第2話 幽霊

階段を登りきり息切れした状態で屋上の扉に対面した。既に屋上に続く階段はテープで仕切られていて行くには時間を要した。そこを抜けても屋上の扉はより強固にテープで通れないようになっていた。僕は心で謝りながらもテープを交わしたり、千切ったりし屋上の扉に手をかけ思い切り捻る。

ガチャんっと金属の擦れる音を立てて開く扉。その向こうにやっぱり人がいた。

腰まで伸びた綺麗な黒髪と、制服姿から伸びた手足を見ればわかるほど白く透明に近い肌に一瞬目を奪われるが、そんなのはすぐ吹き飛ぶ。見れば彼女は格子の外側に立ち今にも飛び降りようとしているからだ。


 「そんなところで、何をしているんだ!」


 久々に出した大声と走ってきた息切れのせいか、喉が熱くなった。

  声をかけて初めて冷静になった思考で、おかしな疑問が渦を巻いた。どうして彼女がここにいるんだ。なんで学校に、なんで今自殺なんて、いやそもそもどうやってここまで来たのか。テープは切られていなかったし、もしかして彼女は、誰かが自殺する瞬間までこの場所にいたんだろうか。


 そんな思考が行き交う中、声に気づいて振り向く彼女にその思考は断絶される。そして僕は驚いた。その顔立ちが、とても綺麗だったから。

 伸びた鼻筋に、蠱惑で魅惑的な真っ暗な瞳、そして何より、その目を疑うほどの綺麗に靡く黒髪が僕の思考を放棄させたのだ。

 彼女はなぜか微笑んでいた。この状況下で、一歩踏みいれば死が待つ場所で。

 微笑む彼女を不気味に思いながらも、寄り添うように近づき、刺激しないよう言葉を選びながら話しかける。


 「自殺を図るならやめた方がいい。今日そこで一人の生徒が自殺をしたのを君も知っているだろ」


 彼女は口を開く。恐ろしいほど透明で透き通った声で。


 「しってるよ。それが何か?」

 「だったらなんで?なんで君はそんなところにいるんだ。もしうっかり足でも滑らしたら」


 彼女が遮る。


 「私が死んじゃう?」


 やけに飄々とする彼女に少しの怒りを覚える。


 「そうだよ。すぐに死んでしまう。人間は脆いんだ。だから必死に生きるのにどうしてそれを自らで捨てるんだ」

 「人に奪われるくらいなら自らで捨てる方がマシだよ。私は誰の作った誰かじゃない。私自身が作った私なんだよ」


それはどこかで聞いたことのあったセリフだ。だが今はそんなこと考えてる暇はない。彼女は僕の質問にはちゃんと答えてくれなかった。会話が成り立たない。そして彼女は不意に言った。


 「それにもう遅いよ」


 どういう……。

 一度放棄した思考が戻ってくる。そして悪い予感が頭の中で浮かび上がり、本能が否定する。彼女の言わんとしている事が妙に恐ろしく思ったから。


 「飛び降りる気も、死ぬ気もないよ」


 その言葉に安心などという言葉は感じられなかった。冷や汗が額や背を撫でる。瞬きすらできなほど体は固まっていた。まるで時間が止まってしまったように。

 彼女は、ゆっくりと口を開いた。いや、スローモーションに見えただけかもしれない。


 「だって、もうさ…………」

 「…………」


 その間に不穏な空気が流れた。吹き抜けた空が張り詰め、小さな声で、大きな空間なこの場所でも、僕の耳にだけは大きく響くようだった。まるで、耳の横でクラッカーを鳴らされた時くらいの衝撃が全身を襲った。


 「だって私――もう死んでるよ」




※※※




 彼女の言葉を信じるには今の僕には無理があった。ただでさえ自殺者の出たこの屋上で、自殺を図っているように見えた彼女が今朝自殺した張本人だったなんて信じられない。鳥肌なのか全身の毛が立ち、身震いするように血の気が引いた。恐らく今の僕は死んだ彼女よりも青ざめた顔をしているだろう。そんなジョークを言えるだけいくらか僕の頭は冷静か。

 その冷静になった頭で考える。そして悪い考えが繋がる。入っていたら警察が気づくはず、その前にいるなら彼女がここにいることは無い。その後としても切られていないテープと固く閉ざされていた屋上の扉。それに、影のなく、宙を浮いているような体。

 そうして徐々に彼女の存在を認めていくと、彼女はそっと呟いた。


 「君には見えるんだね、私が」


 開いた口を塞ぐまもなく僕は頷く。どうして僕は、彼女を見れているのだろうか。いいや、そんなことより。


 「どうして……」


 僕の声に彼女はうん?と聞き返す。


 「どうして……自殺なんて、したの?」


 震える声で訊いた僕の言葉を、理解しかねるように首を傾げ、そして答えた。


 「さあね、私にもわからないんだ」

 「わからない?」

 「うん。というかよく覚えてないんだ。死ぬ瞬間に走馬灯とかは見たと思うんだけど、私って……なんで死んだんだろう?」


 そんなの僕に聞かれてもわかるわけがない。てか、走馬灯ってやっぱり本当にあるんだ。死んだ彼女しかわからない事だ。

 そんなことより、どうしてそこまで自分の死についてスラスラと誰かに話せるのかが一番おかしく思った。普通ならそんなことになった自分を恐ろしく感じるものだろう。なのに彼女は平然と変わらないように、人と接するといういかにも人間的行動を容易くとっっている。曖昧な存在の彼女が。

 彼女は死神と仲がいいのかと錯覚するほどだ。

 死について、無頓着すぎる。もっと命を重んじるべきだと言いたくなる。が、もう彼女にそんな言葉は通じないだろう。だって彼女はもう、死んでしまっているのだから。生者に説教されるなど死人には、皮肉に聞こえるだろう。


 「君はこれから何するの?」


 とくに意味の無い質問。ただの興味本位だ。


 「う〜ん、わかんない。とりあえずこの世界を、この体で適当に生きようかな。自分の仲間も見つかるかもしれないし」


 そうウキウキした様子はどこか楽しそうで、僕はもう呆れを通り越して笑いそうになった。死人と話してるんだ、頭もイカレさえする。

 当の彼女はなにか思いついたのか、こっちを見て何か悪戯でも思いついた子供のように口角をあげた。


 「ねぇ、君ここの生徒?」

 「そうだけど……」

 「じゃあさ、君が私の死んだ理由?見つけてよ」


 ……………


 「はぁ?!」


 彼女は僕の反応を見てうししと笑う。


 「面白いと思わない?死んだ理由探しなんて、デートできるよ」

 「思わないし、僕に亡霊とデートする自虐趣味はない」

 「君、面白いね。いい、最高だよ。君に決めた」

 「ポ〇モン?」

 「違うよ!いいから、探すの手伝ってよ」

 「どうして僕がそんな世話を」

 「私が君と探したいから、ねぇ、お願い!」

 「僕は嫌なんだけど」


 普通に彼女と話してることに、気づいて驚くが生きてる僕より活き活きしている彼女は普通の人と話すようで、彼女が幽霊であることを忘れていた。

嫌がる僕に、彼女はムスッとした表情をした。


 「嫌って言っても勝手に着いていくし、なんなら君と一緒に寝るし」

 「それだけはやめて欲しい」


 彼女は顔を膨らませる。僕は観念し、もういっその事、どうとでもなれ、と首を縦に振った。

 彼女はそんな僕を見て笑みを一つ作ってから手を出してきた。恐らくはよろしくという意味なのだろうが、本当は僕はよろしくしたくない。だが彼女の顔を見るにそれはさしてくれないだろう。それに今僕はありえない体験をしている。

 そう思い立ち僕は彼女の手に自分の手を近づける。どうせ触れないだろう、だって彼女は幽霊なんだから。形上は結ぶつもりで僕は手を交わす。


 「あれ?」

 「どうしたの?」


 僕の手の中には明らかな感触があった。それは冷たくやせ細っているようだけど間違いなく人の手だ。


 「僕、今触れてるよね?君に」

 「そうだね!」


 困惑する僕をよそに上機嫌な彼女はそのまま僕の手を強く握った。


 「これからよろしくね。名前は、えっと」

 「あ、照史、嵐山照史。君は?」

 「私は百恵。百恵でいいよ。あ、一応三年ね」


 三年生かそれは見た事がないはずだった。


 「僕と一年も違うのか」

 「敬語じゃなくていいよ。ってもう敬語じゃないか。じゃあ、これからよろしく」


 にへらに微笑む彼女の顔は朝焼けに照らされてよく見えなかった。

 この時の僕はどうして彼女は名前だけしか教えてくれなかったのか、どうして僕は苗字を聞かなかったのか気にもとめなかった。



――そして今に至るというわけだ。


 「今日はなにか見つかった?」

 「見つかってたら君はとっくに成仏してるよ」

 「君、絶対彼女とかできたことないでしょ!」


 あれから一週間、僕と彼女は彼女の記憶の手がかりを頼りに色々な場所に行った。学校や思い入れのある映画館、産まれた病院、そして今日は駅に行ったが、手掛りといったものは何も見つけられない。僕は探偵でもミステリー作家でもないから仕方ないのだが。何より彼女は探す気があるのか、ただ楽しんでいるようにしか見えない。

 僕はこの貴重な学校の休みをゆったりと家で過ごそうと考えていたのに。そんなこと露ほども知らない彼女は運ばれてきたパフェを食べれないくせにひたすらに眺めていた。


 「食べないの?」

 「……うっ」


 僕は甘いのが苦手だ。だからこういうパフェというのも今まで食べてきたことがない。

 何だこのいかにも甘そうなものは。


 「ほら、アイス溶けてる。早く食べなよもったいない」

 「わかったよ」


 彼女のために頼んだパフェとはいえ傍から見ればパフェを頼んで食べない変人だ。

 細長いスプーンを手に取って口に運んだ。いちごの甘酸っぱさの後にしつこいスポンジケーキやチョコレートの味、極めつけは胸焼けするほどの生クリーム、僕は顔を顰めた。


 「美味しくないの?」

 「僕は甘いのが苦手なんだ」

 「じゃあなんで頼んだの?」

 「君が頼んでって言ったんじゃないか!」


 つい声を出しすぎてしまい周りからの視線が刺さる。スマホを顔に近づけ誰かと通話しているという体を作った。

 なるべく咀嚼はせず舌に乗せて飲み込む。僕はそそくさとパフェを食べ終え、会計を済ませて外に出た。

 彼女は終始不服そうに僕を見て、いいないいなと悪態をつくばかりだった。じゃあどうしてカフェなんかに?と質問したら、よく来ていたと、それが手掛かりになるんじゃいかと教えてくれた。


 「で?なにか思い出したの?」

 「う〜ん、それがさ、私あの場所で何かをしていたのは覚えているんだけど、何をしていたかは覚えていないんだよ〜」


 まぁそんな簡単に見つかればここまで手掛かりのない一週間を過ごしてきた時間は報われないと納得した。彼女は意外にも自分の記憶について懐疑的なんだと感心する。


 「そんなことよりさ」

 「そんな、ことより?」


 僕の大事な一週間を無駄にしてまでの時間を、そんなことよりって。気にせず彼女は続けた。


 「これからどこか行く?」


 まだ元気が有り余ると自分の腕を持ち上げてアピールしてくる。正直僕はもうこの一週間の疲れと、今日の歩きのせいで既に足が鉛のように重たい状況だ。

 でもそんなことを彼女が許してくれるはずもないことは重々理解していた。


 「じゃあさ、本屋行かない?」

 「ええ……どうして急に?」

 「僕は本が好きだからじゃだめ?」


 彼女は上を見て少し思案してからすぐさま首を縦に振った。


 「いいよ、君のためだ。ここまで付き合ってくれているお礼。それに私も本は読むし」

 「ありがとう。ちょうど読む本も切らしていたんだ」


 僕らは次に本屋に向かうことにした。この道中の会話で僕は彼女に聞きたかったことを、率直に話した。ずっと疑問に思ってたことだ。彼女とは学校で待ち合わせをしているが、それ以外で待ち合わせしたことがない。僕は休日の学校の前でいつも待たされる。

 普段の彼女は一体どこで過ごしているんだろう。まさか、学校じゃないよな。


 「あのさ」

 「ん?」

 「君っていつもどこにいるの?」


 彼女はそんな質問に快く答えてくれる。


 「んん、適当かな。学校にいる時もあれば、その辺ぶらぶらしてる時もあるよ。なんなら君の家に行ってあげようか?」

 「それはやめてくれ。じゃあどこで寝てるの?」

 「面白いこと聞くね。実はね、幽霊は寝ないんだよ」


 これまた不思議なことを聞いた。科学的に証明できないことだ。彼女の体験談によって齎されるその話は、僕だけが唯一知ることだろうと得意げな気持ちになる。


 「じゃあ、脳とか、そういった臓器ってどうなってるの?」

 「わかんない。心臓は動いてないし、ご飯は食べないしだから、臓器なんてないんじゃない?」


 彼女の発言は幽霊の核心に迫るようなものだ。だってまさに彼女がそれだから。面白い話だよね〜、と笑い飛ばす彼女の笑顔は無邪気であどけなく生きてないことが嘘みたいだった。


 「じゃあ今度、君の家に行く?」

 「………………」


 それについて彼女は何も答えなかった。初めて見せる彼女のなんとも言えない表情にしり込みしてしまう。これはNGワードか。


 「あ、ちょっと待って!」


 と彼女は本屋がある道から外れ、とことこ一つの店に歩いていく。


 「ここのメロンパン食べよっ!」


 そこは小さなパン屋さんだった。


 「別にいいけど」

 「はやくはやく!」


 そんな焦ってもパンは逃げないだろうと思っていたら人気店なのかとても品薄な棚が目に入った。


 「よかった〜、ちょうど二つある」


 そう言ってメロンパンを指差す彼女。

 僕はそのメロンパンを二つトレーに入れてレジに出す。

 店員さんは僕を一瞥すると僕の制服に目を向けた。


 「あら、その制服……」

 「どうかしましたか?」

 「ああ、ごめんなさい。その制服を着た子がね、よくこのメロンパンを買いに来てくれてたのよ。だからいつも二つ残してるの。これ秘密ね」


 彼女は嬉しそうだ。


 「最近はこないけど。よく二人でなかよく、ね」


 二人?

 彼女はもう店を出て行っていた。

 彼女は友達とよく訪れていたんだろうか。


 僕は袋をもらい、一つのメロンパンを手に取れるかわからない彼女に渡すと、なんと普通に食った。


 「えぇ?!」

 「っ?何?」


 「いや、メロンパンには触れるんだ?」

 「そういえば……まあ気にしない気にしない」


 まあそうだけど。




 「あ、着いた」


 それからまた本屋へと歩き出し到着した。

 僕たちが来たのは駅構内にある大きめの本屋さんだ。平日だから人は少なく、おびただしい本の数が聳え立つように並んでいた。


 「なんか新鮮だね」

 「僕の好きな場所だよ」


 この本の匂いと、材木の床から反射した光が僕には心地いい。

 本屋の空気に酔いしれる僕を彼女は睨んだ。


 「うわぁ、本フェチだ」

 「……何か悪い?」

 「別に〜」


 歪な視線を向ける彼女は走ってどこかへ行ってしまう。結局僕は一人で本屋に来ただけか。まぁそっちの方が気が楽だ。

 いつものコーナーに移動し本を探す。あまりしっくりくるものがなく、向かいの本棚に移動しようとした時。

 曲がった途端に見覚えのある顔と鉢合わせした。


 「あれ、嵐山くん?」

 「飯塚さん?」

 「偶然ですね。どうしてここに?」


 飯塚さんの顔に違和感を覚える。相変わらず僕がしようとした質問を投げられる。


 「その、この一週間休みだったから、溜めてた本は全部読んじゃったんだ」

 「私もです。何かいい本は見つかりました?」

 「それが、まだなんだ。何かおすすめとかある?」


 その言葉を待っていたとばかりに、飯塚さんは一冊の小説を本棚から抜いた。


 「この本おすすめですよ」


 表紙に書かれたイラストには何やら寂しげに笑う少女が。見たところ感動する恋愛物だと推測する。


 「その本、とても綺麗で私が世界で一番好きな作品です」


 そう語る飯塚さんの顔はどこか寂しさを孕んでいて、ちょうどイラストの少女と重なるようだった。そして僕は飯塚さんの違和感の正体を理解した。


 「飯塚さん、もしかして……」

 「はい?」

 「……コンタクトに変えた?」


 飯塚さんはぱぁっと明るい笑顔を僕に見せて。


 「はい!見た目が変われば、見る世界も変わるんじゃないかと思いまして」


 とてもいい言葉だった。当たり前だが現実に向き合ってるような。

 でも、何故か、とても失礼だったが。飯塚さんのその笑顔が気のせいかいつも笑う彼女に似た気がした。


 「ところで嵐山くん。まだ小説書いてますか?」

 「あ、ああ、うん。一応」

 

  この時なぜ嘘をついたのか僕はわからなかった。小説を見られた同級生の女子にいい顔をしたかったのか、失望されたくなかったからなのか。とにかく僕は嘘をついた。

 そんなこと気づくはずもない飯塚さんは


 「そうですか。また読ませてください!」


 と素直に言いそれじゃあ、と手を振って本屋を出ていく。嘘をついた罪悪感が胸をぎゅっと締め付ける。

 でも、話したことはなかったがどうしてか、前よりも話しやすいと思った。それはきっと飯塚さんも小説が好きだからだ。今度、話してみよう。そっと心に留めておく。


 まもなく本を探して結局飯塚さんにおすすめされた一冊を手にレジに並ぶ。彼女も戻ってきた。


 「何かいい本でも見つかったの?」


 僕は本を掲げる。彼女はなんとも複雑な表情を見せてから、隠すように取り繕った笑みに変えた。


 「さてはさっきの女の子からおすすめされたやつだな〜?」

 「見てたんだ。そうだよ。クラスが同じの人なんだけど、話すのは数える程しかないから彼女のおすすめは読んでみようと思って」

 「そうか」


 曖昧な表情で答える彼女を無視して僕は会計を終わらせる。僕は彼女のその表情に何か言及しようかと考えたが、やめた。単に勇気がないといえばそうだが、もっと何かわからないものが僕の口を止めたのだ。それがいいのか、悪いのか。


 空はすっかり夕焼けに褪せていた。こんなに時間を無駄に過ごしているのにそれも悪くない。誰の目に止まる事もなく僕らは並んで歩く。


 「あのさ……」

 「ん?」

 「君って、小説書いてるんだ。なんか意外」


 さっきの会話聞いてたのか、と僕は嫌な目を彼女に向ける。彼女は手を振って弁明した。


 「聞こえたの!たまたま!」

 「わかったわかった」

 「で?どんな小説?読ませてよ」

 「いや。まだ書き終えてない。というか、もう書くのはやめたんだ」


 躊躇うことなく正直に話す。別にもうどうでもいいことだから。


 「え?どうして?」


 間抜けに彼女が聞いてくる。まるで鼻でもほじってるみたいに。実際はほじっていないけど。


 「僕には特別な経験と、微々たるほどの才能もない。書くアイデアが浮かばないし、もし浮かんでも書き終わらせることが出来ないんだ。だから、もうやめた」


 小説なんて平凡な人生の穴を埋めるための憂さ晴らしだったんだ。趣味でも夢でもなく、ただの暇つぶしだ。


 「どうせ書いても意味ないしそこまで考えて書いてなかったしね」

 「そんなことないよ」


  僕の正面に立つ彼女。


 「才能なんて必要ない。暇つぶしでもなんでもいい。書きたければ書けばいいし、書きたくなかったら書かなくていい。でも、諦めるのは違うよ」


 いつもの彼女とは違う、どこか真剣な眼差しに圧倒される。僕の知らない彼女だ。それも一瞬ですぐに彼女は顔を緩め微笑む。


 「それにさ、特別な経験なんてとっくにしてるよ」

 「え?」


自分を指さす彼女。


 「わーたーし。私といることは特別じゃない?だから、私との人生でも書いてみたら?せっかく幽霊とデートしてるんだし書かなきゃ勿体ないよ」

 「そんな君を利用するようなことは」

 「互いを必要とするから利用するの。私には君が必要、君にも私を必要に思ってほしい。だから利用してもいいんだよ」


 口が達者な幽霊だ。僕と年齢はそう変わらないのに、人生を何周もしているみたいだった。


 「おっとここでお別れか」


 気づけば互いの別れ道に到着していた。


 「じゃあ……」

 「考えとくよ」

 「ん?」

 「小説。書くかどうか、考えとくよ」

 「そこは書くって言いなよ」


 とどこか満足したように彼女は笑った。気のせいだろうか。


 「それじゃあ」


 そう去っていく彼女の背中を見送り、僕は反対の道を歩いた。


 帰ればすでに夕飯が用意してあり食べてからゆっくりと風呂に浸かった。この一週間の疲れをとり、彼女のこと、また今日彼女に言われたことを考える。のぼせた身体。潔く風呂を出て明日の学校の準備をする。

 ソファーでくつろいでいると嫌でもテレビに目を向けさせられた。それは彼女の自殺の時のようにやけに耳に突き刺さる内容。


 『昨夜俳優の〇〇さんの遺体が自宅で発見。○○さんはクローゼットの中で首をつっているところを発見されました。殺害の痕跡はなく自殺という見立てで警察が調査中』


––––理由は、SNSでの誹謗中傷が濃厚……


 僕は知らぬ間に唇を噛んだ。多分自殺という言葉に敏感になっているからだ。

 好きな俳優ではないし、僕とは関係の無い人だ。でも、自殺するほどの誹謗中傷とは、なんなのだと心の底から嘆いた。誰が何のために?どうして人を殺すんだ。

 法にも囚われない、捕まらないそのやり方に、心底吐き気を覚える。


 僕はすぐにテレビを消す、すると同時に眠気に襲われる。きっと彼女と遊んだからだ。でも、その前に…………


 僕は埃のついたノートパソコンを取り出す。フォルダには昔に書き終えられなかった題名達が並んでいて萎縮しそうになる。僕にはほんとうに、書けるんだろうかと。今日の彼女を、いつも見ている彼女の顔を思い浮かべる。家の名前を出した時にみた困った顔。真剣に僕に訴えかけてきた時の顔。そしていつも無邪気な笑顔。

 自然と手は動き気づけば時計は0時を刺しその日は終わっていた。


 さて、とパソコンの電源を消そうとした時検索エンジンの下に出たニュース一覧。

 もう今日のニュースも出てる。


 このニュースをきっかけに、誹謗中傷がなくなることはないのだろうか。

 誰か一人の犠牲でも、誹謗中傷は無くならないのか。


 僕は不謹慎にもそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る