ」と照れたように笑った。

「そんなことないですよ。私も……相当ですから」

 初めて言い淀んだ春川さんに、僕は踏み込んではいけない領域に踏み込んだような感覚がした。

「最近ちょっと調子がいいってだけです。それまではずっとベッドの上でしたし」

「……そうなんだ」

 こんな時、どうリアクションをすればいいのだろう。

 深刻に受け止めても、軽く笑い飛ばしても、どっちも不適切にしか思えない。

 おそらく正解なんてないのだろう。この世界は正解のない問いをひょいと投げかけてくる意地悪な瞬間がたまにある。

 しかし春川さんは微妙な空気など気にした風もなく続けた。

「そんなわけで、私はもう先輩と夜さんに興味津々なわけです。お話し、聞かせていただいてもいいですか」

 お願いしますと、また礼儀正しくお辞儀をする春川さん。

 丁寧だけどやっぱり直球なそのお願いに、僕は困惑する。この病院で出会う女の子は直線的な性格しかいないのだろうか。

 正直気が進まないけれど、断ることはできないだろうなと思った。春川さんの領域を見せられたということもあるが、性格的に春川さんのような人には敵わないという直感が働いてしまったのだ。ある意味で、夜よりも厄介なタイプといえるかもしれない。

 僕が頷くと、春川さんは「ありがとうございます!」と勢いよく礼を言った。こういうなにかと力強い動作は体育会系のそれなんだなと思った。

「やったやった。やっと話し相手ができました。この病院にいる子達って基本的にみんな元気がないから、そもそも誰かとお話しする機会もほとんどないんですよ」

「……まあ場所が場所だから、それが普通なんじゃないのかな。春川さんみたいに元気な方が珍しいと思うよ。僕も人のことは言えないけど」

「いえいえ、私なんて元気なふりをしてるだけです。でも、ふりでもしないと本当に元気がなくなっていっちゃいますから。空元気も元気のうちなんです」

 むんっと握りこぶしを作る春川さんだけど、その振る舞いはとても「ふり」とは思えなかった。

「あ、ところで先輩のお名前を聞いてませんでした。教えてもらっていいですか」

 名前も知らない相手にグイグイ来れる春川さんはやっぱりすごいと思う。そういえば兄さんも、初対面の人とすぐに打ち解ける人だったなと思い出した。

 そんなことを考えながら僕もまた休憩スペースの椅子へと腰掛けて、春川さんと向かい合った。

 僕は自発的に何かを話すのが得意じゃない。それが自分のこととなるとなおさらだった。

 なので会話は主に春川さんの質問に答える形で進んだ。その途中、

「あ、私のことも先輩に知ってほしいので、先輩のことを一つ教えてもらったら、私も一つお返しに教えますね」

 そう言って、別に求めてもいなかったけど、春川さんも自分のことをいろいろと語った。

 園川中学の二年一組に所属しており、女子ソフトボール部のキャッチャーで、将来のキャプテン候補といわれてたこと。

 得意科目は体育と家庭科。苦手科目は数学。なのになぜか他の理科系科目の成績はよかったこと。

 一番の親友の名前はリコであること。小学校時代からの付き合いで、すごく可愛い子らしいこと。それにちょっと嫉妬したことも。

 初恋は中学一年の六月で、付き合ったはいいもののその相手とは一か月で別れたこと。恋は難しいけど、でも挫けるつもりはないこと。

「実際に付き合ってみると、全然違った感じになるなんて知りませんでしたよ。でもそれがわかったから、次の恋はもっと上手くできると思います」

 楽しそうに自分のことを語る春川さん。気がつけば、会話の比重は僕のことよりも春川さんのことの方が大きくなっていた。僕には語ることがあまりないという事情を考慮しても、春川さんは話をすること自体が大好きなようだった。

「趣味はこう見えてお料理です。たまに自分のとかお姉ちゃんのお弁当を作ったりもするんですよ。でも一番熱中してたのはやっぱりソフトボールでしたね。もうちょっとで大会ってところだったんですけど、残念でした。好きなことももちろんソフトボールなんですけど、それ以外なら恋バナが大好物です」

「……そうらしいね。わざわざ聞かなくても大体わかってたよ」

 そんな感じで、比率としては4対1くらいで春川さんが話す形で会話は進行していった。

 やがて僕がなぜこの病院にいるのかという話になった時、さすがに春川さんのトーンも落ちていった。

「……そうだったんですか。進藤先輩は事故で……。しかもお兄さんを亡くして……」

「そういうわけだから、僕は病気でここに来たわけじゃなかったんだ。手術自体も気を失ってる間に終わってたし、後はリハビリで回復を待つだけなわけだから、元気なのも当然といえば当然なんだ。ここでは僕は、いろんな意味で変わり種だろうね」

 涙ぐんでいる春川さんに、僕は淡々と事実を述べた。自分のことで誰かに泣かれたくなかったので、そういう空気を払うためでもあった。

「すごいですね先輩は。そんなひどいことがあったのに、もう立ち直ってるなんて。すごく強い人です」

 違う。立ち直っているわけじゃない。ただ僕は自分を捨てようと決めただけだ。

 僕は心の中でそう呟いたが、もちろんそんなことを表に出すつもりはなかったので、ただ無言で窓の外の景色を眺めていた。

「先輩の事情を教えてもらったんですから、私の病気のことも言わないとですよね」

「……別に、言いたくないなら言わなくてもいいよ」

「いえ、そんなのフェアじゃないです。それに私、病気のことで重い雰囲気になるのは嫌なんです。話さないとどんどん深刻になっちゃうじゃないですか。というわけで発表しますね。私は心臓の病気なんです」

「え」

 さすがに、僕は思わず春川さんの方に振り向いた。

「あ、やだなー。そういう反応やめてくださいよ。深刻なのは嫌だって言ったじゃないですか」

 春川さんはそう言って苦笑しているが、僕はただ目を見開くしかない。

 心臓。

 夜と同じだ。

 昨夜、心臓移植を待つ子が夜の他にもう一人いると言っていた。それは、この春川さんのことだったのか。

「ちょっと先輩、黙ったままでいないでください。なんとか言ってくださいってば」

「……ごめん。いろいろ驚いて」

「心臓の病気だって言うと、みんなそういう反応するから嫌なんですよ。私より深刻な顔してもらっても、こっちが困るんですよね」

「深刻になるなという方が無茶だと思うけど」

「お、いいですね。そういう軽快なトークがほしかったんですよ」

「別に軽快にしてるつもりはないよ。こういう場所だから、僕も多少の心構えができてたってだけ。ここは臓器移植専門の病院だって話だから、きみの心臓も……」

「はい、もちろん移植が必要です。ぶっちゃけ私自身の心臓はもうあんまり役に立たないんです」

「……本当にぶっちゃけるね。こっちも反応に困るよ」

「深刻に言おうがあけっぴろげに言おうが現実は変わらないんですから、だったらあけっぴろげに言った方がいいじゃないですか」

 春川さんはふんっと鼻息を出しながら、堂々とそう言い放った。

 しかしそういった開き直ったような態度を見せるほど、その裏に暗い影を感じさせるのもまた事実だった。

 たぶん春川さんはそういった影の中にずっと身を置いていることに、ほとほと嫌気がさしたのだろう。

「役に立たないとはいえ、私の心臓はまだちゃんと動いてますからね。深刻になるのは止まってからで十分です」

「……それは普通に手遅れだと思うよ」

「ちょっと、普通につっこまないでくださいよ。私の心臓の音、聞きます?」

「なんでそんな話になるのさ」

 だからこそ、この子はあえてこうして明るく振る舞っているのかもしれない。

 光が強いほど影が濃くなるのと同じように、影が濃いからこそ光り輝こうとするように。

「まあ……きみが回復することを心から祈ってるよ」

 僕はそう言って、暗にこの話の終わりを告げた。

 深入りはしない。ここが踏み込んでいいギリギリのラインだと、僕の無意識がそう告げていたのだ。

「ありがとうございます。とりあえず、これで私のことはもうほとんど話しちゃいました。あと残ってるのは乙女の秘密くらいですね」

「うん、それは絶対に話さないでね。僕も聞きたくないから」

「先輩はつれないですね。私のスリーサイズとか聞きたくないんですか?」

「中学生のスリーサイズを知ってどうしろっていうのさ」

 僕がそう答えると、春川さんは悔しそうに「くそー、いつか成長して先輩を誘惑してみせますよ」と謎の熱意を燃やしていた。

「先輩のこともかなりわかってきましたよ。この病院にいる経緯はもちろん、どんな人かも大体掴めました」

「どんな人だと思ってるわけ?」

「一見冷たい感じに見えるけど結構面倒見がよくて、クールな性格なようで熱い心もちゃんと持ってるって感じでしょうか。どうです? 当たってますか?」

「ごめん、なんかどうコメントしていいかよくわからない人物評だった」

 強いていうなら、春川さんは結構思い込みが強いタイプかもしれないという印象を持ったが、口には出さなかった。

 僕はちょうど話が途切れたタイミングでもあったので、そろそろ自室に戻らないといけないと告げた。

 別に用事があったわけではないし春川さんといることに不快感を覚えたわけでもないけど、こうも人懐っこい感じで距離を詰められ続けると、一度一人になりたいと思ってしまう。

「あ、私もそろそろ検査の時間だから行かないといけないんでした」

 幸い春川さんもそう言って立ち上がった。そしてそのまま解散という流れになるかと思ったが、春川さんは別れ際に慌てて僕を呼び止めた。

「そうでした。大事なことを忘れてました。私、先輩にお願いがあるんです」

「お願いって?」

「もちろん夜さんですよ。私、夜さんともお知り合いになりたいです。先輩、夜さんに私を紹介してくれませんか?」

「夜と?」

 そんなお願いをされて、僕はなんて答えればいいのかすぐに判断がつかなかった。

 春川さんはそんな僕の反応に、慌てた様子で付け加えた。

「あ、もちろんお二人の邪魔はしませんから。ほんの少しお話させていただければって感じで。検査が終わったらまたここに来ますから、その時夜さんと合わせてもらえたらなーなんて」

「……あ、いや、それは無理だと思う」

「そこをなんとか! 私、夜さんとすっごくお話してみたいんですよ!」

「そうじゃなくて、時間帯の問題なんだ。たぶんだけど、夜とは昼間の内は会えないと思う」

「どういう意味ですか?」

「夜が起きてくるのは夜中なんだ。僕も深夜以外で夜とは会ったことがないから」

「そうなんですか? じゃあお二人は、夜中にどこかで待ち合わせしてるとか?」

「違うよ。夜の方が僕の病室に押し掛けてくるんだ」

「先輩の部屋に来るんですか!? それはまた、ぬはー!」

「すぐにそっち方面に話を持っていかないで。本当に文字通り押し掛けてきてるだけだから」

「でもでも、夜中に先輩の部屋であい……あい……」

「逢引きって言いたいなら、絶対違うからね」

「でも、会ってるのは事実なんですよね? いいなぁいいなぁ憧れちゃうなぁ。超ロマンチックじゃないですか」

「あれがロマンチックだっていうなら、僕はロマンって概念自体を疑うね」

「ところで『あいびき』ってお肉とは関係あるんですか?」

「図書室で辞書を引けばいいよ」

 そんな頭が痛くなるような会話が続いた後、春川さんは少し考え込むと、やがて「はいっ」となぜか手を挙げた。

「えっと、つまり夜さんと会いたければ夜中じゃないとダメってことですか? だったら、私もその時間に先輩の部屋に行けばいいですよね」

「やめて。これ以上僕の平穏を乱さないでほしい。というか、さすがにそんな夜中にきみを病室から出すわけにはいかないよ」

 春川さんはさすがにこれには反論しなかった。心臓に病気を持っている身で深夜に出歩くなんてあり得ないという自覚はあるのだろう。

 とはいえ、それは夜も同じはずなのに、瀬戸先生はどうして許可しているのだろうか。

「じゃあですね、夜さんに私の病室に来てもらうというのはどうでしょうか」

 そんなことを考えていると、春川さんは次にそう提案した。

「先輩から夜さんに言ってもらえませんか? お会いしたいって切望してる春川花っていう女の子がいるって」

「僕から夜に?」

「はい。それで夜さんがOKしてくれたら、私の部屋に来てもらえたらなって。どうかお願いします」

 熱心に頼み込んでくる春川さんに、今度は特に断る理由が見当たらなかったこともあり、僕はついには頷かざるを得なかった。

 春川さんは「やった!」と飛び上がり「絶対に絶対にお願いしますね!」と、絶対という言葉を繰り返しながら何度も念を押した。

「私の部屋は三階の一番端っこです。ずっと徹夜して待ってますから、先輩頼みましたよ」

「そういうプレッシャーをかけるのはやめてよ。行くとしても夜中の二時以降だから、それまでにはちゃんと睡眠をとってて」

「はい! 検査が終わったら速攻で寝ます! 眠くなくても無理矢理寝ますから、それじゃお願いします!」

 顔中にうれしそうな笑みを浮かべたまま、春川さんは軽い足取りで休憩スペースから去って行った。

 さすがに走ったりはしていないが、スキップをしているように見えたのは気のせいということにしておこう。きっと心臓病にも色々あるのだ。

 僕は春川さんを見送った後、点滴台を支えにゆっくりと立ち上がり、自分の病室へと向かった。

 頼まれた以上はやるしかないけど、夜は一体どう答えるだろうか。

 僕はなんとなく気の進まない気分を引きずったまま、陽光の差し込む廊下を歩き続けるのだった。

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