第19話 冬の真ん中で

 十二月の半ば頃。


 冬というものは肌に張り付くものである。

 視界に見える景色は穏やかなのに、服の隙間から出ている素肌を通して、その寒さを体の芯に刺激させるのだ。

 晴れている日は視覚的効果で、曇っている時は心理的効果で。


 バスの向こうに広がる街はカラリと晴れ渡っているのに、葉を全て落とした街路樹や、空き地で小さくしおれた草木の殺風景さが冬を表現している。少し前まで赤黄色や黄土色に染めた葉たちはどこかへ飛んでいってしまった。


 やはり、秋という季節はやはり待ってくれなかった。

 あれからのことを考え、行動できずまごついていたぼくのことなど気にせず、悠然と街から熱だけを奪って去っていった。ただ、ぼくの胸の中に灯った火炎のように燃え盛る熱だけは取り残したままだったが。


 学校生活は残り片手の指で納まるほどの時間しか残っていない。

 高校生は短命だ。たった三年間で、たくさんのノルマをクリアしなければいけない。特にこの時期はなおさらだ。

 進学を目指す受験生たちは皆一様に、目の色を変えて必死な思いで勉学に励むようになった。人生賭けた重大な分岐点。失敗しても死なないはずだが、十八年と少しの生涯を全て上乗せするギャンブルに挑むのだ。


 ぼくはといえば、学校推薦を出した短期大学の合格通知と、澄香さんにしか興味が持てなくなっていた。学年模試でも中の上くらいの成績のぼくだが、進路相談を担当する先生の話ならば問題ないという。希望するのは総合ビジネスコース。特にビジネスについて学びたいことはパッと思い浮かばない。ただ、親の助言と将来のビジョンが明確に見えないからだ。


 将来に対し、漠然とした目標しかない。自分がここで学んだことが、社会でどのように生かされるかなんてわからない。周囲の誰かのように熱い目標などもなく、ただ『働いてお金を稼ぐ』という概念しかないぼくになど、学校を卒業するのはただの人間関係のリセットと新たな季節の出発点くらいにしか捉えていなかった。非常識で無知なことは理解しているが、どうしてもその偏見を変えることが出来ない。


 一方の澄香さんはというと、暖かそうな真っ黒なダッフルコートを羽織り、首には白とピンクのチェックが入ったマフラー。そして、小さな手の中には納まらない文庫本に詰め込まれた文字を追いかけている。

 この時期だというのに、澄香さんはすっかり小説の虫になっていた。手に持つ本はどれも大衆文学ばかりで、時間があればずっと小説に目を落としていた。かたや他の同級生は参考書や教科書だというのにだ。


 読む小説のタイトルはどれも有名なものばかりで、いまは『美丘』を読んでいる。たしか、数年前にドラマ化した小説だ。話の内容はスマホで調べたが、大学生たちの恋愛もの。内容もぼくら高校生が読むには少しスパイスの効いたラブストーリー。濡れ場があるページを、澄香さんが読んだらどんな風に思うのだろうか?

 下卑た気持ちが沸き起こるが、ぼくはそれを振り払ってフロントガラスの向こうに続く学校への道を望む。


 しばらく本を読んでいた澄香さんだが、鞄からポケットサイズのメモ帳を取り出し、サラサラとそこに何かを書きあげていく。二度ほど盗み見したが、本の感想のようだ。それが何のためなのかは知らないが、ぼくは知っている。彼女の読書は、自分の為ではないのだ。


 澄香さんがペンを止めるのと同時くらいに、カナとハルが乗ってくるバス停に停車した。が、二人は乗り込んでこなかった。ここ最近、二人はこんな調子だ。でも、ぼくとしては二人きりの時間を楽しめるからちょうど良いのだが。


「今日もハルとカナは来なかったね」と僕。


「ふたりとも、受験も近いのに大丈夫かな?」

「きっと……また遅くまでアニメを観ていたんだと……思う」


 サラリと冗談を飛ばし、また本を開く。ここ最近の澄香さんは饒舌だ。秋ごろから少し遠くを眺めていたが、いまはすっかり同じような高さの目線に留まっている証拠だと思いたい。

 乗客を乗せ終わったバスが発車する頃には、澄香さんはまた本に目を落としていた。ぼくは先程の冗談に「どうやらその通りみたい」と相槌を打ち、走り出すバスの窓の向こう、寒々しい空を仰いだ。


 会話のない時間こそ多いが、ぼくらが過ごす時間はこのくらいがちょうど良いくらいだ。彼女の楽しみを邪魔することは、ぼく自身が許せない。


 やがてバスはぼくらの学校前のバス停に着き、停車した。本を閉じた澄香さんとともに降車する。

 外に出た途端、冷え込んだ風がぼくたちに吹き荒れた。澄香さんの首に巻かれたマフラーが風になびく。なびかれたマフラーの端がぼくの顔に届きそうになり、そっと指で撫でる。


「あったかそうだね」


 澄香さんは自分のマフラーとぼくの顔を交互に見る。


「そういえば……今日はマフラーを、巻いてないね」


 うん、と頷き返してぼくは自分の首に指さす。


「実は昨日、たっちゃんの家にマフラーを忘れちゃってね」

「そうなんだ……」


 言い終わると、澄香さんが自分のマフラーを巻いてくれるのかな、と淡い期待をしたが、特に何も起きず、フフと含み笑いを浮かべて校舎へと向かう。至極当然だが、ぼくたちは友人という関係。そんな甘い出来事が起きるわけがない。


 寒さが染みる冬の風が吹き、ぼくたちは隙間風が抜ける距離を保って学校へと歩く。秋の頃から、けっきょく変えることが出来なかった距離。

 どこか上機嫌な感じがする澄香さんだが、その理由を聞けずに今日も隣を歩く。

 晴れ渡った冬の空はどこか清々しさを感じる。だけど、ぼくの中には影を落とす雲が心の中にあった。


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