第30話 花火

「実はね、言おうと思ってたんだけど――」


 その時だった。

 ヒュゥゥゥと風を切る甲高い音が響き、ぼくの言葉は掻き消された。次の瞬間、身体を震わせるような轟音が周囲に飛び散って、空が光った。ぼくらは同時に視線を仰いだ。

 シンと突き通るような寒さの空に、弧を描きながら四散する白光のそれに思わずぼくらは同時に呟く。


「花火だ……」


 ドーンと、地面を轟かせる爆発音。それは一発だけじゃなく、断続的に何発も打ちあがっていく。ぼくらが呆けて空を見上げていると、タっちゃんたちがすぐさまぼくらの元に駆け寄った。


「うっそー!? たくさん打ちあがってるんだけどっ!」とハル。

「な! ここ、すげーだろ!? 新年になった瞬間に花火を打ち上げるんだ。実は前に知り合いからオススメして貰ってよぉ。な、いいだろ?」

「達也くんが言ってたのってこれだったのかぁ。すごいなぁ」とカナ。


 興奮気味のタっちゃん。ぼくらを見つめる顔が次々に打ちあがる花火の光で照らされる。相変わらず、憎めない笑顔だ。

 突然のハプニングに、ぼくの溢れ出ていた感情は身体から抜け出して、空に消えてく硝煙とともに溶けていった頃だ。


「さっきなんて、言おうとしたの?」


 不意に君がいった。打ち上げ花火の爆発音で三人には聞こえなかったようだ

 さっきの決意はもうどこにもない。また、湧き上がることもない。タっちゃんにハルとカナがそばにいる今じゃなおさらだ。

 なんだか、急に白けてしまった。つい数秒前までの真剣な自分を笑い飛ばしたくなるくらいに。

 吹っ切れた笑顔を澄香さんに見せつける。


「大したことじゃないよ。さっきの話、すっごく素敵なことだねって。それだけ」


 言い切ると、ドンドンと夜空に打ち出される花火に視線をあげた。君は何か言いたそうだったけど、同じように花火を見つめる。

 吊り上げた口角が下がらなぬまま、大きく息を吐いた。花火の光に照らされ、真っ白な霧のような二酸化炭素が浮かび上がる。


 打ち上げられた花火はドンドンと空に舞い散っては消える。パラパラと弾ける火種が白銀になって、闇へと消えていく。大事なタイミングを失った気がするが、これでいいのだろう。不思議と悪くない気持ちだ。


 花火を見て、またぼくは自分の中に滑り込んだ。

 君はずっと、いつかのそらに見惚れていたこと。ぼくは舞い上がっても、君のそらに溶け込むことはないかもしれないと思うと、なんだか笑ってしまう。

 せめて、今は隣で花火を見ていよう。それでいい、今日はもう本当に充分だ。


 ついに花火は打ちあがらなくなり、見惚れていた周囲の人々のパチパチという拍手が散らばった。ぼくは視線を下に戻すことなく、まだ白い煙が薄く舞った。

 小さな歓声をあげたあと、ハルはぼくと澄香さんに顔を向ける。


「新年になったからお参り行こうよ! 澄香とソーヤ君も行こうよー」


 当たり障りなく振る舞っているのがわかった。どうやら気を遣われていたようだ。無理もない。あんな風に、露骨に二人っきりになっていたのだから。ぼくは頷き、「そうだね、行こうか」と返す。

 ぼくらはまたひとつとなって、参拝する客の列に向かって歩き出す。


「なあ、初詣が終わったら、おみくじ引いていこうぜ。大吉を出した奴が、一番運勢の低いやつに飲み物オゴるってどうよ?」

「えーそれって逆じゃないの? 私、今まで大吉しか引いたことないもん」

 

 不意なタっちゃんの提案に頬を膨らませてブーブーいうハル。ずっと二人きりにはなれなかったけど、改めて皆でいる夜も悪くないな。そう考えると、さっきの君の言葉を思い出してしまう。そうか、こうして世界は変わるんだ。


 ふと、また上を見上げた。新年の夜空はいつもと違って、どこか新鮮だ。

 いつもと同じような冬の空のはずなのに、今日だけはなにもかもが特別なのだ。そのおかげで、どこか思考がクリアで、悟ったようなことを考えてしまう。


 こうやって、ぼくらは年月を重ねていく。こんな風に体験した衝動も、枯れて欲しくないと抱えていた想いも、季節風のように、過ぎ去っていく時間にさらわれてしまうのだろう。交わした言葉も、年齢を重ねるごとに変わっていくのだ。そして、ぼくらの心も身体も、変わる。

 

 昨日まで、君を想う自分のことばかりが中心だった。こんな風に星が散りばめられたような夜を見ても、その目は瞼の裏の君ばかりだった。

 でも、また君の隣にいてぼくは気付いた。急ぐあまりに、見失っていた自分を。恥ずべきことではないかもしれないが、ぼくはやはり青かった。若さが纏う衝動に駆られ、走り出したい子供だった。


 それがなんだか懐かしく、心の中で自嘲する。それと同時に、すっかり弱くなってしまった“燃え上がっていた”気持ちをグッと胸の奥へとしまいこむ。


 参拝客の列に並び、ぼくは澄香さんの背中を見つめながら考える。

 そうだ、君の書いた物語には始まりがあり、終わりを迎えるように、ぼくにも始まった物語があり、ぼくが終わらせる物語がある。

 ここが物語のどこにあるのか、それはきっとぼくらにはわからない。人生という長くて真っすぐじゃない定規の中で、その位置は誰にも捉えることは出来ないからだ。


 でもこれだけはわかる。。うんと、どこまでも。

 そうして、またこの位置に戻ってきた時に、もう一度考えることにしよう。

 

 参拝の番が回り、ぼくらはほぼ同時に賽銭を投げ入れる。二礼二拍手一礼すると、手を合わせて祈りをこめた。みんなの願いは分からない。だけど、ぼくの願いは先程と一緒だ。

 ――君と、またここで会えますように。


 花火の火薬と、屋台から流れてきたソースとチョコの甘ったるさが混ざった匂いが立ち込める。賽銭箱の前でぼくは皆と同じように強く祈った。

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