第34話 目障り

 「ロープが張られてるとこは危険だから絶対に近づくなよ~! 親御さんたちもお

子さんたちに注意しておいてくださいね~!」


 担任の教師が僕らのクラスに危険な場所の方向に指をさし、注意する。


 数日後。


 僕の学年は、生活合宿という行事があり、山の近くにある施設に宿泊したり、近く

の博物館で課外学習をしたり、夜には肝試しをすることになっていた。


 保護者同伴で、兄弟姉妹が小学生なら同伴してもいいことになっている。


 山登りの途中で休憩をした時、あの時の事情を尋ねられた。


 僕は、少しだけ照れくさくなりながら、事の顛末を話した。


 「本当に愉快だったよ。あんなクソみたいなやつらが、唯奈ちゃんたちを傷つけた

んだ。清々したね。次会ったら、もう一回使ってやろ」


 パンっ、と気持ちのいい音が鳴り響いたのは、直後だった。


 いや、快音ではなかった。顔面に伴う痛みに、心の中まで、衝撃が届いたような心

境だった。


 「本当に、そんな『チカラ』があるなら、もう二度と使わないで」


 初めて見る顔だった。


 僕の目の奥を貫くような鋭い視線。


 彼女は、怒っていた。


 僕の頬は、火傷をした時のように、空気に触れると気持ちの悪い感覚に苛まれ、む

ず痒かった。


 顔を赤くして怒った彼女は、この間の中学生なんかよりも、ずっと怖かった。


 対する僕は…。


 「なんなんだよ…」


 「きゃっ!」


 彼女を突き飛ばした。


 「なんなんだよ! 僕は唯奈ちゃんのために、この『チカラ』を使ったんだよ!? 

なんで僕がそんなことを言われなきゃいけないんだよ!」


 最悪だった。


 自分でも分かっているのに、信頼していた彼女に少しでも否定されたことが怖くなっ

て、怒りで自尊心を守った。


 「僕のこと、嫌いなんでしょ?」


 「そんなこと言ってないじゃん! 落ち着いてよ!」


 「…もういいよ…。どうせ僕のこういうところが嫌いなんだよ、みんな」


 彼女とはもう、話す気にはなれなかった。


 「待って! 私は、ただ…」


 彼女に背を向けて、彼女の言葉を無視して、そのまま彼女とは距離を取った。


 「…聞いてた…?」


 僕らのやり取りを近くで見ていた妹の唯花ちゃんは、どうやら最初から聞いていた

みたいだ。


 「本当に、そんなことが出来るの?」


 人見知りな彼女にしてはハッキリとした物言いに僕は気後れし、そのまま逃げるよ

うに去った。


 そして僕は、自分が果てしなく愚かだということを知る。


 宿泊施設に着き、僕は、二段ベッドが二つ設置された部屋に、クラスの男子三人と

共に荷物を降ろす。


 「俺、上が良いんだけど、いいだろ?」


 「いいよ」


 初めから自分に権利があるような発言には目をつむっておこう。


 「ところでさ、お前」


 ベッドの上段を譲ったクラスメートが、気遣うような調子で僕に言った。


 「やめといたほうがいいかもよ? あいつ」


 「えっ」


 僕は、彼の言いたいことがよく分からなかった。


 それを察した彼は、言及する。


 「だから、目黒唯奈と一緒にいるのは、止めた方がいいってことだよ」


 「ああ、確かに」


 「俺もそう思ってた」


 横から聞いていた男子たちも彼の発言に同調する。


 「なんでだよ」


 僕だけが、未だに要領を得ないで苛立っていると、彼らは遠慮がちに核心を暴露し

た。


 「あのな…、お前、気付いてなかったのか?」


 「おい、まだ言わない方がいいんじゃないのか?」


 「あいつ、クラスの女子全員から嫌われてるんだぜ」


 小鳥のさえずりが聞こえる静かな部屋に、声になった事実だけが響いた。


 僕は、いつの間に女子の部屋の前にたどり着いたのか分からない。


 ただ、彼女の元へと行くしかなかった。


 すると、立ち尽くす彼女がいた。


 女子部屋の扉を少しだけ開けて、部屋の中の彼女たちの目を忍んで、流れ込む音を

聞いていた。


 彼女よりも少し遠くにいる僕ですら聞こえた、女子たちの非難。


 男に媚びを売る。


 出しゃばり。


 あんな根暗とも仲良くなろうとする偽善者。


 気持ち悪い。


 目ざわり。


 不愉快。


 「来ないで…!」


 僕へ近づき押し殺した声で、僕を制する。


 「もう私に関わらないで…」


 止まろうとしない僕にしがみつき、進行を制する彼女。


 「でも、…っ!」


「ほっといてよ!!? 目障りなの!!」


 部屋の奥のやつらの耳に入ってしまうほどの金切り声を上げる彼女。


 絶対に止まらない。あいつらに報復してやるんだ、と意気込んだ僕は、止まってし

まった。止まらざるを得なかった。


 妹のためなら中学生にでも勇敢に立ち向かえる強い彼女の目から、堪えきれなかっ

た涙が溢れだしたことに気付いたから。


 「分かった」


 僕は、部屋の奥には進まないことにした。






 夜は、あっという間だった。


 肝試しの時間。


 くじ引きによって、四人一組の班は決まった。


 運命なんてものは、フィクションの世界にしかないことを、僕はあらためて思い知

った。


 「ゆっ…」


 彼女は、ただ一人で、目的地のある下へと歩き始めた。


 「あれ、唯奈ちゃんは?」


 誰も見ていなかった。


 昼間はあれだけ面白がって彼女の話をしていたやつらは、こんな時だけ、他のこと

に夢中だった。


 興味を持って非難するのなら、せめて最後までそれを貫けよ。


 僕は、拳を固めた。固めることしかできなかった。


 あの涙を見ると、僕は…。


 何をやっても、余計なおせっかいで彼女を傷つけてしまうに決まっている。そう決

めつけた。


 だから、その代わり…。


 僕にできること。


 僕にしかできないこと。


 彼女を、救って見せると、誓った。


 『もう私に関わらないで…』


 彼女に直接かかわらないで、誰かを傷つけて彼女に迷惑を掛けない方法。


 もともと、『これ』しか取り柄のない僕は、闇に消えゆく寂しい背中に向って。


 「せめて…、今日の闇が、消えてくれるなら…」


 『チカラ』を発動した。






 知らなかった。


 彼女が、女子たち全員に嫌われていることなんか、気付かなかった。


 でも大丈夫。


 特別な『チカラ』で、せめて今日だけの闇を晴らして見せるから。


 記憶が消えて、混乱すれば、明かりのある宿泊施設の方へと、彼女は引き返してく

るだろう。


 そう思っていた。


 しかし…。


 それから一秒。


 二秒。


 三秒。


 待っても、彼女は帰ってこなかった。


 僕は、焦った。


 「ちょっ、おい!」


 班を抜けて、懐中電灯の光だけを頼りに、僕もまた闇の中へと飛び入った。


 真っ暗な、真っ黒な土を、草を踏みしめて、夜風を切り裂いて、脈を早めて、息を

切らして、それでも走り続けて…。


 「…見つけ…!」


 木々のほとんどない、見晴らしのいい場所へとたどり着き、彼女を見つけた。


 月明りが、木々にも雲にも隠されることなく、光り輝いていた。


 美しく輝く月明りに照らされた彼女は、僕と目が合う。


 「誰…?」


 記憶を失い、どこかをさまよっていた彼女は、ぼんやりと僕を見つめる。


 曇っていた双眸は、僕を目にした瞬間、雷の光が閃くように生気を取り戻した。


 「…っ!? 圭く…!」


 彼女は、完全に思い出したようだった。


 僕を…、見て…。


 そして彼女は、危険だと言われていた場所の、高い崖の縁で地面を踏み外し…。


 踏み外し…。


 消えた―。


 鈍い音が、何かが地面に衝突した音が、僕が今いる遥か下の方で…。


 


 落ちた―。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る