第2話 大沢澄香という少女

 ぼくの学校には大沢おおさわ澄香すみかという女の子が居る。

 水晶のようなキラキラした瞳を隠すくらいの長い前髪に、他の女子が羨むような細くすらっとした身体つき。普段は制服も着崩さぬおとなしい女の子たちと集まり、春の咲いたばかりの草木のような穏やかさで過ごしている。その中で彼女は片手に文庫本をもって細々と談笑している子だ。


 彼女を初めて見かけたのは入学して間もない頃の通学バスの中でだ。

 まだ緊張が解けないぼくが乗り込むと、混雑した車内でいつも後方の座席に座っている。おそらく住まいは市郊外の始発のバス車庫の近くだろう。この時は同じ一年生の女の子なんだと、気にも留めなかった。


 二年生に上がり、クラス替えによって新たに出来た友達からはじめて彼女の名前を知った。

 おおさわすみか。どんな漢字を書くのかすらもわからない。

 二年生になってから、放課後の図書室で彼女を見かけたことが何度かあった。そういうときに限って互いに目が合うもんだから、軽く会釈をしてやる。すると彼女も小さく会釈を返してくれるのだ。おかげで通下校中のバスの車内でも挨拶せざるを得なくなった。

 それから会うときには小さな声で「どうも」と声を掛けるようにした。僕なりの自己紹介にも満たない挨拶だ。彼女も小さく「どうも」と会釈して返す。おかげで文字通りの顔見知り程度になった。寧ろ、互いに自己紹介すらきちんとしていないのに、挨拶だけは交わすのだ。変な関係。


 彼女は必ずと言っていい程に本を持っていた。

 通学のバスでは週刊系の少年漫画を開いており、放課後の図書室では江戸川乱歩のミステリー小説を読んでいた。かと思えば、翌日のバスの車内では最近映像化されたライトノベルを開いている。なんだかまとまりがない。

 そんな二年生の秋ごろ、同学年の男子の数名が彼女に告白をしたらしい。頑張って連絡先を手に入れ、SNSや電話で想いを告げたそうだ。ある者は夕日が射す放課後の教室に呼び出して告白したらしい。想像しただけでとてもロマンティックな風景だ。

 だがどれもみな玉砕だったそうだ。どんな理由でフラれたのかは知らない。でも彼女は天女でもなんでもなく人間だ。人には好みがあるし、自分なりの価値観を抱えている。仕方のないことだ。


 そんなぼくはというと、中学時代から付き合っていた恋人のミライと別れた。そんな時期だったからこんなことを覚えているのだろうか? ちなみにぼくは別れを切り出した側だが。

 ミライは可愛くて愛嬌のある、どこにでもいる普通のいい娘であった。

 付き合いはじめた頃は毎日そばにいるのが当たり前で、なにかにつけては『二人でいなければいけない』という理由ばかりを探していた。いま思えば、ただ隣にいるだけで良かったのだ。それで満足しないから無理やりに目的と写真ばかりが増えた。

 おかげでSNSの写真にはインフルエンサーたちにあやかった写真ばかりが増えた。地面に並べたふたりの写真や、夕日を正面にしてピースを合わせた写真。コーヒーショップで買った透明なカップを二つ並べた写真。それは思い出作りというより、ミライが友人に見せて話のネタにするための、遠回しな自慢の証に近かった。

 やがて中学を卒業し、お互いに違う高校に通っていたということもあり、会う時間も極度に減った。

 高校二年にあがった頃にはマンネリと化した日々ばかりに、渡し合える言葉も少なくなっていた。退屈と虚しさが混じった空気ばかり吸ったせいか、ぼくの心は息苦しくなり、ミライを捉えることが出来なくなっていた。

 楽しく過ごした日々に戻ることが出来ないふたりは、そばに居てもなんのメリットがない、とぼくは考えた。この時はミライも同じことを考えているものだと錯覚してしまった。そこでぼくは別れ話を切り出した。

 ミライは切り出した別れ話にひどく反発した。これは予想外で、言い争いに近い話し合いに発展した。話し合いの終盤、大粒の涙を流しながらぼくに文句を浴びせてきた。


「独りよがりの強がり」


 色んな文句の中で、今でも覚えている台詞。それがどんな意味なのか、今のぼくにもわからない。

 何も言い返さず、されど何も解決させないまま、謝ってミライの元を離れた。

 それからSNSの写真をすべて消し、ミライの連絡先以外、ミライに繋がるものはすべて消した。貰ったTシャツや買い揃えた小物は二週間かけて全部捨てた。

 あれからミライとは連絡は取り合っていない。いまとなってもう遅いが、ひとつだけ心残りがある。

 それはミライに「ありがとう」という言葉をいえなかったことだ。

 虫の良いはなしだが、ミライと過ごした二年と数カ月の時間の中で、ぼくは返せそうにないものばかりを貰っていた。せめてもの償いでしかないが、感謝の言葉だけは伝えるべきであった。だが、たった五文字の言葉を口に出来ないとは。この時ばかりはひどく自己嫌悪した。


 ミライと別れたぼくは周囲の慰めを支えに、ひとりの生活に慣れていった。

 それから別に目移りするわけもなく、いつも釣るんでいる同性の友だち数人と楽しく毎日を過ごしている。何か人生を変える大きいことが起きるわけでもないが、その日が楽しくて、どこか足元が見えない宙ぶらりんな生活ばかり。

 そんな生ぬるい日々が、ぼくにとってはかけがえのない日々だと信じて疑うことはなかった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 


 そんな高校生活も三年生に入る直前の春休みでのこと。

 長い休みになるといつも自室の座椅子の上でダラダラと過ごしている。その日もすることもなく、スマホで無料の漫画サイトにアクセスして暇つぶしに読んでいた。

 どこかで見たようなありきたりな展開を眺めていると、スマホがピロリンと鳴る。画面を見ると友人の一人であるタっちゃんからSNSを通したメッセージが届いていた。


『ソーヤいまヒマかー?

 ヒマなら遊ぼうぜー。

 それと大沢澄香さん、小説で賞とったらしいぞ』


 何の脈絡もない文にぼくはあきれ気味に頬を緩ませた。タっちゃんこと飯島いいじま達也たつやは面白い友人だ。

 入学式の時に席がとなりで、向こうから声を掛けられたのが最初の出会い。いまではイヤというほど毎日顔を合わし、くだらない会話をする仲なのだ。自由人で流れるまま主義だが、どこか人を魅了する男なのだ。だからタっちゃんからの誘いはいつも乗っている。

 ぼくは


『ヒマだわ。

 なにそれ?(笑) 

 とりあえずいつもの場所に集合な』


 と返信を打ち込み、身支度を整える。

 いつもの場所というのは市の中心部にある全国にどこにでもある普通のハンバーガーショップだ。そこがぼくやタっちゃん、そして他の友人たちの集合の場所。

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