第12話 砂の町
ソフトクリームを堪能し、ひとしきりの休憩を終えたぼくらは自然と足が進み、公園の中を進む。
前回と同じくぼくの緊張は時間をかけて解けて、ほどよい日常会話を話せることが出来た。それでも後遺症はまだ続いており、彼女のひとつひとつの言葉を受け取るたび、胸がひりつくような痛みを覚えた。
この感覚を知っている。ミライが付き合い始めてすぐのぎこちない歩幅で歩いていた時のもの。
懐かしく思うが、いまはどうしても封じ込めたかった。それは同時に、澄香さんに向けた自分の衝動も殺してしまいたかったからだ。
いまは誰かを演じていたい。こうして、くだらない会話をしているあいだだけは。
足を進めているうちに雑木林を抜け、ぼくらは海岸線へと出た。昼間だったらたくさんの人が居ただろうが、すでにひと気はなく、ひとしきり波に乗っていたサーファーたちも帰り支度を始めていた。
いつからか太陽は傾き始め、太平洋の海を赤く染めていた。砂浜は綺麗に整備されているが、来訪者が捨てたであろうゴミがちらほらと見えるが、海原は穏やかで綺麗だった。
さっきまで続いていた会話が途絶える。ぼくらはさざ波に耳を澄まし、ただただ海を見つめていた。
「海……」
隣でボソリと
ぼくらは自然と石段を下り、砂浜へと靴を落とす。柔らかな砂をスニーカーの底で感じた時、ぼくは澄香さんの足元を見た。生足がほとんど見えているそのサンダルの隙間に、砂が入り込んでいくのがわかる。それでも彼女は気にも留めず、打ち寄せる波へと進み始める。
どこか大胆な行動に気後れしながらも、ぼくは彼女の背中を追った。
ゆっくりと歩く彼女の背中は、海に誘われているみたいに見えた。そのまま海中に姿を消してしまうのではないかと思うほどに。
「人ってさ、元々は海から陸に上がってきた生き物なんだよね」
そういって引き留めた。学校やいつかの本で習った知識だ。
ゆっくりと振り返る澄香さんにぼくは続ける。
「だから、こうして海に魅了されるのは、ぼくたちが海が母なる存在だとどこかで思っているのかもね」
哲学的な話。澄香さんはまた身体を海の方へと戻す。
「そう……かも。人は……文明を持つ前まで……太古の海で暮らしていた……」
「そう。きっとそこには言葉らしいものもなく、ジェスチャーだけで伝えていた。ただその日の食事を、その日の寝床を、次の子孫を。そんな風に考えていたんだよ」
「そうかも。でもやがて……人となり、言葉を持ち……文明を築いた……」
珍しく澄香さんが饒舌であった。彼女が自ら言葉を紡ぐのを待つ。
「人は集落を作り……やがて国を作った……。何度も争い……そしてまた暮らした」
達観した瞳で海の向こうを見つめている。
「私たちの人生は……きっとたくさんの誰かの……命を紡いだもの……」
ひとつひとつの言葉が、今日はやけに鮮明に聞こえる。さざ波と時折聞こえるカモメの鳴き声が混ざるのにだ。
「でも、私は思うの……。これはまだ……大きな物語の一部で……始まりの一部……だって」
言い切るとどこまでも伸びていく海岸線に目を向ける。
彼女は自分の人生を取り巻く、この世界すべてが劇の舞台だと考えているのだ。自分はその中の登場人物の一部に過ぎないのだ。世界という主人公がいて、自分はエキストラ。
そう思えばぼくらの存在だって、誰かの人生のエキストラに過ぎない。主人公はいつだってぼくであり、ぼくではないのだから。
「つまり、ぼくたちの人生はその……神か星が書き続けている物語の一部ということ、かな?」
澄香さんは「私は……そう思う」と背中越しに伝え、波打ち際へとゆっくりと歩き始める。ぼくもゆっくりと追いかける。
彼女の背を目で追うと、その先には誰かがバケツと何かで作ったであろう円柱と四角い砂の造形がいくつか生えていた。その周囲には堀があり、迫ってくる海水を受け流すようにしている。
砂の町。そういえば正しいだろう。波はすでに堀の近くまで迫っている。
「なんだか、澄香さんらしいと思う。それが、小説を書く理由のひとつになるのかな?」
ここで以前から聞いてみたかったことを切り出してみた。
小説家としての一面の彼女を、ぼくは全然知らないままだからだ。ぼくも空想はするが、物語のような大層なものを書こうと思ったことはない。なぜならいまを楽しく生きることを考えるだけで、手一杯なのだから。
問われた澄香さんは歩みを止めず、肩越しに一瞥してくる。
「理由……それとはきっと……違うと思う」
砂の町を足元にすると、スカートの裾を太ももと
「私が小説を書く……その理由は……私もよくわからない」
よくわからない。意外な言葉だった。だが、ぼくが表情や言葉を出す前に彼女はさらに続けた。
「でも……これだけはわかる。ただきっと……そうしたかった、からだって」
はっきりと聞こえる力強い言葉だった。
理由なんてなかった。好きなようにやるだけ、なるほどと感心してしまう。もっともらしい言葉だ。
そう言い切られてしまうと、理由という答えばかりを欲しがっていた自分が恥ずかしく思えた。これじゃあ、まるで子供だ。
「昔は……こうして……町を作るのが、好きだった」
砂の町をじっくりと眺めまわし、柔らかな指先で掘られた水路を撫でる。ぼくは黙って様子を伺った。
「絵で描いたり……ノートに自分が考えた……夢の街の人々の名前を書いたりした……」
波は徐々に迫り、澄香さんの足先まで迫っていた。
澄香さんは見守ることが出来ず、崩れていく水路に手を差し込み、海水の混じった砂をすくい上げていく。
「自分だけの世界を作る……ずっと、憧れていたの……」
「そうなんだ」
囁きながら幾度となく砂を掘り起こし、水路を深くしていく。『憧れていた』。それは今まさに自分が進んでいる道のことだろう。
澄香さんは自分で気づかないだけで、それが理由なのだ。そしてそれは、いまも続いている。
「でも……思った以上に難しい……。少し気を抜けば……簡単に崩れてしまうから……」
町が崩れぬように優しく砂を掻きだしている。彼女の言葉は両方の意味を持っている。ぼくが想像するよりも、小説を書くというのは、大変なのだ。そんなことなど、露とも知らなかった。
それから言葉はなく、無心に両手で砂を掻き出している。その姿はまさに小学校に上がったばかりの子供のようだ。
そんな澄香さんを見て、すこし恥ずかしかったがぼくも腰を屈めて手を貸した。
町に押し寄せる海水は堀の中へ砂を押し出していく。きっとあと数時間もすれば、潮が満ちてこの町を呑み込んでいるに違いない。いまの澄香さんを見ていると、砂の町が崩れてしまうのはなんだか忍びないように思えた。
ぼくも躍起になり、中腰になって砂をどけ始める。犬が“ここ掘れワンワン”で掻き出すように両手で掬いあげ、外へと投げ捨てる。
いまだけは、澄香さんの忠実な
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