3-3

「あはははは。はい上がりー。まったく、カイは弱いなぁ。あはははははは」

「……うん、少しでも心配した僕がバカみたいだったね」

 その夜、今日も今日とて僕の病室にやって来て、トランプをぶちまけながら大笑いしている夜に、僕はげんなりとしながら呟いた。

「ん? なに? 何か言った?」

「何でもないよ。夜は今日も嫌になるくらい元気だなぁって思っただけ」

「うん、元気元気。元気だから、私のことなんて心配しなくても大丈夫だよ」

「……ちゃんと聞こえてるんじゃないか」

「でも、カイが私の何を心配してくれてるのかはわからないよ? 心配してくれてるってこと自体はうれしいけど。えへへー」

「僕の気の迷いだったよ。きみみたいな元気なのが心臓の手術程度でどうにかなるわけないよね」

 僕は最後に手に残ったジョーカーを放り投げながら、やや不貞腐れた気味にそう言った。

「あ、なんだぁ、カイは私の手術のことを心配してくれてたんだね。えへへー」

「昔のことはもう忘れたよ」

「えへへへへー」

「そのだらしない笑顔はやめてくれる? なんだかすごくバカにされてる気がする」

「バカになんてしてないよぅ。本当にうれしかったの。でも、心配はいらないってのも本当だよ」

 夜はベッドの上に散らばったトランプをかき集めながら、相変わらず「えへへー」と笑みを浮かべていた。

「カイはさぁ、心臓移植手術の成功率って知ってる?」

「そんなの僕が知るわけないよ」

「統計はいろいろあるけど、大体3年生存率で90%くらいあるんだよ」

「……そんなに高いんだ」

「そう、移植手術はまず失敗なんてしないんだよ。だから大丈夫。失敗なんてしてもらっちゃ困るよ」

「そりゃ困るだろうね。命にかかわることなんだから」

 なんてのん気な会話だと、僕は安堵しつつも呆れてしまう。

 少なくとも夜自身が手術に不安を覚えていないのは確かなようで、それなのに僕の方が心配しているという図式は滑稽以外の何物でもなかった。

 もう、このことについて考えるのはやめよう。

「いやぁ、しかしカイが私のことをそんなに心配してくれてるなんてねー。やっぱりカイも私のこと大好きなんだなぁ」

 ……さもないと、こんな風にどんどん調子に乗らせていくばかりだから。

「都合のいい解釈をしてるね。心臓移植なんて聞いたからちょっと驚いただけだよ。それに心配というか興味の部分が大きいね。心臓移植をするのが夜じゃなくて近所の野良猫でも、同じくらいの興味は抱いたよ」

「野良猫も心臓移植するの?」

「そういう小説があったら読んでみたいところだね」

 僕はやや突き放すような口調でそう言ったが、夜はニマーッとした笑みを浮かべながら「くふっ」と声を漏らした。

「カイは照れ隠しが下手だよねぇ。そういうわかりやすいところも大好きだよ。あと、やっぱりカイの悔しそうな顔は最高だね」

 ニヤニヤと、実に腹立たしいことこの上ない。

 ムカつくけど面と向かって言えないからやっぱり余計にムカつく表情選手権があったら、夜は間違いなく優勝できると思う。

 我ながら、変な隙を見せたのは迂闊だった。とはいえ、こういった話の流れになるのは今に始まったことじゃなく、最近はいつもこんな感じでからかわれるようになってしまったから厄介だ。

 というのも、夜はなんだか変わったような気がするからだ。

 もちろん最初からつかみどころのない性格だったのは確かだけど、最近は……なんというか、その部分に血が通ったような感じがする。

 出会ったばかりの頃の夜には、まるで作り物めいたような雰囲気があった。ともすれば、人形が動き出したのだといわれたら信じてしまいそうな、そんなぎこちない印象が言動の端々にも見られた。

 でも今は、そういった感じがかなりなくなってきているように思う。それでもふとした瞬間に、どこか現実感が希薄になるようなことも相変わらずあるけど、そういう機会も少なくなってきているような。

「どしたのカイ? 私の顔に見とれちゃってる? もー、カイったらカイったらー」

「……一人でなに勝手に盛り上がってるの。単にきみは随分とふてぶてしくなったなって考えてただけだよ。傍若無人なのは最初からだったけどね」

「まあ、私は急速に成長してるからね」

 僕の言葉に、夜はなぜか誇らしげに胸を張る。

「そんなポジティブな意味を込めた記憶はないんだけどな」

「カイと出会って成長してるのは本当だよ。カイの気持ちもわかるようになってきたし、ほら、カイとの会話もこんなにスムーズになった」

「単に遠慮がなくなっただけなのは成長とは言わないと思うよ」

「もう、カイはわかってないなぁ。本当に私は人間として成長していってるんだよ」

 不満そうに頬をぷくっと膨らませる夜。そこまで言うなら、相変わらずそういった子供っぽいところを年相応にまで成長させてほしいものだ。

 僕はそんなことを考えつつも、けれど同時に、夜が言っていることはあながち間違いでもないだろうなと考えていた。

 この病院に来る以前の記憶がない夜が、僕という話し相手を得たことで変化した。それを成長という言葉で表現しているのなら、夜の言っていることはきっと正しいのだろう。

「その証拠に、ほら」

「……なんで急に手を握るわけ」

「こうしたらカイはドキッとするでしょ? 頬がちょっと赤くなるもんねぇ」

「…………」

 もっとも、その変化のベクトルはロクでもない方向に向いているので全然喜ばしく思えない。

「とりあえず、僕はそろそろ眠たくなってきたからお引き取り願いたいんだけど」

 僕は夜の手からするりと抜け出しながら、明後日の方を向いてそう言った。

「何言ってるの。まだまだ遊び足りないよ。ほらもう一戦」

「二人でババ抜きって不毛すぎるでしょ。大体全然勝てないし、勝負になってないよ」

 そう、僕は夜にあらゆる勝負で勝てていなかった。

 今やってるトランプはもちろん、オセロでも将棋でも花札でも五目並べでも、とにかくあらゆるゲームで惨敗を喫していた。

 僕が特別弱いわけじゃない。ただ夜が強すぎるのだ。夜はまるで僕の考えを見抜いているかのように振る舞う。もちろんそれは錯覚だとしても、根本的な頭の出来の違いをひしひしと感じた。

「えー、じゃあ罰ゲームの質問ターイム」

「それもさ、別にもう罰ゲーム形式にしなくてもいいんじゃないの。訊かれたことには普通に答えるし」

 僕はここ数日、ひたすら夜からの質問に答え続けたことを思い出す。負け続けたということは、つまり罰ゲームである質問も受け続けたということだ。

 あまりにも大量の質問に答え続けたからか、もはや何を訊かれたのかさえ覚えていない。確かなのは、夜はもう研究家を名乗れるくらい僕のことを知り尽くしているはずという点だ。

「それじゃつまらないでしょ。カイと遊びつつお話もしたいの。もう、カイは全然わかってないなぁ」

「そんな心情わかりたくもないね。それで、何が訊きたいのさ。もう訊くことなんて残ってないでしょ」

「残ってるよぉ。一番訊きたいことが残ったままだよ」

「なに、一番訊きたいことって」

「カイのお兄さんのこと」

 不意に放たれたその一言に、僕はギクリとする。兄さんのことについては、最初に訊ねられた時以来話題に上ったことはなかったからだ。

 あの時、僕が答えたくないと思っているのを察知して夜は質問を取り下げた。以降、夜は僕に気をつかってか、兄さんのことは口に出さなかった。

 なのに、今突然それが飛び出してきたのだ。僕は驚いて夜の顔を見る。

「あ、別に教えてってことじゃないよ? すっごく知りたいけど、カイは話したくないんだもんね」

 けれど夜はいつも通りの笑顔のまま、そんなどこかとぼけたようなことを言った。

 わざわざ話題に出しておいて「教えてってことじゃない」というのは無理があるだろうと普通は思う。

 けれど夜の無邪気な表情を見ていると、その言葉に裏はないということはすぐにわかった。知りたくて知りたくてたまらないけど、僕が嫌なら我慢する。そんな子犬のような素直さだけがそこにはあって、僕は毒気を抜かれてしまった。

「……いいよ、別に。罰ゲームだっていうなら答えるよ」

 だからだろうか。気づいたら僕は自然とそう返していた。

 そんな自分自身に少し驚いたけど、それ以上に夜の方がビックリした様子を見せる。

「え、いいの? でもカイは言いたくないんでしょ? 本当にいいの!?」

「すごく前のめりになるね。どんだけ聞きたかったのさ」

「でもでも、カイが嫌なら別にいいんだよ? すっごくすっごくすーっごく聞きたいけど、私は我慢するから!」

「言葉と裏腹にプレッシャーがすごいんだけど。……でも、いいよ。確かに話しにくいことだけど、その理由も大したことじゃないしね……」

 そう、それは本当に大した理由じゃなかった。

 僕と兄さんの間に何か重大な確執があったとか、そういったドラマチックなことは一切ない。

 そこにあるのは小さな小さな僕の個人的な事情。ただそれがあまりにも小さすぎるが故に、誰かに話せるような類のものじゃなかっただけだ。

 自分の情けない姿を誰かに知られたくはない。でも夜になら――この素直すぎる少女になら話してみてもいいのかもしれない。

 そう考えて、ふと気づく。他人をここまで信用するのは、僕にとって初めてのことかもしれない、と。

「……兄さんと僕が双子だったってことはもう言ったよね」

 話し始めて、自分が少し緊張しているのに気がついた。

 しかしそれも無理はない。兄さんを語るということは、必然的に僕自身を語ることでもあったから。

 僕は慎重に、言葉を選ぶようにしてゆっくりと続けた。


 僕と兄さんは一卵性双生児だった。同じ遺伝子を持つ、天然のクローン。なのに僕達はまるで似ていなかった。

 遺伝子が同じなので外見なんかは当然そっくりだった。でも中身は全然違っていたのだ。

 一言で言えば、兄さんはとても優秀な人だった。完璧な人、と表現してもいいかもしれない。弟の僕から見たひいき目じゃなく、第三者の目から見てもそうだった。

 兄さんは頭がよかった。昔から成績は常にトップだった。運動神経も抜群で高校に入学した後もサッカー部ですぐにレギュラーになっていたし、男女関係なく誰からも慕われていた。教師陣からの信頼も厚く、有名なお嬢さま学校に美人の彼女なんかもいたし、そしてそんなウソみたいな優秀さにもかかわらずまるで驕ったところがない人だった。

 つまり、僕とは正反対の人間だったといえる。

 僕にないものを、兄さんは全て持っていた。逆に言えば、僕は兄さんから今述べた要素を全部取り除いたような人間だということだ。

 ただ勘違いしてほしくないけど、だからといって僕が兄さんのことを妬ましく思っていたとか憎んでいたとか、そういうことは一切なかった。

 だって兄さんは僕には特に優しかったし、いつも気づかってくれていた。ただ、僕がそんな優秀な兄さんの双子の弟(しかも遺伝子が同じの)だということが申し訳なかっただけだ。

 僕は兄さんのことを尊敬していた。心から尊敬していた。

 だからこそ、僕は常に息をひそめて生きてきた。目立たないように、兄さんに迷惑をかけないように、コインの裏表とさえ思われないように。

 誰も僕の存在を感知できなければいいのにと何度も思ったものだ。空気のようなとはよくいうけれど、僕は割と本気でそんな人間になりたいと思っていた。その方が誰にとっても平和なのは明らかだったから。

 とはいえ双子というのは嫌でも目立つ。一卵性双生児が珍しいのに加えて兄さんにそれだけ存在感がある以上、どうしてもその片割れである僕にもある程度の興味が向けられるのは当然だった。

 だけど残念ながら僕がその興味に込められた期待に応えられたことは一度もない。大体そういった興味本位で僕に近づいてきた人達は「なーんだ」と拍子抜けしたような、そしてどこか申し訳なさそうな顔をして去っていくのが常だった。

「お前って、陸のクローンみたいだよな」

 そんな言葉が投げかけられたのは、確か僕達が中学二年生くらいの頃だったと思う。

 そう言ってきたのはクラスメートの男子生徒だったと記憶しているけど、名前はおろか顔もハッキリ覚えていない。

 テンションとしてはごくごく軽いものだった。深い意味もなかっただろう。何人かの生徒が教室のすみで本を読んでいた僕の席に近づいてきて、いつものように兄さんと比較してあれこれと話しかけてきた中でポロッと何気なく出てきた言葉だった。

 軽い笑いを残して去っていく集団を眺めながら、僕は上手いことを言うものだなと素直に感心していた。

 クローンとは同一の遺伝子を持つ存在のことを指す。なので一卵性双生児をクローンと表現するのは何もおかしいことじゃなかった。けれどおそらく、その男子生徒がイメージしてたのはたぶんSFなんかでおなじみの体細胞クローンのことだったと思う。

 技術的な詳しいことは知らないのでさて置き、大体そういったクローンというのは創作物の中のイメージとして『オリジナルの劣化コピー』といった印象がある。少なくとも、僕にはあった。おそらく男子生徒も、それは同じだっただろう。意識的にか無意識的にか、そのイメージを込めてクローンという単語をチョイスしたに違いない。だからこそ、僕は上手いと思った。

 自分を卑下しているわけじゃない。公平で客観的な視線から見て、僕は正しく兄さんの劣化コピーだった。それでいいとも思っていた。

 だけど、兄さんは死に、僕だけが生き残った。

 しかもよりにもよって、兄さんの命を奪う形で。

 わかっていたことだけど、現実はどこまでも理不尽だ。


「……やっぱり、僕じゃなく兄さんが生き残るべきだったんだ」

 最後にそう呟いて、僕は兄さんの話を締めくくった。

 いつの間にか自分の思考に集中していて、夜にではなく自分自身に語りかけているような感じになっていた。

 考えていたことをどこまで実際に口に出したのかはわからなかった。けれど、僕が兄さんに対してどういった感情を抱いているかということだけはハッキリ伝わったと思う。

 僕が今生きていることを受け入れらない理由。だから兄さんの代わりになろうとしている理由。

 なんのことはない、全ては僕が無価値だからだ。他人が聞いたら鼻で笑うような、小さな小さなコンプレックス。まるで僕自身を体現しているような。

「……話は終わり。だから、大した理由じゃないって言っただろ」

 軽く首を振り、ふっと自嘲するように小さく笑いながら、僕は夜の方を向き直った。

 今の話を聞いて夜はどう思っただろう。僕のあまりの卑小さに、さすがに呆れかえっているかもしれない。

「うーん、ううーん」

「……何してんの」

 けれど夜は、なぜか腕を組んで難しい顔をしながら、しきりにうんうんと唸っていた。

 完全な想定外のその反応に、僕は思わず素で訊ねてしまう。

「いやぁ、なんだかよくわからなかったんだよね。カイのお兄さんが優秀な人だっていうのはわかったんだけど、それでどうしてカイじゃなくお兄さんが生き残るべきだったなんて言うのかなって」

「それ、本気で言ってる?」

「? 本気だけど? ……あ、でもでも、今のカイの話を聞いてすごくよかったことがあったよ」

「よかったこと?」

「うん。それはね、カイがお兄さんのこと大好きだっていうのが伝わってきたこと。ねえ、カイはお兄さんのこと大好きなんだよね?」

 満面の笑みでそんなことを訊かれて、僕は面食らいながらも思わず頷いていた。

 けど、今の話の流れで着目するポイントは明らかにそこじゃないと思う。

「うんうん、だよね。きっとさ、カイがお兄さんのこと大好きなように、お兄さんもカイのこと大好きだったんだよ。だからお兄さんは、自分の臓器を移植されてカイが生きてるのはうれしいと思ってるに決まってるよね」

 しかし夜はそう言って、一人で満足気に頷き続けていた。

 そこを取り上げてほしいわけじゃないけど、僕の兄さんへのコンプレックスなんてまるで眼中にないといった様子だった。いや、もしかしたらその辺りのことを理解していない可能性さえある。

 僕は拍子抜けすると同時に安堵もしていた。夜の反応で僕の中の何かが変わっていたわけでもないけど、それでも夜に自分の卑小さを曝け出すのは怖かったから。

「というわけだからカイ、生きててよかったーって思いっきり言ってもいいよ?」

「なにが、というわけだから、なのさ。言わないよ」

「なんでよぉ!」

 不満そうに唇を尖らせる夜を眺めながら、小さく自分を嗤う。

 他人にとっては本当にどうでもいいようなことに、僕は自分の人生を捧げようとしているんだと改めて気がついたからだ。

 だけど、かといって自分の考えを変えるつもりはなかった。僕よりも兄さんが生き残るべきだったという考えに変わりはないし、だからこそ兄さんの代わりになろうという決意も揺るがない。

 それが兄さんではなく僕が生き延びてしまったことへの、唯一の罪滅ぼしだと思っているから。

「むーっ、カイは意地悪だぁ」

 僕がそんなことを考えているとも知らず、夜は子供のようにぷくっと頬を膨らませるのだった。

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