第13話 ミライ

 掘っては、出しての繰り返し。単調な作業の繰り返し。始めてから二、三分でぼくらは互いに交わす言葉がなくなった。

 不思議と退屈は覚えなかった。ただ、視界の端で一生懸命に砂を持ち上げる細い指先に連鎖するように動かすだけなのだ。


 ふと、ミライとの日々が思い浮かんできた。理由などわからない。

 脳裏に蘇るのは、まだ出会ったばかりころの初々しいころのミライの顔。


 水を吸って重くなった砂を掻き出す。そのたびにかつての日々がありありと蘇る。


 付き合い始めた頃の照れたぎこちない笑顔。ミライの家の前で、夜の闇で見えにくかった泣きそうな表情。手を振るたびに「また、会えるよね」っていう言葉を何度も聞く。ぼくはいつだって優しく頷いてやった。


 心臓の鼓動が早くなり、呼吸が苦しくなる。

 

 ついに水路に海水が流れ込み、周囲の砂を引き込んでいく。爪と指のあいだに砂が入り、その先端を黒くさせる。


 なぜだ? どうして、こんな時に思い出すんだ?

 

 砂を掬いながら、この湧きあがった衝動。

 行きの駅のホームで見かけた同級生のカップルのせいか? それとも、先ほどの超新星爆発のせいか?


 また思い出す。中学三年生の春休みに触れた唇の暖かさと柔らかさ。リップクリームと思わしきツンとした匂い。そのあとに、ミライは照れて笑ったんだっけ?


 まるであの日に還ってきたかのようにありありと浮かぶ。胸が締め付けられたように苦しい。


 否が応でも、思い浮かんでくるミライの顔は笑顔だったり、伏目がちで照れる表情ばかり。何度も愛おしいと思う瞬間ばかりだ。優しくって暖かい思い出。


 なぜだ? なぜ、今さらになって君が出てくるんだ?

 心の中でそう問うも、答えは返ってくるはずもない。


 やがて、別れを切り出した時の泣き顔が出てきた。くしゃくしゃにした顔を、ぼくに向けてがなり立てる。

 ぼくは、無理やりに手を振った。

 ぼくは……。


 そうだ、ぼくは……。ただ、がむしゃらに泳ぐ少年でいたかったのだ。

 ただ単純に会いたい。手を繋ぎたい。そばにいたい。そんな、子供のような願いばかりが膨らんでいた。下心も含んだ、淡い日々の中で溺れるような想いが好きだったんだ。


 途切れた汗が顎から落ち、砂まみれの手に落ちる。


 あの頃、ただふたりだけの世界が好きだった。それだけお腹がいっぱいだったんだ。

 でも、時間が流れるにつれてミライの作る世界とぼくが望む世界は少しずつ違っていった。


 いつまでも子供で居たいぼくと、歳とともに世界を変えたいミライ。大きくなるミライの世界に、ぼくは追い付けなかった。

 キラキラした世界をぼくと一緒に見たかったのだろう。でも、ぼくは穏やかな日々を望んでいた。でも、互いにそれを口にすることはない。理解し合えるんだと、勘違いしていたのだ。


 さっきまでの浮かれていた気持ちはすっかり消え失せ、自己嫌悪に近い感情が襲ってくる。考えたくもないのに巡ってくる思考に、掻き出す手を速める。それでも思考は止まらない。


「独りよがりの強がり」


 あの言葉が鮮明に甦ってくる。

 いまならミライの言わんとすることが分かる。ぼくはただ、分かり合えない事を前提にして、離れる理由を探していたんだ。理解し合えないなら、ひとつでいる理由がないって。


 そうだ、今もずっと逃げているんだ。

 別れを告げた日。悪者になることで終わるならと、しっぽを巻いて逃げたんだ。大事なこと全てを投げ出したままで。

 ミライに何が出来たか、許されることが出来たか……。そう思うのは、ぼくがミライを忘れられないからだ。どんなに取り繕っても、ぼくはミライに縋っていたのだ。

 それをこうして知ることが出来たのは……。


 ひと際大きい波が押し寄せ、指先の砂を洗い流した。

 波は水路を越え、ついに町に侵入した。まだ建物は崩れなかったが、次がくれば間違いなく崩れてしまうだろう。


 波が引いたのを合図に顔を上げて澄香さんを見た。

 傾きかけた日差しに照らされ、額に浮かぶ小粒の汗が光っている。視線は引いていく波を追い、次に来る波を見据えている。

 また水路を越えて町に押し寄せる波を見て、小さなため息を漏らす。ぼくが突き刺すような視線を送っても、彼女がこちらに向くことはない。


 しばらく見つめた後、ハッと我に返った。そこでやっと気付いた。

 ぼくはどこかで許されたかったのかもしれない。目の前の少女を理解したいという気持ちの一方で、潜在意識の中で、卑屈な自分の存在証明を図りたかったのかも、だ。でも、それは誤りだった。


 彼女はこんなにも真っすぐで、自分を必死に生きている。

 か細い指を砂まみれにしながら、ただただ水路を掘り起こしていた。その力強い指先から感じるエナジーが、ぼくを惹きつけた。そう確信できる。


「もう……陽が落ちるね」


 ぼそりと呟き、海と反対側に臨む遠くの山に目を向けた。つられて目をやれば、一日の最後を告げるオレンジの光線を放っている。ぼくは冷や汗とも呼べる汗を手の甲で拭い、立ち上がって頷く。


「そうだ。そろそろ、みんなを探さないとね」


 擦れた声で告げると、指先についた砂を払う。なんだか、泣き腫らしたあとの子供のような気分。

 彼女から大したことは言われてない。なのに、そばにいるだけでぼくは忘れられないなにかを教わったのだ。


 横目でチラリと澄香さんの横顔を盗み見る。

 懐かしいような、愛おしいような顔で夕日を眺めている。それが不思議で仕方ない。

 何か気の利いた言葉や、人生に為になるような哲学的思想を教えてくるわけじゃない。ただ、そばにいるだけで生き方を変えるオーラを放ってきたのだ。君は特別な力を持っているようだ。感慨深げに観察していた時だ。


「おーい、ソーヤー、澄香さーん」


 遠くでタっちゃんが呼ぶ声に我に返り、声のする方へと振り返った。

 砂浜から一段上がった遊歩道には、タっちゃんの他にもみんながいた。どうやらぼくらが二人でいるあいだにも合流していたようだ。澄香さんも釣られて皆の方に目をやった。


「いまからそっちに戻るよ」


 タっちゃんに大きな声で叫び返す。

 数歩歩き出し、振り返ってみると、澄香さんは海に身体を向けていた。

 名残惜しそうに海を見つめる澄香さんに、自分の中に巻き起こった反省に気を取られるばかりで、大事なことをぜんぜん気付けずにいた。


 海を眺めるオレンジ色に染まった背中は、どこか寂しそうだったのを覚えている。



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