第34話 卒業
暗い部屋でベッドに寝転がっていた。
枕元のスマホを開いては閉じるを繰り返すばかりで眠気が来ない。明日に卒業式を控えているというに、頭だけ冴えわたっている。瞼を閉じても、朝日がまったくこないのだ。
──明日で、高校生活が終わる。
なにかの終わりを前にして、ノスタルジックになるのはぼくだけじゃないはずだ。この生活が終わってしまうという哀愁さに身も心も絶えられず、浮足立ってしょうがない。
目を開いたまま、これまでの視覚に映した思い出を掘り起こす。
やはり、澄香さんばかりがチラつく。
どうしたもんだ。今日、タっちゃんとあんなに話したのに。君に支配されているんだ。半年間であれこれと考えていたことに、ひとまず鍵をかけたのに、だ。この決意がいまでは間違っているのかもしれない。
こんなぼくをみんな馬鹿みたいに思うだろう。でも、もう曲げるつもりはない。これからきっと何度もこの一年を振り返るし、この選択に疑問を覚えるかもしれない。もしかしたら、一生自分を恨むことになるのかもしれない。
まだ迷いはあるが、いまは君から遠く離れて想っているだけにしたいのだ。そんな未来を歩んでいたいのに。
落ち着かない心を宥めるように、ベッドから起き上がり、窓を全開に開けた。
冷たく乾いた風がすぐ隣をそよいだ。慰められてるみたい。春はもうすぐだから我慢しろ、といわんばかりに。
何かを待つのはいつだって、胸の奥がこそばゆい感じがしてならない。
泣きそうな顔も、綻んだ顔も、すべて見られたのだ。そんな人、他に誰がいるものか。
やはり、大沢澄香──君しか、いないのだ。
窓の外は街灯が照らすだけの、静かな住宅街。この景色も、いずれは記憶になる。触れない記憶の中で、君との思い出はいつか角が剥がれるように失っていくのだろう。でも、きっとこれからの長い人生の中で、ずっと振り返るだろう。
思い出を失うことは怖い。
思い出すことよりも、思い出せなくなることが、今もぼくには恐ろしい。
窓を閉めると、またベッドに戻り、寝転がって考える。
サインを貰ったあの日、彼女はぼくの中で眠っていた冷めた心を叩き起こし、そのまま連れ去ったのだと考えていた。
でも、どうにも違うようだ。
なぜなら、ぼくの心はいつだってここにあり、彼女が見せてくれたあらゆる情景に揺れ動いているのだから。
澄香さんはただそこにいて、ぼくが知らなかっただけの自分を見せていただけなのだ。眠っていた本当のぼくは目を覚まし、内側からノックしていただけなのだ。
そうだ、ぼくは二人いる。
楽観的でどこか天邪鬼なやつと、内側に閉じこもって小さくて無垢なままのぼくの、ふたりだ。
内なるぼくはとても分かり易く素直な人間で、澄香さんのことを一から十まで知りたがり、そのいい匂いをいつも隣で嗅ぎたがっていた。
なんとも浅ましいやつであるが、それに気付いた時、なんだかホッと胸を撫で下ろすことができた。探し物が見つかったような安心感を得られたからだ。
おかげで、ぼくは明日の卒業式に強い決意を
この一年間、君との出会いからここまで。随分と長い遠回りをしてきた。
明日の卒業式で、一度幕を引こう。
いったい、どの気持ちを貫いていけばいいのかは、ようやく今日決まった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
卒業証明書を受け取った後、ぼくらは校舎の外で弾けていた。
寝不足の怠さなどどこへやら。外の空気はまだ指先を冷やすものであったが、そんなことお構いなしに浮かれた調子があちこちで起こり、空気に溶けて熱される感じ。
ひとつの縛りから解放されるのは新鮮だ。昨日までの物憂げな気分などどこへやら。心が浮足立ち、喋ることが全てシャボン玉のようにはねる気分だ。
ぼくと数人のクラスメイトはくだらない話を繰り広げながら校舎を出た。特別な日だというのに、話題は実に他愛のないものだ。あちこちに泣いてる女子グループを尻目に、男という生き物は気楽だ。
ぼくが数名のクラスメイトと雑話しているところに、タっちゃんが嬉々とした表情でやってきた。そして剣崎が加奈に告白したことを告げた。思えば、剣崎は加奈に気のある素振りを見せていることがあったのを思い出す。
タっちゃんはもったいぶりながらも丁寧に説明する。
一人で想いを伝えるのが恥ずかしい剣崎は、前日に懺悔でもするかのようにタッちゃんに洗いざらい話、同行をお願いしたらしい。そうして卒業式が終わってすぐに加奈を校舎裏に呼び出し、愛の告白をしたのだ。だが、加奈は即答で「無理」だそうだ。
皆は腹を抱えて大笑いし、剣崎の姿を探した。だが、剣崎は校門の前でひしめく卒業生の群れを抜け、そそくさと家路へと向かったそうだ。
それを聞いてぼくを含め、皆はさらに爆笑していたが、ぼくは剣崎を褒めてやりたかった。剣崎には勇気があった。タっちゃんが言っていた「バカ」になったんだと思う。
ひとしきり笑ったあと、クラスメイト達が剣崎のどうしようもない陰口大会がはじまる。すると、タっちゃんに手招きされた。
クラスメイトの輪から抜けると、そっと耳打ちした。
「なあ、お前も話すべきことがあるだろ」
ついで、横目で校門を見た。ひしめく卒業生たちの向こうに、微かに澄香さんの姿が見えた。一瞬だったけど、誰かを待っているかのように、ポツンと佇んでいた。
「告白するのかどうかは知らねーけど、今日くらいはなにか言わねーとな」
どうやら察しがついているようだ。
僕は力強く頷き、「お察しのとおりだよ、タっちゃん」と不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ、終わったら来いよ。遅くなるなら、連絡しろ」
「お袋かよ」
ツッコんだあと、ぼくらはクスクスと笑った。
「じゃあ、いってくるよ」
「おう、じゃあ頑張れよ」
自然と手を出し、パンとタッチ。
今生の別れじゃあないけど、タっちゃんに見送られるのは後ろ髪を引かれる気分。
ぼくは本当に、いい友人を持ったもんだ。
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