第3話 親友

 彼と別れてから学校の屋上で一人、空を見上げていた。眠れない目だけど、昔を思い出し時々目を瞑ることがあった。真っ暗になった世界でたくさんの景色や、感情が一気に体を通過して過ぎ去っていく。不意に誰かが私を呼び私のからだをストップさせる。


『百恵……百恵』と。


 確かに私の名前を呼んでいるけど、私には誰だかわからなかった。でもその声には懐かしさと、心地良さが孕まれていて、まるで夏の屋上に二人で授業をサボるような、そんな気持ちの良い情景が浮かんだ。

 大好きなメロンパンを食べて、大好きな人とテストなんか忘れて公園で昼寝をして、本当に体験したみたいに体が覚えているような。


 なのに音が割れたように、声にヒビが入って、その人の顔に靄がかかって思い出せない。どうしてそんなことを思ったのかもわからない。あの人って誰?

 暗闇に投げかけた質問は永遠に返ってくることはない。

 すっぽりと抜けた記憶は私の寂しさと孤独さを一気に加速させる。

 目を開けると空は茜色に染まろうとしていて朝の絵の具でも塗られたようだった。もう声は……聞こえない。


 「…………あれ」


 瞼が、濡れている。

 私どうして泣いてるんだろう。こんな亡霊に泣くことなんて、感情なんてないはずだ。

 わからない現象に戸惑う。涙を拭いて、私の涙を零したように青くなっていく空を見た。きっと気のせいだと。そうやって気持ちに蓋をした。


 「百恵!」


 はっとした。

 確かにその声は、私が落ちる寸前一番大きく聞こえたことも、私は知っていた。




※※※





 数週間ぶりの登校となった学校。クラスに入ればすでにあの事件の内容で賑わっていた。クラスのお調子者であり、中心人物である男子生徒が男女のグループを形成し、事件の詳細について語っている。当然僕は会話には参加せず、その隣の席で本を読んでいた。


 「てか、この学校で自殺ってやばいよな?」

 「やべー、インスタとか投稿しちゃう?」

 「一個うえの先輩らしいな。いじめとかかな」

 「わかんねーけど、まぁ休みになったし、話題にもなるし、一石二鳥だな」


 自殺した彼女の話を隣で聞かされるのはあまりいい気はしなかった。というか彼らは人の死というものをあまりに短絡的に考えている。その言葉は僕の怒りを煽った。

 自殺を良しとしないのは僕もわかる。死にたくなくても、死んでしまう人はたくさんいるし、生きようと思っても生きられない人がいる中、自ら命を絶つことはその人たちを冒涜しているように思えるから。

 でもそれ以上に、今生きることがまさに生き地獄だとしたら、そう考えるとそんな人が哀れみや、慈しみを向けられても話のネタや、祝福されることではないとも思った。何より人の死が喜ばしいなんて以ての外だ。

 暑くなる胸を理性で押さえつけふと考える。じゃあどうして彼女は自殺なんか。心の底で出た疑問はインクを零したノートのように僕の脳に広がり侵食した。


 その時、がたっ、と僕の斜め後ろの席から椅子を引く音が聞こえ、目を向ける暇なくその声が発せられた。


 「そうやって事件のことについて色々話すの不謹慎なんでやめてもらってもいいですか?」


 柔らかな口調だが裏にどす黒い何かが見える声。声の主は、やっぱり飯塚さんだった。普段よりも声のトーンが低いことから飯塚さんも少し怒っているんだろう。


 「そうやって話題に出すのって、亡くなった方の家族にも失礼ですし、ちょっと常識なってませんよ」

 「ご、ごめん。ちょっと、その、こういうのって、あんまりないし」

 「ですよね、私も怖かったです。でも、もうそういう話はやめてくださいね」


 優しく注意をしているつもりが威圧するような言い方だった。言われた男子生徒はおくしたように声を潜め、周りの生徒もおし黙った。普段は温厚な彼女の冷たい声だ誰でも不気味に思うだろう。

 こういう空気を一瞬で変えてしまうのは飯塚さんが醸し出す不気味な雰囲気のせいだろうか。それでも、彼女の意見には賛成だし、何も出来ない僕からすれば助けてもらった位だった。彼女も事件を拡散させられるのは嫌だろうから。


 飯塚さんの声で静まり返った教室は担任の入室で再び熱を取り戻していく。松浦先生は喪服を模したスーツを着て、手短にホームルームを終わらせると、哀愁を帯びた声を教室に落とした。事件のことを。名前は伏せてだが。

 僕はそんな時も窓の外を見て彼女のことを考えた。今どこで、どうしているんだろう。ただひたすらに気になった。


 昼休みに入り、今日はいつもより周りが静かなことに気づいた。それに今日の授業はほとんどが教師の話で潰れた。まぁ自殺者が出たんだ、生徒の心持ちを考えればそうなるだろう。そしてそんな空気の中騒げるものもいないだろう。飯塚さんの朝のこともあるし。


 彼女のことが気になっていた僕は今は簡単に入る事の出来ない屋上へ向かった。彼女なら絶対にいるという確信が不思議とあったからだ。

 テープは前よりも増えていて屋上には鎖に南京錠と完全に閉鎖されている。前に僕が破ったからだろうか。そういった数々の残穢が事件の影を残しているようで妙に恐ろしく思えた。


 「何しにきたの?」


 聞きなれた声がして振り向くとそこにはやっぱり彼女がいた。いつもと変わらない飄々とした面持ちで笑っていた。


 「もしかして私のこと、気にしてくれた?」


 図星を刺されて顔を目線から外した。


 「違うよ。僕はいつも屋上でご飯を食べてるんだ」

 「そうなんだ。それじゃあ悪いことしたね」

 「いや、いいよ。ここで食べるし」


 買ってきたパンの封を開ける。


 「どう、学校は?もしかして私の話題で盛り上がってた?」

 「君のことなんか誰も話してなかったよ」

 「嘘つきなよ、私のクラスのみんな泣いてる人もいたよ」

 「もしかして見にいったの?」


 てへっと舌を出す彼女。全く。彼女は自分の置かれている状況に短絡的すぎだ。今更つっこむのもめんどくさい。


 「どうして死んだの?」


 真剣に、だけども強要しないように質問する。帰ってきた返答はいつも同じだ。


 「……わかんないよ」


 それがわかればもう彼女はとっくに成仏しているか。

 彼女に涙してくれる人もいる。つまり彼女は愛されていたんだ。だからいじめなどでは決してないと思うけど。


 「そのために君がいるんでしょ?私がなぜ死んだのかを探すために。すぐに見つかるのは面白くないよ。それに……」

 「それに?」

 「君に判断してほしい。私の行動は間違いだったのかを」


 そう零す彼女はやっぱり、幽霊以前に一人の女子高生だった。

 でも、僕にとって自殺が正しい選択肢になることは絶対ないはずだ。いかに彼女が苦しい思いをしていても。そう言おうとした時、階段を登ってくる音が聞こえた。すると彼女はなぜだが焦ったように「やばい」と屋上の中へと消えていった。誰も彼女を見えないはずなのに。

 現れたのは、飯塚さんだ。


 「あれ、嵐山くんじゃないですか。最近よく会いますね。どうしてここに?」

 「あ、あぁ。僕いつも屋上で食べているんだけど、今日はというかこれからは使えないみたいだ」

 「そうなんですか。それは残念ですね。ところでさっき、誰かと話してました?」


 聞かれてた。そう思いながらも何とか平然を装い繕う。


 「通話してたんだ」


 僕はあからさまに携帯をひけらかす。そんなばればれな嘘に特に怪しむ素振りも見せず納得してくれた。幽霊と話していたなんて言っても信じて貰えないしな。


 「そうだったんですね。お昼、ご一緒させてもらってもいいですか?」


 どうしてと聞こうとしたが、特に断る理由もないしさっきのことも礼を言いたかった僕はその誘いを受けることにした。


 「いいよ、食べよ」

 「ありがとうございます」


 と柔和な笑みを見せる彼女はそれじゃあ。と窓から見える中庭を指さした。僕らはそこへ向かう。

 いくつかのベンチが用意される中庭は植物に囲まれ校舎からも丸見えになっている。普段はカップルやら数人の生徒で賑わうここも、今はそこまでの人はいなかった。

 なぜなら屋上から落ちた場所はこの中庭のすぐ隣だからだ。その部分は赤コーンと黄色と黒の棒で囲われていて、さほど距離が近い訳でもないが、好んでこの場所に来ようとは思わないだろう。

 二人しかいないことを確認し僕らはベンチへと座った。そこで僕は訊いてみる。


 「どうして僕と?」

 「何がです?」

 「あ、いや昼食をどうして僕なんかと?」


 理由がない訳では無いだろう。


 「嵐山くんは小説好きですよね?」

 「うん。好きだよ」

 「だから話してみたかったんです」


 昨日のことも踏まえてなのだろうか、それとも僕がいつも教室で読書をしているのを知っているからだろうか、何しろ理由はどうでもいい。


 「僕も、飯塚さんと話してみたかった」

 「そうなんですか?」

 「うん。昨日の小説のこともあるしね」

 「そうです。それを聞きたかったんです。どうでした?」


 僕は今日の朝に読み終えた真新しい記憶を取り出し飯塚さんに説明する。端的に言えば、すごく面白かったと。


 「幻想的でいて、どこか現実味のあるストーリーと、綺麗な情景が伝わって感情が昂ったよ。美しい世界観に、理想を目指す二人。残酷な運命が二人を蝕み、ってテーマがあっててとても面白かったよ」


僕のその言葉で飯塚さんの目はぱっと見開かれる。そして飯塚さんは急に早口になった。


 「そうなんですよ。理不尽や理想と現実のギャップに苦しむ主人公達の苦悩や葛藤などが、とても顕著に表されてますしね」


 そんな早口に圧倒されながらも僕も何とか返す。心に響くフレーズや、もしもの世界線など初めてこんなに話したのに前から会話していたように自然と会話が弾んだ。好きな物については、よく言葉が出る。

 その僕の好きな作品になった。だって世界観のそれはまるで、


 「千春さんみたいだった」


 その言葉に、飯塚さんの眉がぴくりと動いたのを確認した。もしかしてと思い僕は質問する、その前に。


 「嵐山くん、千春を知ってるんですか?!」


 飯塚さんはやっぱり僕が質問しようとしたことを、それも大声で聞いてきた。


 「う、うん。知ってるよ。結構有名だしね」

 「そうだったんですね。嬉しいです。まさか好きな小説を語るだけじゃなくて、好きな作家でも語ることの出来る人がいるのは」

 「僕の方こそだよ。まさか飯塚さんが千春さんを知ってるなんて」


 小説が好きな人なら誰しもが聞く名前だろう。Web小説投稿サイトで一躍有名になった作家さんだ。出版社からの話も断るし、批判のコメントには言い返すし、珍しくおかしな作家さんだが、書く作品はどれも美しく、現実的でいて幻想的。こもったメーセージ性には僕も心を打たれた。

 でもそんな千春さんは、急に姿を消した。一年ほど前から突然、書かなくなった。


 「僕は千春さんのおかげで、小説が好きになったし、小説家を目指すきっかけなんだ」

 「嵐山くんって小説家目指してたんですか?!」


 しまった、勢い余って急なカミングアウトを。

 飯塚さんは大袈裟に驚く。


 「あ、うん。恥ずかしいけど」

 「あぁ、そういえば私嵐山くんのノート勝手に読んでしまいましたね。あの時はほんとうにすみません」

 「いいよ。もう過ぎたことだし、飯塚さんならいい」


 脱線しそうになった話を戻すように、僕は言葉を選んだ。千春さんのことを。


 「でも、急にいなくなったんだよね」

 「……ショックですか?」


 飯塚さんは静かに聞いた。


 「ショック、なのかな?でも、もう読めないと思うと少し悲しいかな」

 「……そう、ですか。どうしてなんでしょうね、どうして急に書かなくなったんでしょう」

 「わからない。でも、何かきっと理由があるはずだ。意味もなくやめるほど小説を何とも思っているとは思えないし」

 「そうですね。噂では多くの誹謗中傷を受けて書く勇気を無くしたとか言われてますね」

 「誹謗中傷か……」


 脳裏に昨日のニュースが浮かんだ。確かに千春さんさんの作品は賛否が大きく別れ『天才』や『救われた』と言ったコメントもあれば、『素人が書くな』や『おもしろくない、死ね』など攻撃的なコメントもあった。それに反抗していた千春さんが、まさかそんなことで、と思いたかったが昨日のニュースを思い出してそんなこともないのかもしれないと思った。

 僕には千春さんがどれだけのことを抱えて書いているのかを全く理解していなかったからだ。


 「誹謗中傷って、どうして言うんだろうね」


 飯塚さんだけでなくただ青く広がる空に、白く光る太陽に、行き交う生徒たちに。この世界に対しての疑問を僕はそう呟いた。

 好きなことをして、辛くても前を向いて頑張る人達が、どうして前も向かないただ簡単に打たれた中身の無い文字で殺されるのか。僕は理解できなかった。したくなかった。

 飯塚さんは、何か考えたように囁くように答える。


 「分かりません。でも、きっと嫉妬しているんでしょうね。自分の自信のなさを、勇気のなさを、力のなさを、それを持っている人達が羨ましく思ってしまう。自分は出来ないから、自分を間違ってると思いたくないから、そうして否定するために言うんだと思います。私は……」


 最後に私はとつける飯塚さんはどこか不安げだった。きっと飯塚さん自身も理由なんてわからないんだろう。それもそうだ。今朝の生徒達も、今どこかで誹謗中傷してるヤツらも、きっとなんとも思ってないんだろう。ただストレス発散の道具だと思ってるかもしれない、暇つぶしかもしれない。そうやってメッセージを打ってるんだ。

 僕は喉に詰まりそうになったパンをすぐに飲み込んだ。


 「飯塚さん、ありがとう」

 「急にどうしたんですか?」

 「いや、特に理由はないけど何か話せて楽しかった」

 「いえ、こちらこそ。とっても楽しかったです」


飯塚さんは心底嬉しそうに笑ってくれた。やっぱりなぜか彼女と重なる。


 「では、その……」

 「んん?」

 「その、おすすめした小説の映画が公開するんですけど、今週の休日見に行きませんか?」


 初めての女の子からの遊びの誘い。邪な感情がシャボン玉のように浮かんでは弾ける。

 これはデート、なのか?いや、飯塚さんのことだただ同じ趣味の人として見に行こうと誘ってくれたに違いない。僕は喜んで了承する。


 「僕でよければ、お願いします」

 「はい。お願いします」


 そう言ってからチャイムが鳴った。昼休みは終わりのようだ。飯塚さんは少し慌てたように先に教室に戻った。僕はゆっくりさっきの話を思い出しながら教室に戻った。時間などはまた決めるとして。どこ、集合しよう。

 初めての女子とのデートに浮かれる僕がいた。


 「おい!嵐山!」

 「は、はい!」


 こんなふうに授業には全然集中出来ず。僕は残りの二時間、クラスで笑い物にされたが、その中に飯塚さんはいなかった。


 どうやら飯塚さんは家庭の用事があったらしく、昼休みが終わって早々に帰ってしまったようだった。それなのに僕にわざわざ付き合ってくれたと思うとついデートのことが浮かんだ。

 手持ち無沙汰になった僕は彼女のいる屋上に向かった。

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