第14話 みんな変わった

 残暑が続く九月の二週目。


 夏休みが終わり、みんなどこか変わった。

 タっちゃんはすっかりアニメに詳しくなり、女子との絡みが多くなった。今まで違う方の健康優良児だったのに、どうにもバランスが取れた感じになってしまった。

 一方の剣崎は女子の関心が引きたいだけの空回りばかりが目立つお調子者になってしまった。特に加奈に対して妙にアプローチが強くなり、その鬱陶しさがさらに増してしまった。


 ぼくも変わった。

 あの日からミライのことを思い返して、何か感じることがなくなった。

 それは喉が渇きそうな緊張を覚えた付き合いたての日も、手を繋いで見つめ合って胸を燃え上がらせた日。心が離れていく窮屈な日も、思い返しても心は揺れ動くことはなかった。

 その代わりに、澄香さんのことを考えることが多くなった。

 あの聖地巡りでの一件以降、すっかりぼくの中で彼女は重要な人物になっていた。彼女を目にするたびにぼくは暖かくなる。

 今まで当たり前にしていた会話も、なぜだか忘れられないほどに印象に残る。今まで行っていた分析もとうに忘れてしまった。

 それくらいにぼくは、今までの自分を失ったような変革があった。


 そして澄香さん。

 一見すればいつも通りだが、前よりも遠くを見つめる時間が多くなっている気がした。夏のあの日に感じたエナジーがどこか薄くなっているように見えた。

 朝の通学で会うバスの中でも、授業中も、そして昼休みの稀にやる不思議な会も。会話の輪から外れたその瞬間、遠くを見つめ、思考を馳せているのがわかった。

 一度呼ばれて気付かず、数度呼ばれて反応することだってあった。

 カナとハルは「澄香、ボーッとし過ぎだって」と笑い飛ばし、澄香さんは「うん」と頷くばかり。


 今日も彼女は遠くを眺めている。教室の窓の外や、ドアのすりガラスの向こう。まるで何かに魂を奪われてしまったかのように。

 なにが君の心を奪ってしまったのだろうか? 気がかりで仕方がなかった。



 ホームルームが終わり、放課後になる。学校の授業から解放されて、浮足立つ皆と同じように席を立ち、鞄を持つ。今日はあいにくタっちゃんが別の用事があって、帰りは一人だ。

 自然と澄香さんの席に目をやる。だが、そこにすでに姿はなく、空っぽの席だけがあった。いつもいるカナとハルの姿もない。そういえば、彼女たちは委員会があるんだったか。

 珍しく一人。そんな時だってある。ぼくは昇降口へと流れていく人の波に巻かれて歩いた。自然とその波の中に、澄香さんがいるのじゃないかと視線だけで探した。でも、いなかった。


 昇降口で靴を履き替え、校舎を出る。

 外に出ればだいぶ夕日が傾きかけ、生ぬるい風が首元をすり抜けていく。うっすらと汗ばんだワイシャツの胸のあたりを引っ張り、汗で張り付いた肌に風を送る。

 校門前まで歩くと、ちょうどバスが発車したところであった。ホームルームが終わってすぐにバス停に来るバス。

 走り出していくバスの車内に目をやると、後部座席に一瞬だが澄香さんの姿がチラリと見えた。すでに彼女は先に乗り込んだようだ。

 ぼくとタっちゃんは過ぎ去っていくバスを『早帰り組』と呼んでいた。澄香さんとぼくはいつもこれより二十分遅いバスに乗っていた。彼女が早帰り組に乗ることなど、ほとんどなかった。

 

 バスが通り過ぎていった通りを見つめる。

 後部座席が見える窓ガラス。微かに、彼女の頭らしき長い黒髪が映る。遠くなっていくバスは、まるでぼくと澄香さんの距離を遠ざけるようにも思えた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 家に帰り、居間で制服から部屋着に着替えたぼくはいそいそと自室に入る。右手にはスマートフォンだけを持って。

 ベッドに寝転がり、右手に持ったスマートフォンを起動し、ブックマークのページから彼女の小説を探す。

 目次を開き、各話のタイトルを眺める。書籍化したせいで第二章以降からのページは消えてしまっていた。各話のタイトルにはぼくが何度も訪問済みリンクを示す紫色に変わっていた。

 もう何度も読んだが、ぼくはまた目を通す。

 記憶を失った青年。そして出会う年上の女性。明かされていく事故の秘密。青年の記憶とともに、心が徐々に開いていくその描写。


 ネットに公開されている小説は澄香さん以外のものを読んだことはない。他の作家さんがどうしてるかはわからないが、彼女の一文一文には目を奪われる。澄香さんが出した本は購入し、そちらも何度も読み返したがどうしてもネットに公開されているものに目をやる。


 ひとしきり眺めた後、ネットを閉じてSNSを開く。アカウントは作ったが、大してフォローもフォロワーもいない。いるのはタっちゃんとカナ、ハル。そして澄香さんだ。

 澄香さんのアカウントをタップし、プロフィールページを開く。円形のアイコン窓の中には青空にすじ雲が映った写真。

 アカウントの更新を見ても、最後の投稿は夏休みの真っ只中である八月十一日。


『忙しくなるため、更新が滞るかと思います。

 ご不便おかけしますが、どうかよろしくお願いします』


 この投稿に対してのいいねは五十八、返信投稿は二十一件もきている。内容は『待っているよ♪』『新作できるのをお待ちしています! ぜひ、無理せず頑張ってくださいね』というコメントばかりだ。コメントの返信も律儀にひとつひとつ丁寧かつ誠実に対応している。

 それから彼女からの発信はない。息をするのを忘れたようなアカウント。


 遠くばかりを見つめていた澄香さんを思い出す。

 君はどこにいるのだろうか? いま、なにをしているのだろうか? それとも、もうどこか遠くへ行ってしまったのだろうか?

 君が遠くを見つめていたのは、また空の上に昇るためなのか?

 心の中の疑問は解決することなく、ずっと胸の中で渦巻いている。


 夏休みが明けて以降、ぼくはこうして自室のベッドに横たわり、女々しく彼女のSNSが更新されるのを待つばかりだ。

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