第33話 親友

 自由登校も最後になり、明後日に卒業を控えた日の放課後の教室。卒業式の日程を伝えたあと、金井先生はいう。


「俺はお前らが無事に卒業できるだけで、それだけでいい。これから先、色んなことがあるだろうけど、俺には関係がない。だって、お前らの人生だからな。先生の人生には、これ以上関わらないから。だからお前ら、卒業したらイッパシの大人になれよ」


クラスの皆は粋の良いジョークだと笑う。

号令がかかり、皆が解散した教室でぼくとタっちゃんだけが残った。


「もうすぐ卒業かー。なんてーか、三年間なんてあっという間だったなぁ」


 下校する生徒たちを窓辺から見下ろしながら、誰ともなく呟いてみる。隣で椅子に腰掛けるタっちゃんからの返事がない。しばらく沈黙が続いた。


「ソーヤ。結局、お前、澄香さんに告らねーのかよ」


 唐突にタっちゃんはいう。タっちゃんの顔を覗けば、確信に触れたといわんばかりの自信に満ちた目をしていた。

 タっちゃんも琴葉と同意見らしい。だが、身近で見てきたタっちゃんの意見となるとまた別だ。


「……正直のことを言えば、ぼくは澄香さんに好意を抱いてるのは確かだと思う。でも、それが恋心なのかがわからないんだ。今までのトキメキとかさ、そういう感じじゃないんだ」


 なんだろうなぁ、と言うなりタっちゃんはうーんと悩ましげに首を傾げる。


「お前、そうやって小難しく考えてるよな。昔のソーヤはさ、もっとガツガツしていたと思う。ミライと付き合ってた頃は、なんていうか……肉食って感じがしてた」

「なんだよそれ」


 からかっているものだと思ってぼくは苦笑するが、タっちゃんの目は真剣だった。


「いや、ホントだよ。もちろん、ミライと別れる前はどこか疲れてた感じがしてたけどさ。でもさ、澄香さんと話し始めてからまた変わった感じ。でも、昔みたいな感じじゃなくて……こう、なんていうんだろうなぁ……」


 タっちゃんがなんども「感じ」という言葉を使うことから、自分でもまとめ切れていない様子。うーんと散々悩んだあと、こう告げてきた。


「なんか、大人になった? っていう感じ?」


 また『感じ』。思わず「だからなんだよ、それ」と笑い飛ばしてやる。


「だから、俺もよくわかんねぇよ。でもよ、時にはバカになってもいいんだぜ?」

「バカ、ねぇ」

「そうだ、バカだ」と頷くタっちゃん。

「時には、後先考えずに行動するのも、楽しいもんだぞ」


 その通りかもしれない、と心の中で同調する。タっちゃんは続ける。


「ソーヤ、これだけはいっておく。後悔する前に、好きなら好きと告白しちまえよ。一期一会って言葉があるくらいだろ? モノにしちまえよ」


 ――モノにしちまえ。

 この言葉にきっと悪気はないのだろう。だが、今のぼくにはとてもじゃないが、澄香さんを自分の恋人にしたいと思う気持ちにはなれなかった。


「モノ、にねぇ……」

「笑いごとじゃあないぞ。ちょっとのきっかけで離れたら、あっと言う間に距離が開いて、いつしか忘れるくらいに遠くなるぞ」


 別れか、か。

 心のどこかで、永遠の別れなんて存在しないと思っていた。生きてさえいれば、いつかは会える。だから、タっちゃんのいうことは大袈裟だと思った。けど、それはぼく自身が真剣に捉えてないからなのかもしれない。

 ぼくらの日々は卒業を機に終わりを告げる。楽しかったことや、ハラハラしたこと。嫉妬も劣等もすべてを巻き込んで、サヨウナラを言わなければならない。そいつがどんなに苦しいことなのか、悲しいことなのか、想像することは出来ない。ぼくはどこか、おかしくなっているのかも。


 それでもだ。心の底のどこかで、澄香さんとはずっと繋がっていられるような気がしてならなかった。

 簡潔にいえば、澄香さんからは逃げられないのだ。


「タっちゃん、ぼくの性格ならわかるだろ?」

「まったくわからない。なにが?」


 即答だった。


「ぼくが澄香さんに恋をしていると気付いたのなら、ぼくの性格にも気付くはずだ。いや、そう考えるべきなんだ」

「やっぱり、わからん」


 明らかにウソだ。僕は睨んでやる。


「ぜったい、わかるはずだ」

「わからない」

「……」


 これでもか、といわんばかりに睨みつけてやる。


「あーわかったよ。俺だってソーヤと付き合い長いからわかるよ。お前は絶対に後悔しないように動くもんな。んなこと、確かに考えれば気付くべきだったよ」


「たく、余計なこと言っちまったぜ」、とボリボリと頭を掻くタっちゃんの言い分には少し語弊がある。ぼくだって後悔はある。ただ、タっちゃんの言う通り、ぼくは行動を起こす人間なのだ。けど、このままタっちゃんを馬鹿にしたままなのは申し訳が立たない。


「いや、タっちゃん。謝るのはぼくの方だよ。ずっと、隠していてごめん。言うのが、すごく恥ずかしかった」

「そりゃあそうだろうな。だから、俺も察して言わなかったからよ」


 あーあ、と呆れ声を出す。


「いつから好きになったんだ?」

「わからない。もしかしたら、三年にあがって最初に声を掛けたときから、かも」

「サイン貰いに行ったとき?」


 コクリと頭を下げる。


「あれは無意識下での恋だったのかも」

「‟運命の出会い”ってやつか。美辞麗句びじれいくにしか思えねぇな」

「難しい言葉を使うなぁ。どんな意味?」

「表面だけは綺麗って意味だよ。それだけは覚えてる」


 なんだか、久しぶりにタっちゃんと話せたような気がした。こんな風に赤裸々に本音を言えたのは、去年にミライとの交際に関して真剣に悩んだ頃くらいだろう。

 どこかこそばゆいような気持ちが湧き上がり、高揚感が高まる。

 ぼくは急に悪戯っ子の気分になった。


「なあ、タっちゃん」

「なんだ?」

「せっかくだしさ、ぼくの家まで送ってよ。後ろに乗せて貰ってさ」

「はぁ? つかなんだ、“せっかくだし”ってよ」


 互いに頬が綻ぶ。


「お前、自転車でニケツって警察に捕まるって、知ってるか?」


 ぼくはまた笑みを崩さず、頷いてみせる。


「もちろん。でもさ、今日ばかりは捕まってもいいんじゃない?」

「馬鹿じゃねぇのか?」


 タっちゃんはあきれたと言わんばかりに深いため息を吐く。そして、かぶりを振った。


「二ケツはダメだ。俺、内定貰ってるから。ここでニケツで捕まったなんてバレたら、どーなるもんかわからねぇし」


 眉根を顰めて口を紡ぐ。いくら怖いもの知らずとはいえ、さすがに世間のルールには従うようだ。ぼくはタっちゃんらしくないな、と思うのだが。


「せっかくだしよ、歩いて帰ろうぜ」

「ぼくの家まで四キロもあるよ?」

「たかが四キロだろ? 俺たちが高校に入ってからこの二年間と十カ月近く、どんくらい歩いた?」


 考える素振りだけ見せ、すぐに「たくさん」。


「だろ? それなら、四キロなんて大した距離じゃないだろ?」


 言い切ったあとにニシシ、と勝ち誇った笑顔を見せつけてくる。タっちゃんのいう通りだ。すぐに反論できないぼくの負けだった。


「それじゃあ、少し怠けている石野ソーヤ君のウォーキングに出発!」


 タっちゃんは持っていた鞄を担ぐように肩にかけ、ハッハッハと大きな笑い声をあげながら廊下へと飛び出していく。

 やれやれ。タっちゃんにはどうしても勝てない。あの飛び出してくる笑顔を出してくると、その勢いで気持ちが負けてしまう。

 ぼくは頼もしい背中を追いかけて廊下に出た。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 僕らは息が切れるのも忘れるほど、はしゃぎながら下校した。自然と、昔話に花を咲かす。

 入学式の時にクラスメイトがトチッたこと。期末テストで赤点を出したやつや、体育祭で学年でだれがいい発育しているか観察したこと。修学旅行で他校の生徒に声を掛けたこと。話せば話すほど、濁流のように話題は尽きない。

 気が付けばたった二年と九カ月。

 実に短く、充実した日々だったことか。

 気が付けば、僕の家まで五百メートル。

 すべてを振り返るのに、僕らの下校時間だけでは全然足りなかった。

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