第11話 パラソルの下

 ぼくらは歩いて五分のところにある公園の売店に向かった。


 小さなプレハブの店舗の前には『アイスクリーム』と『かき氷』と書かれたのぼりが並び、赤と白の柄のパラソル付きのプラスチック製の四人掛けのテーブルが三つある。テーブルには一組の子供連れの家族がいるくらいで、他に人はいない。

 ぼくは澄香さんにミックスソフトを勧め、ふたりして同じものを注文した。コーンのついたソフトクリームだ。以前に着たことがあるから知っているけど、ここのソフトクリームはコーンの底にフレークが詰まっている。以前に来た時、そいつがすごく美味しかったのをよく覚えている。

 ソフトクリームが出来るまでの少しのあいだ、ぼくらはパラソルが作る影で一休みした。相変わらず汗が途切れない暑さだが、安らぐ場所を見つけただけでも気分が違う。

 さらに気が良くなったぼくは饒舌になる。


「ここのミックスソフトがすっごく美味しかったんだ。とくにバニラのミルクがすごく美味しくてさ」


 勧めた理由を話す。何事も理由というのは大事だ。ぼくはそう思っている。

 パラソルの下で「そう」と頷く澄香さん。影の下でもその肌の白さは際立ち、滲んだ汗で輝いていたように見えた。

 ふと空を仰げば遠くから入道雲が見える。大きく膨らんだそれは、北からやってきて、そのまま東へと流れようとしている。

 穏やかな時間だ。空から視線を落とし、また彼女に目を向ける。

 いつもの視線のビームが注がれる。相変わらず、その瞳は不思議だ。まるで「どうして知ってるの?」というような顔をしていると勘繰り、ぼくは勝手に語り始めた。


「実は以前にさ、付き合っていた子がいてさ。それでここには一度だけ来たことがあるんだ」

「そう……」

「まあ、いまはもう別れてしまったんだけどさ」


 空笑いを放つも、澄香さんの表情は変わらない。

 どうしてだろうか? どうにも空回りしているような気がしてならない。こうなった時、自然と口数が増えてしまう。


「澄香さんは今まで、男の子と付き合ったことないの?」


 正直、どうでもいいことだった。聞くべきことではないのかもしれない。澄香さんは首を横に振る。


「そういう雰囲気になったとかは?」


 また質問するもゆっくりと首を横に振られた。ラジオのパーソナリティのように続ける。


「逆に誰かを好きになったとか、そういうのも?」


 一辺倒だが、ずっと答えは「いいえ」だ。だが、少しの間をおいてまた小さく首を横に振った。


「それらしいことは……あったかも。でも……それが恋愛的な、“好き”だったのか……いまはわからない」


 自分が初心な少女をからかっているような嗜虐感を覚える。


「それじゃあ、今こうしているぼくが、初めてのデートの相手かな?」


 調子に乗って不敵な笑みを投げかける。まるで小学生くらいのいじめっ子のような気分だ。マウントを取るというのが如何に気分がいいものか。

 自分の言葉がどのような影響を与えるのかじっくりと観察した。

 「うーん」と口の中で唸ると、言葉の意味と意図を理解したのか、薄く唇を開いた。


「デート……? そうかぁ……」


 なにやら納得したような頷きを見せたあと、間をおいて小さく首を傾げる。


「こんな風にされるのは……初めてだから、少し、恥ずかしい……かなぁ」


 ゆっくりと照れて微笑む。

 それを目にした途端、ぼくの心臓がドクンと跳ね上がり、顔全体に熱を帯び始めた。

 慌てて視線を落とし、誤魔化すように「そうなんだ」と呟く。

 まただ。また、あの感覚だ。

 心臓は唸りを上げてバクバクと跳ねだす。パラソルの下、ぼくはどぎまぎしながら地面を見つめている。


 横目でチラリと澄香さんを見る。手渡したアイスクリームを小さく口を開けて上品に味わっている。ぼくはまだそっちに向けないまま、顔全体に熱帯びていくのを感じる。

 少し時間を置いてぼくはもう一度、澄香さんの横顔を覗き込む。夏の強い日差しが帽子の下の顔を照らす。同じ世界にいるはずなのに、まるで遠くの世界にいるような気分だ。

 なぜ自分が高揚しているのがわからないまま、ずっと彼女の横顔に見惚れていた。


 店員から声を掛けられてやっと我に返り、慌てて席を立った。どうかしていたようだ。

 出来たばかりのソフトクリームを受け取り、もう一度席にもどる。

 すでに澄香さんをからかうほどの心の余裕はなかった。ぼくは「どうぞ」と持ったアイスクリームを手渡すくらいが精いっぱいだったのだ。


 ひんやりと冷えたアイスクリームを舐めながら、思考を巡らせる。だが、ぼくの理性を狂わせる原因がなんなのかわからない。

 悟られぬように、ぼくは横目で澄香さんに目をやる。

 目を隠しそうなほど伸びた前髪。その毛先に見え隠れする大きな瞳。耳を隠し、肩までしなやかに伸びた黒い髪。ソフトクリームを味わおうと小さく開いた口。白くて細い首。細いボディラインを覆う白のワンピース。


 改めて視界にいれたわずか数秒で色んなものが高揚と緊張に混ざって湧き上がる。自分の心臓がまた早い鼓動を打ち始めているのがよくわかる。


 緊張、という表現が一番しっくりくる。


 彼女の前でぼくは、ただの無力な子供みたいになっているのだ。

 それはミライと付き合っている時に感じた、あの初心な童心混じりの感情と似ていた。

 もう見続けることは出来ないと悟り、ぼくは足元を見るようにソフトクリームを舐め続けた。会話する言葉も思い浮かばず、それはデザートを堪能しているせいだ、と心の中で言い訳するほど。


 そんな訳のわからない状態のぼくなど露知らず、澄香さんは夏のふわふわと膨らんだ入道雲を見上げながらアイスクリームをゆっくりと口に運んでいった。


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