第7話

 錆付いていない鎖と、空いている南京錠が扉片隅に置かれてあった。彼女の方を見ても首を横に振っていたので元から外されていたものだろう。それにしてもまだ綺麗な南京錠だ。この学校も最近屋上への立ち入りが禁止されたんだろうか。

 屋上へと入る直前、彼女ははっと思い出したように僕を見た。


 「そういえば、なんか天文学部の子たち?が開けっ放しにしてたの見た」

 「………」


 僕は無言の圧力を彼女に掛ける。まさか勝手に出歩いていたとは。彼女はあからさまに顔を背けるけど、僕に行動を制限する権限はないことを思い出す。でもなんとも癪だ。僕が慌てて探していたというのに彼女は呑気にこんな場所まで……


南京錠とは反対に少し錆びた扉に手をかけるとぎぎぎ、擦れる音が響いた。

屋上に入ると、そこには開放感抜群な空間と、満遍の星が色付いた夜空が広がっていた。

僕は思わず息を飲む。

無数に輝く星々と夜空をくり抜いたように大きく光る満月。手で掴めそうなほど近いのに遠いような、簡単に握り潰せそうなほど儚く幻想的な景色だった。

実際朝になれば無くなるものだから、そう思ってしまうんだろうか。


「綺麗でしょ?」


僕は頷く。


「うん。とても綺麗だ」


普段よりも高い位置から見ているのもあってかより空が大きく見える。他には何の情報も入らず、切り取られた夜空だけが僕の視界を占領していた。

 彼女はというと一度来ていたのか僕ほど感動した様子もなく、ただ空を見上げては時々光る街並みに視線を落としていた。


「あんまり眩しすぎない方が、私たちには合ってるのかもね………」


 なんとも切実な声がこの空間に響く。


 「うん」


 僕は静かにうなづく。別に静かにする必要もないのだが、この空間では膜が張られていて、大きな音が出せないような妙な錯覚がしていたからだ。

 太陽のせいでこの光っている星や月は暗闇の中でしか光ることが出来ない。大きな光はそれだけのもの目を霞ませる。と当たり前のことを呟いていたが、その声はいつもよりもテンションが低く、達観したような視線で瞳を閉じていた。

そんな彼女を不思議に感じながらもわざわざ言葉には出さない。何か思い出すことでもあったんだろうきっと。

パッと瞳を開けばさっきまでのその暗い瞳に光が反射して映っていた。街の灯りや月の光が彼女の目に映ったのではない、これはきっと彼女のものだ。

その眩く映った瞳に見蕩れていると、彼女は静かに言葉を吐いた。


 「たまにね来ることがあったの。ここに来ると、悩みとか不安が吹き飛ぶような感じがして私にも生きてる感じがする」


 その横顔は幽霊などではなく本物の女子高生のような無邪気な顔で、とても綺麗で、ちゃんと人間だった。


 「私にとっては大きなことでもこの空にしてみればちっぽけで、考えることへの虚無感がすごかった。ああ、この空は悩んでる私にも手をさし伸ばさない、いや誰に手を差し伸ばすこともなく悠々と人の上に昇ってるんだ、て」

 「見守ってるの間違いじゃないの?」

 「そうなのかな。見守ってる割には意地悪な気もするけど」

 「意地悪?」


首を傾げる僕に彼女は説明した。


 「とっても意地悪。知ってるのに、見てるのにどこか楽しんでるように笑ってる気がする」


独特な擬人法に言葉の意味を理解しかねた。笑っているのか?僕には空に表情や感情は伺えない気がするが、と。そんな僕の考えを見透かしたように彼女は笑ってこう付け足した。


「空にだって、月にだって、宇宙にだって表情はあるよ。まあほとんど笑ってるけど。でも意地悪するってことはそれだけ私たちを愛してるからなのかもね」


と彼女はイタズラな笑みを貼り付けた。

それから僕に、好きな人には意地悪したくならない?なんて聞いてきたがどう考えてもならないだろうというのが僕の答えだった。

好意を寄せてるなら優しく接するのが普通だ。クラスメイトがよく隣席の女子にちょっかいを出しているのはそれが理由なんだろうか。そういうものに疎い僕にはわからなかった。

ただ、愛している、か。こういう時、小説でこんなシチュエーションがあったなら、なんて返すんだろう。気の利いた言葉なんて思いつかないがそれっぽい言葉を探してみる。


「そうだね。だから誰一人優劣を付けず、君にさえ平等に光を当ててる。君のこともしっかり見てるのは僕だけじゃないんだよ」


言いなれないような言葉に少し恥ずかしくなる。こんなキザはセリフは漫画や小説だけでしかかっこよく聞こえないみたいだ。

それでも彼女は驚いたように目を見開いて若干顔を赤らめる。そうして二人して顔を逸らす。こんな時月の光が照らしてくるのは意地悪だと思った。

彼女はしばらく驚いた顔をしてから目を伏せた。


「だといいね」


それからいきなり思いついたように言った。


「でもほんと、どいう原理なんだろうね。どうして君にだけ私が見えるんだろ」

「僕にもさっぱり分からないよ。ていうかそもそも幽霊を見るのだって初めてだし」


と言うと彼女は笑った。

いや笑っているようで泣いているような、よそよそしく見える彼女に違和感を覚える。

街と空を交互に見て、時々僕を見ては優しく笑った顔をする。僕に何かを悟られないように。テンションが高く能天気な彼女とはどこか違う雰囲気を纏う目の前の彼女。彼女はこの一日、果たして元から何かあったのだろうか。


 「何かあった」


 遮るように言葉を被せる。


「ここによく来るって言ったけど、私この場所と何の関係があるのかわからないんだ」


左耳を掻きながら彼女はなんともおかしいことを言う。


「偶然。ここら辺に通りかかった時、誰かの声がしたんだよ。誰の声かも、何を言ってるかも分からないけど私はその声のする場所に向かった。するとここに来たんだ」


何かを懐かしむ表情だ。


「もしかしたら関係あるのかもしれないよ?」

「そうなの、かな」


彼女は俯く。


「だとしたら、いいの、かな?……うん。きっとそれがいいんだろう………」


彼女なりの葛藤は諦めにも似た響きをしていて、どこか他人事のようでもあった。

「でも」と彼女は続ける。微かに吹く風と共に弱々しい声が耳に届いた。


「私、君に初めて言うけど………怖いんだ。記憶が戻るの」


それは初めて彼女が僕にこぼす弱音というものだった。死んだ時ですら飄々とする彼女だが、いや死んだことすらわからないから怖くなかっただけで彼女は今それを実感しているんだろうか。本当はもっと前からかもしれない。ただ僕が気づかなかっただけで彼女は自分を見失っていたことを怖がっていたのかもしれない。

やっぱり一人の女子高生で全て知っているわけではない。そんな彼女の孤独を僕は理解できていなかった。


「私はなんで死んだんだろう、戻ったらどうなっちゃうんだろうって考えれば考えるほどきっと良くない事のようで、とても怖いの」


僕はそんな悲しい横顔を見ることしか出来なかった。


「私は……どうして死んだんだろう」


吐き捨てられた不確定な問はただ空気となってどこかに消える。僕はその問への答えを持っていないどころか探すことを躊躇いつつあった。

もし記憶が戻れば彼女は本当に消えてしまうんだろうか。探さないといけない。でも、消えてはほしくない。そんな矛盾が胸の中で渦をまく。「記憶なんて探さなくてもいい」なんて無責任な言葉なんて吐けるわけない。

行き場のない感情を抑えぐっと拳を握った。


「ごめんね、君をこんなことに付き合わせて。あの時、あの場所で会ったから……」

「………僕こそごめん。君のことを知らないままで、何も見つけてあげられなくて」

「ううん、そんなことないよ。君は私のために時間を削ってまで付き合ってくれた。私はそれが心底嬉しいんだ」

「いや、僕は君に付き合ってるだけだよ。僕自身は何もしてない、まだ」


不満げにそう呟く僕に彼女は微笑んで返す。


「そうだとしても、ありがとう」


その言葉はまるで最後のようだった。過去を憂いるような別れの言葉だった。

そうして彼女は僕のことは見ず覚悟を決めたようにすっと空気を吐き出す。そして


「今日で、――――最後だから」

「………」


意味を理解しかねる僕をよそに彼女はすっと立ち上がり僕に背を向けた。

そうして空気と共に言葉を置いた。


「ばいばい」


彼女は振り向いて微笑んだ。優しく、悲しく。それは紛れもない別れの言葉。状況を理解できなくても体は不意に動いた。

僕は慌てて立ち上がり屋上から出ていこうとする彼女の腕を掴もうとした。その時……


僕の腕は彼女の手をすり抜けそのままバランスを崩してしまう。状況が掴めず手に目をやる。なぜ掴めないのか。疑問が浮かぶよりも彼女がいってしまう方が先だ。どうにか止めないと。

でもどうしてすり抜けたかわからない。幽霊に触れられないのは当然の見解だが僕はあの時、あの日彼女と出会った時はなぜだか手を交わし握手をすることができたんだ。それがなぜ今になって………いってしまう彼女を声でよびとめる。


「待って!」


僕はまた大声で叫んだ。屋上であの日説得したみたいに。彼女はそれでも足を止めない。構わず僕は説得する。


「まだ僕は君の記憶を探せていないし君もまだ思い出していないじゃないか。それなのに、これで最後?意味がわからない」


すると彼女は足を止めこちらを振り向く。その瞳はどこか哀れみを携えていた。


「君にはもう迷惑は掛けられない。無駄な時間を過ごさせるのも、こんな私を探すためにそんな疲弊することないよ。こっからは私ひとりで探すから、だからもう私から解放されて」


そう言われて気づく。彼女を探すためにとても歩いた僕の足はとっくに限界を迎え、いくら彼女を見つけて忘れていたとしても豆や靴擦れの痛みが悲鳴を上げている。それでも今はそんなことどうだって良かった。


「そんないきなり解放されてって、君が僕に探せって言ったのにそんな勝手な話」

「仕方ないじゃん!」


聞いたことも無い彼女の怒声に僕は口を噤んだ。


「私はただ、記憶を探すだけだって、でも君といたら………きっと私は後悔するよ……」


語気が強く圧倒され僕は何を言うことも出来なかった。彼女は頭を抑え首を振った。何かに迷っているのか、この行動は彼女自身、無意識に出たものらしかった。


「ごめん、なんでもない。ほんとに私のことはいいから、忘れて」

「そんなの無理だよ」

「いいじゃん。君には飯塚さんだっているし、私ひとりいなくなっても君は清々するでしょ?」

「そんなことない。それに君はこれからどうするの」

「一人で探す。記憶も、理由も全部。だからもう私に構わないで」


屋上から出る前「勝手でほんとにごめんなさい」と僕に顔も見せずに出ていった。

その背中を呆然と見つめることしか出来ない。足も動かない。声も出ない。僕に彼女を追う資格もなかった。僕は明確な拒絶をされた。僕が彼女と関わる理由は無くなったのだ。

もしかすれば彼女はこれを言うために僕をこの場所に誘い込んだのかもしれない。









 

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