春が来て
第31話 浜崎琴葉
冬休みが明けると、学生には試練の道が待っている。
受験という人生の岐路に向けて、受験生はここが正念場だ。登校すると同級生の顔ぶれは少し変わっていた。相変わらずの者もいたし、休み明けで晴れ晴れとした者もいる。でも、真綿で首を絞められたような苦しさに顔を強張らせる者もいた。きっと、休みの日もみっちりと勉強していたに違いない。
センター試験を受けないぼくからして見て、彼ら受験生はどこか不憫でしかならない。ついこの間まで楽しく話し合っていた友人が競争相手となるし、どれだけ努力しても報われない結果があるかもしれない。競争社会といえど、人生の歯車がこの拍子で変わってしまうのならば、なんて日本社会は残酷なんだろうか。こんな意見は甘ったれたさとり世代だからなのかもしれないが。
あの大晦日の日。
想いを伝えなくて良かったのか迷う日は何度かあった。
けど、ひとつ良かったことがある。それは澄香さんとメッセージアプリのやり取りが多くなったこと。
ふとしたきっかけで始まったやり取りは毎日続き、『今日は塾。勉強、頑張るっ!』とか『試験まであと一週間。本気でやります』といったメッセージが届くのだ。ぼくは改めて、彼女がチャットやメールでは饒舌であることを知った。遅すぎる発見かもしれないが、この喜びは学会で発表したいくらいだ。
君と距離をおくべきだと思ったのに、ぼくらは自然と近寄ってしまう。
どうにも、君の引力には負けてしまうようだ。
冬休みが明けて三日後のことだ。
その日、ぼくは誰よりも早く学校に着いた。いつもならば澄香さんとのバスに合わせるのに、今日だけは早めに家を出た。父が珍しく早起きした音に目が覚めた。それだけの理由だ。
たまの早起きも悪くはない。
教室に着くと珍しく
机の上にはプリントと教科書があるが、視線は派手なネイル(ピンクでラメ入り)の指先に握られたスマホに集中していた。ぼくに気付くなり、「やっほー」と手を振ってきた。手を振り返し、ぼくはいう。
「珍しいね、こんな朝早くから」
「違うよぉ~。補修だよ。ウチ、この間の二学期の期末テストで赤点取ってさ~」
おちゃらけるように言う。
「補修って冬休みにあったよね? なんで――」
「サボってた。だってバイトがあるもん。だから、休み明けもこうして残業ちゅー」
唇の先を尖らす琴葉。「あ、バイトしてることは内緒ね」と軽くウインクまで送ってくる。
この琴葉という同級生は“今どきのJK”といえばそれで片付いてしまうのだが、とにかく底抜けな明るさで他人の内面まで踏み込んでくるのだ。そして、先のように明け透けに物を言うのだ。
当然、彼女の集中力は補修用のプリントなどではなく、ぼくに向いた。少しの間を空けて唇の端を吊り上げる。
「あ~ソーヤ君知ってる? 澄香ちゃん、他の男にナンパされてるんだよぉ」
取り繕った猫撫で声。揶揄っているのだ。
やはり、小出は黙ってなんかいなかったようだ。ぼくは後で小出の頭にしばきを入れてやること決めながら、飄々と頷いてみせる。
「話は小出から聞いたよ。なんでも、他校のヤンキーだかと会ってるって話。ぼくは別に―――」
「あぁ、それそれ。ウチラと同じ中学校のアサミヤくんって子なんだけどぉ」
琴葉の話にぼくは続くはずの言葉を消した。
アサミヤ。
あのカフェで話していた男の名前だろう。そういえば、澄香さんと琴葉は同じ中学校出身だということを思い出した。つまりアサミヤという男は、目の前の琴葉と澄香さんと旧知の仲だ。
琴葉は下唇を押し上げるように人差し指をおき、思い出すような素振りをみせながら続ける。
「実はね、この前に連絡がきてね、『澄香のことで聞きたいことがあるんだけど』ってきてね」
声音を低くしてアサミヤという男の真似を挟み、なにかを期待するような目を向ける。きっと「どんなことを聞いたんだ?」って言わせたいのだろう。内心、うんざりするが望み通りに尋ねてやる。
「それで、どんなことを聞いてきたの?」
フフ、と鼻につく笑みを漏らすと、「『澄香のことを狙ってる男はいないか?』って」
試すような目が大きくつり上がり、口元の端の上へと動こうとしている。おかげですぐに嘘だと悟ることができた。結んでいた唇を崩し、勝ち誇ったような下卑た笑顔を見せてやる。
「ウソだね」
「ウソだよ。バレちゃったかー」
悪びれる様子もなく、ケタケタと琴葉が笑う。
「本当はね、澄香ちゃんが作家になったことを教えたの。彼、市外の学校に通ってるからあまりこっちの話しらないみたいだし」
琴葉の言葉のおかげで、これまで一連の意図が理解できた。なんとも大したことのない話だ。少し癪なところもあるが、胸の中のずっと重くつっかえていたものが徐々に晴れていく。
悟られぬように「そうか」、と退屈そうな表情を出してぶっきらぼうに言ってのける。それに対抗するかのように、琴葉も頬を膨らませた。
「なんだー。つまんないのーソーヤ」
「ぼくはずっとそういう人間だよ。一年間一緒に居たのに、気付かなかった?」
つまらない人間だと思ったろう。けど、琴葉には絶対にリードを渡したくない。
琴葉は白けた顔で「なーんだ」とふくれっ面。
「ねぇ、澄香ちゃんのこと、ほんとに好きじゃないのー?」
「もしそうだとしたら、ぼくはずっと前に告白してるだろ? 琴葉は男女の友情っていうのを信じないのか?」
「そうなの?」
「そうだよ。必ずしも、男女が一緒にいるというだけで恋愛に発展するという発想は間違いなんだ。この世界には、何億という男と女がいる。」
今度はぼくがウソをついてやる番だ。やったらやり返す。ドラマみたいに何倍にして返すことは出来ないが、これでも琴葉への反逆にはちょうどよい。
「なーんだ、つまんないの。でも、本当は好きとかうんぬんじゃなくって、気になってるとかじゃなくって? ねね、誰にも言わないからさ、本当は?」
最後のほうはわざとったらしく声を伸ばして鼻の下を伸ばしてくる。
「だから、さっきも言った通りだよ。琴葉に悪いけど、ぼくらは恋人でもないし、恋愛感情なんてものはない」
もちろん、これもウソだ。
仮にそうだとしても、口の軽い琴葉に言うのは周囲の人間と秘密を共有することになる。悪いが、ぼくはそこまでピエロを演じるほど心の広い人間ではない。
「そんなのあるのぉ?」
「あると思うよ。ぼくが、その証明となってやる」
それじゃあ、ちょっと飲み物で買ってくる、と告げ、ドアの向こうへと出る。「いってらー」という声を背中に浴び、廊下を歩いた。
――必ずしも男女が一緒にいるというだけで恋愛に発展するという発想は間違いなんだ。
ぼくの言葉は、ぼくが一番信じたい。
あの日の君は、本当にアサミヤを好いていたわけじゃないと。
女々しさが残るが、初詣の時の澄香さんを思い出す。羨望するかのような、あの眼差しはまるで宇宙だ。ぼくの卑屈で狭量なこころすらも呑み込んでしまう。
そんな君がだからこそ――。
麗らかな気持ちが冷めぬまま、校舎外れの自販機に向かった。見上げれば、薄ブルーの空。
なんだか悪い気がして、ぼくは炭酸飲料を二本購入した。おてんば娘も悪い子じゃないから。
さっきの話、君が隣で聴いていたら、どう思うんだろう?
馬鹿なことを考えながら、キンキンに冷えた缶ジュース二本を持って、教室へと戻った。
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