第20話 小出が持ち込んだ特ダネ
校舎に入り、下駄箱で下足を履き替えて教室に向かう。
ぼくの少し先、廊下を歩くその背中は、いつになく軽やかだ。
その理由はわからない。彼女のここ最近の原動力が何なのか、ぼくは知らないのだ。
でも、ぼくは知っている。
澄香さんが毎週木曜日にコーヒーショップが併設されている本屋に寄って、ぼくの知らない男の子と本を読み、談笑しているのを。
相手の男は知らない。だが、ぼくと同年代くらいの男らしい。
そいつを教えてくれたのは同じクラスの小出であった。
小出はクラスメイトの中で一番アニメや漫画が大好きなことで有名だ。ただ、周りを気遣うことが出来ず、自分の話ばかりを一方的に早口で話す癖があり、皆から敬遠されていることも知れ渡っている。また、その容姿を春に剣崎に弄られていたように、不摂生な生活でブクブク太った子豚のようだ。
人の容姿を馬鹿にするつもりはない。だが、小ばかにされているにも関わらず、改善に務めないで卑屈になる小出のことはあまり好きになれなかった。
そんな小出が声を掛けてきたのはつい数日前のことだ。
昼休み、移動教室で皆が移動した時で、ぼくがひとりの時を狙って、背後から肩を軽く叩いてきた。
振り返ると、なにか思い詰めたような表情を作っていた。すぐに切り出せず、口ごもる様子に苛立ったぼくが「なに?」と尋ねると、飛び跳ねるようにビクリと肩を震わせてやっと切り出した。
「あのさ……これ、石野くんに話そうか悩んだんだけど……。この前、六号線のツタヤに行ったら、大沢さんが他の学校の男子がさ。ふ、二人で仲良さそうに話していたんだよ……」
もったいぶるような言い方だった。まるで自分が事件の重要な目撃者にでもなったかのような振る舞い。その態度が非常に腹立たしかった。怪訝な顔をすると、慌てた素振りを見せる。
「いや、その……雰囲気からして恋人っていう感じじゃなかったんだよ……なんか、その……違う目的というか……」
早口になりながら身振り手振りを交えて懸命に説明しようとする。どうにも回りくどく、面倒くさくなってきた。
「小出、勘違いしてないか? ぼくは澄香さんとは付き合ってないし、ただの友達だよ」
「そ、そうなんだ……ごめん」
おどおどとした態度で俯く。その一連の態度が非常に不愉快であったが、ここで小出を責めるのはお門違いだろう。だが、ここで話を終えるのはもったいない気がした。
「それで、その会った人って……友達とかじゃないの?」
「それがさ……俺、毎週二、三回はツタヤに行くんだけど……。ほら、あの『週刊漫画フリーダム』を立ち読みしてるんだけど……。ほら、『異世界最後の賢者と幼馴染の魔法が強力すぎる』が好きだからさ」
またも早口で説明する小出。その週刊漫画雑誌は知っている。ぼくもその雑誌に掲載されている漫画を、公式配信サイトで読んでいる。ただ、小出のいうタイトルの漫画は知らない。適当な相槌を打ってやる。
「あれさ、毎週の木曜日に発売されるからかならず木曜日には行くんだけど、そのたびに大沢さんがいるんだ。声を掛けようかなと思ったけど……ほら俺、あんま声掛けたことないし……だから声を掛けずに見ていたんだけどさ……」
口の端に小さな唾の気泡を作りながらいう。どこか言い訳のように聞き取れる気がしてならないが、否定せずにまた「うんうん」頷いてやる。
「そしたらさ、すぐに他校の制服の人が大沢さんに声を掛けてさ……。その、声掛けた奴がなんかさ、雰囲気が……不良っていうのかな? とにかく、頭悪そうなヤンキーみたいな
「へぇ、そうなんだ」と冷たい声音でいい、「それで、特ダネスクープみたいにぼくに話したわけね?」と呆れ顔を浮かべてやる。
「ま、まあ石野くんは大沢さんと仲良かったから、さぁ……」
「なあ、小出。あまり知らない人を『頭悪そう』とかいうのは良くないと思うぞ。ぼくはその人のことを知らないけども」
「う、うん」
「それとさ、相手を見てその話をしたんだろうけどさ。もしぼくがその彼と親友だったらどうするんだ? そういうとこを前もって考えてから喋れよな」
小出は押し黙り、気まずくなった空気が支配する前に「そ、それじゃあ」とどもりながらすごすごと去っていった。何度もチラチラと肩越しに見返す視線に、ぼくは睨み返してやる。
今まで小出のことは嫌いじゃあなかったが、今回の余計な噂話で印象は変わった。
亡霊のように足早に去る小出の姿が見えなくなると、ぼくはため息を吐く。
小出の前では出せなかったショックと焦燥を教室の空気に織り交ぜた。もちろん、そんな薄暗いため息を吐いたところで、胸を支配する黒いものが消えるわけがない。
嫌に重い心臓を抱え、ぼくも教科書とノートを持って教室を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
秋の頃から澄香さんは明るくなり始めた。
春の頃から続く不思議の会は、いまでは雑談会となりつつある今日。皆とせせら笑う澄香さんの振る舞いは、どこか可憐さがあるように思えた。
タっちゃんは「打ち解けた感じじゃん」と言っていたが、ぼくは違うと思っている。
確かに、あの公園で話した時から彼女の笑顔は増えていた。でも、その風に乗って飛んでいきそうなほど軽い足取りが見せる微笑みは、秋の頃とは違うように思える。
季節がまた君を変えた。秋の風はぼくだけを取り残し、訪れた冬の風が君を何かに変えた。
君を変えたのは季節か、それともぼくの知らない男の子か。
校舎の廊下。ぼくの二歩前を少し悠然さを持って歩く少女に、その答えを問いただす勇気はぼくにはなかった。
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