第35話 人殺し

 涙が出たのは、夜が明けて、さらにまた夜が明けて、教室で、彼女の席だけが空席の教室で、担任の口から彼女が死んだことを聞いた、その数秒後のことだった。


 「あああああああああああ!!!!!!!!」


 僕は、呻き、叫び、よだれも鼻汁もたらし、涙を流し、怒りとも悲しみとも虚しさ

とも無力感とも恨みとも尊さとも、いくら泣いても喚いても形容できない感情を、爆

発させるばかりだった。


 周囲の目などお構いなしに、僕はそのまま、泣き続けた。





 唯奈ちゃんの家の前を訪れると、お通夜も葬儀も終わっているので、特に誰が来訪

していると言うことは無かった。


 彼女がいないことが、信じられなかった。


 今こうしているうちにも、通学路から歩いて来るんじゃないかと、その道の方を眺

めるけど、彼女らしき人影は一向に見えない。


 玄関を開けると、唯奈ちゃん、ではなく、彼女によく似た妹の唯花ちゃんが僕に気

付く。


 僕に近づき、握り締めた服を前後へ強く揺らした。


「返してよ…、返してよ!!」


「ごめん…。ごめん…」


 ボロボロと大粒の涙を流す妹の顔が、あの日の姉と重なった。


 「この人殺し!」


 人殺し。


 そうか、僕は、人を殺したんだ。


 この『チカラ』で。


 「あんたが死ねば良いのに!」


 本当にその通りだ。彼女を守れなかった弱い僕は、『チカラ』に頼ることしかでき

なかった。そしてその『チカラ』で、僕は、彼女を殺したんだ。






 死にたかった。


 彼女を、自分の手で殺したようなものの僕は、この日からずっと、死にたかったの

だ。


 しかし、死にたいなんて思っているくせに、いざ学校の屋上の縁に立つと足が竦ん

で飛び降りることが出来なかった。


 せめて、彼女と同じ死に方で、彼女の痛みを分かってから僕もあの世へ行って、彼

女に謝りたい、なんて僕の心は、自責を逃れるためのまやかしだった。


 『チカラ』さえなければ。


 そう思う時もあったが、しかし、『チカラ』を意図して使ったのは僕自身だから、

そんなことを責める権利もない。


 全ての責任は、僕にある。


 『この人殺し!』


 静かな部屋に、数日前に言われた彼女の言葉が、頭の中を反芻する。


 彼女の言う通りだ。


 僕は、人殺し。


 「人を、殺した」


 僕以上に、大切にしていた人がいる。


 その人たちから、僕は、彼女を奪った。


 独りよがりの、『チカラ』の使い方で。


 以来、僕は、どのように過ごしてきたか。


 逃げた。


 逃げたんだ。


 抱えきれない、一生背負っていかなければいけない苦しみから、逃げ続けた。


 来年、僕は引っ越す。


 小学校も中学校も、引き続き唯花ちゃんと同じで、彼女を不愉快にさせてしまうこ

とを申し訳なく思う。


いや、本当は、あの煮えたぎるような怒りの感情から離れたかったはずだ。弱い僕

は。


 マンションを去る。


 管理人室のノート。


 僕は、唯奈ちゃんに会う前からずっと手を付けていなかったノートを、開いた。


 あの時のように、大人が離れた部屋に忍び込んで、ノートの内容を確認する。


 二か月以上経過しているのに、ノートは相変わらず更新されていた。


 僕が離れていった日も、ずっと、ずっと。ノートが終わらない程度に、小さな文字

を三行以内に書いて、一日一日の日記のような内容をつづっていた。


 「君らしいや…」


 涙が出てきた。


 『早く戻って来てね、『お相手さん』。』


 ノートに涙が落ちないよう、袖で強く拭ってから、続きを書いた。


 『最後まで、書き続けてくれて、ありがとう。でも、僕は引っ越すから、もう会え

ない。きっと、ずっと。ごめん』


 このやり取りを、きれいに終わらせるための、続きを。


 『さよなら』


 『お相手さん』に、最後の言葉を送った。


 お互いに『お相手さん』と呼び合い、近くて遠い『お相手さん』とノートに文字を

書き合った遊びも、これでおしまいだ。


 電話番号を聞きたい、なんて書けるわけがなかった。人を殺した僕が、誰かと幸せ

になっていいわけがなかった。


 この人まで、僕の『チカラ』で、いや、僕の『チカラ』の使い方で殺すわけにはい

かなかった。






 『チカラ』を、自分に向けて使う毎日。


 毎朝、鏡を見ると、僕は、失っていた一日分の記憶と、僕という存在の記憶を思い

出す。結局、僕が一番大事にしているのは自分自身だった。


 彼女は、僕のことを目にして、思い出してくれたのに。


 僕は、僕が馬鹿にしている人間たちと同じだった。


 自分のことが一番大事だった。


 「もういいよ…」


 死ねないなら、死ぬ勇気がないなら、この『チカラ』を好きなように使ってやる。


 どうせ人殺しなんだから、僕は。






 「白木ぃ~、今日も行くよな?」


 「…うん」


 万引きを始めた。


 中学一年生の時、同じクラスになった翔。教師に挑むように髪を伸ばし、学生服の

第一ボタンを開いたままの男子。


 態度の悪そうな、しかし見栄を張っているようにも見える彼は、消沈して孤立し

た、社会的にも暴力的にも弱い僕を標的にし、遊ぶようになった。


 露骨に、暴力で威圧したり何かを強要することはなかったが、カラオケで歌う曲が

彼の方が多かったり、夏の暑い日や冬の寒い日に入ったファストフード店ではエアコ

ンのよく当たる席を選んだりと、注視しないと見えないくらい小さな上下関係を築き

上げた。


 そんな彼に、僕は万引きを提案した。


 さすがの彼も犯罪行為には面食らったが、複数人ということで、恐怖が分散したの

かもしれない。


 防犯カメラがないことと、店にいるのが年寄りだけなことを下見してきた翌日、万

引きを決行する。


 「お、おい! ホントにやんのかよ…!」


 縮み上がる辺り、本物の悪人ではないんだな、と嘲りながら、僕はのんびりと穏や

かに笑った。


 「大丈夫。どうせあの中のみんな、僕がやったなんて、分かんなくなるから」


 そして僕は、古くなった建物の、木製の扉を開けて、犯行に移った。


 周りの人間が、いつものじいさん店員だろうと、勘のよさそうな大人だろうと、常

連の女子学生だろうと、関係ない。


 僕は、『チカラ』を使う。


 どうせ、自分のことが一番大切なんだから、この『チカラ』は、自分のために、自

分を満たすためだけに、使ってやる。


 そして僕は、犯罪者になった。


 しかし、盗んだ本は、いつも返した。中途半端な良心がまとわりついた、


「漫画くらい置いとけっつの! つまんねえ店だな」


というよりも、僕も翔も、小説なんかには興味がなかったから返すのには躊躇わなか

った。 


 返す日に、また別の本を、盗んだ。


 「まあでも」


 翔と僕は、目を合わせる。


 「これでもいっか。下手に持ってるとバレるかもしんねえしな」


 僕たちは、『盗む』という行為を楽しむために、その店の本を盗んでは、返却を、

繰り返した。


 二週に一回の、楽しみだった。


 どうしてバレないのか、なんてのは、翔には問い詰められなかった。短絡的で、直

情的な人間だな、と胸の内で笑ってやった。




『早く戻って来てね、『お相手』さん』


 


胸を締め付けるような痛みが走った。

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