第31話 正真正銘

 「ねえねえ! 白木くん!」


 チャイムが鳴りだすとすぐに、目黒唯奈は席を立ち、僕の席へと直行してきた。


 「ちょっと、目黒さん」


 「お菓子、何持っていく?」


 周囲の目に怯える僕に構うことなく、さっき授業の時間を割いて行われた遠足の説

明についての話を仕掛けてくる。


 案の定、周囲の目は、僕らの方を向いている。僕二人に、興味が集まる。目を細めて笑うやつらもいれば、意外な組み合わせに純粋に驚いているやつら、どこか穏やか

ならぬ面持ちで睨むように僕を見るやつらもいる。


 「お菓子、だよね? ええと…、まだ決めてないや」


 「そうなんだ!」


 彼女は、まるで何かのチャンスを見つけたようにあからさまに喜びの表情を浮かべ

た。


 すると途端に、下を向いて物静かになり、自分の両手の指を絡ませてせわしなく動

かし始める。


 「…い?」


 「ん?」


 急に放たれた小声を聞き取ることが出来なかった。


 「だから…その…」


 もう一度、次は何とか伝わる声で、僕に言った。


 「お菓子、一緒に選びに行かない?」


 ようやく聞き取れた言葉に、僕は胸が高鳴るほどの高揚を感じた。


 「も、もちろん」


 初めてだった。


 学校以外のどこかへ行こう、なんて誘われるのは新鮮で、平たく言えば初めてで、

間違いなく、この時の僕は心が躍っていた。






 日曜日。


 家に閉じこもって、漫画とゲームをすることくらいしかできない僕が、軽快な足取

りで、遠足で食べるお菓子の調達のために玄関を開けた。


 「お幸せに~」


 「そんなんじゃないってば…」


 お調子者の母親に少々呆れながらも、家に引きこもってばかりいる僕を心配してい

た母が嬉しそうで、僕もまた、嬉しかった。


 家族としか過ごさないのは、すごく恥ずかしかった。休みの日は、友達と遊ぶもの

だから、家族としか楽しく過ごせないのは、ダサくて、幼稚で、それがたまらなく嫌

だった。でも、あんなクラスでは友達なんか作れっこなかった。他人をからかうのが

好きで、そのくせ自分たちがからかわれると逆上して手を出してくるような薄っぺら

い人間ばかりだったから、そんなやつらと友達になるのはごめんだった。


 でも、今日は、違う。


 彼女と友達になれたら、僕は…。


 「ごめん、待った?」


 「ううん、全然。行こっ!」


 集合場所にしていた駅に、先に付いた目黒さんが、手をひらひらと振って、僕に笑

いかけた。


 電車に乗り込み、二駅越えたところで、電車から降りる。


 近くのショッピングモールで、おいしいクッキーがあるから、と彼女は早歩きで人

通りの多い道を進んでいく。


 僕は怖くなった。自分たちよりも一回り大きな人が、こんなにもたくさんいること

に、足が竦みそうになった。


 ぶつかったら怒られるかな、彼女にも迷惑が掛かるかな、なんて心配をしている

と、急に彼女は僕の方を振り返ると、


 「走ろっ!」


 いつものように、きれいな歯を見せて一笑した彼女は、僕の手を掴んだ。


前を振り返って、駆け足で僕の手を引っ張る。


勢いに任せたまま、僕もまた、走ることにしたのだが、手に柔らかい感触とぬくもり

が伝わって、心臓が大きく、早く、脈打った。


 「早くしないと、売り切れちゃうから。あそこのクッキー、大人気なんだ!」


 スピード上げるよ! と周囲の視線なんかお構いなしに、小学生らしく嬌声を上げ

てアスファルトを駆ける彼女。


 お菓子を買うところまでたどり着いていないのに、僕の心は、とっくに満たされて

いた。


 「六枚入りを、…一つずつ」


 二人して、店員さんが苦笑いするくらいに息を荒げて注文すると、若い、とは言っ

ても僕たちよりは年を取っているお姉さんが、片手にシャベルのような物を持ち、も

う片手には赤を基調としたおしゃれな袋を用意し、ショーケースの中にある大きな容

器から、山積みになったクッキーを袋に入れていく。


 焼き菓子のいい匂いがした、まるで夢の世界に包まれているような、うっとりとし

た甘い匂いに閉じ込められて阿呆のように立っていると、肩を軽く叩かれた。


 振り向くと、目黒さんが笑っていた。


 そして夕方。


 「あの時、すっごくボーっとしてたから、本当に大丈夫かなーって、思ってたんだ

よ?」


 彼女が、あのお店での僕の様子を思い出して、意地わるそうに笑う。


 「大丈夫、なんて思ってないくせに」


 僕は頬を少し膨らませる。


 すると彼女は、夕焼けでオレンジ色に変わった空を仰ぐ。匂いを嗅ぐような仕草を

見せると、声を大気中に逃がすようにして、僕に言った。


 「楽しかった」


 僕は、彼女の発言に、息が止まりそうだった。


 感極まった。


 感想としては月並みもいいところな表現だけど、この時の僕には、それしか言葉が

出てこなかった。


 彼女は、ゆっくりと向き直って、さらに僕を驚かせる言葉を放つ。


 「ありがとう、圭くん」


 「っ!?」


 彼女の『ありがとう』のインパクトは、『圭くん』という呼び方には到底かなわな

くて、卒倒しそうなくらいに、この時の僕は、嬉しかった。嬉しくて、たまらなかっ

た。


 だから僕も、勇気を出して、


 「僕の方こそありがとう、唯奈ちゃん」


 と、何とか喉から絞り出すように、彼女の名前を呼んだ。


 初夏の夕焼け。


 クッキーを買いに、二駅越えた旅をした僕たちは、正真正銘、本当の友達になっ

た。

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