第30話 目黒唯奈

 目黒唯奈は、『チカラ』を初めて信じてくれた人だった。


 「白木くん!」


 「わあっ!」


 小学五年生の時に、同じクラスになった僕ら。


 昼休みの誰もいない教室で、ぼんやりと校庭を眺める僕に、ある日、同じクラスの

彼女は僕に声を掛けた。


 「なにしてんの?」


 「…」


 ずかずかとテリトリーに入り込んでくるような彼女に、僕はうんざりだった。


 「あっ、あいつらまた喧嘩してる~。ボールの取り合いくらいで、何やってんだ

か」


 すると彼女は、校庭で揉め合うクラスメートの様子を指さして笑い始めた。


 「ふふっ…、あっ」


 あまりの滑稽にさに思わず吹き出してしまった僕に、新たな発見をしたような驚い

た表情を浮かべた。


 「白木くんって、意外と悪いやつなんだね」


 そして、いたずらっぽく笑った。


 「悪いかよ」


彼女はクラスの人気者なので、今のを見られてはまずい。本人たちに報告されるだろ

うか、と不安そうに、それでも不安を悟られないように虚勢を張って挑むように睨む

僕。


しかし、彼女は。


 「ぜーんぜん!」


 と、鼻から息を大きく出して、


 「だって、あいつら嫌いだもん!」


 と言い切った。


 「頭わっるいから、大っ嫌い!」


 さらに彼女は、彼らを否定し、にい、と歯並びの綺麗な白い歯を見せるほどに、顔

を歪ませて笑った。


 「なんだよ、それ」


 安心した。


 緊迫した僕の胸中が、今ではすっかり落ち着き払って、今なら彼女に何でも話せそ

うな気分になった。


 「白木くんってさ、放課後は図書館にいるよね?」


 「そうだけど、なんでいるの知ってるんだよ?」


 「だって、図書館に行くような人、白木くんぐらいしかいないから。ちなみに、私

もよく行くからさ!」


 「そうなの?」


 全く気付かなかった。


 僕は、周りの人間が何をどうしてようと、全く興味が無かった。ただ、僕のことを

信じてくれなかったクラスの人間が、今さっきみたいな醜い争いをしているような姿

を見るのは、しごく愉快な気持ちになるのだけど、基本的には他人に興味が無かっ

た。だってみんな、『普通』の人間だから。


「そうだよ! 私が後から入って来るのに気付かないくらい没頭してて、声を掛ける

にも掛けにくくて」


 「掛けてくれなくて嬉しいよ。その通り、その本の世界に没頭してたから」


 「なんか、突き放すような言い方。そんなに興味ない? 私たちのこと」


 「別に…」


 「じゃあさじゃあさ!」


 頬を膨らませて怒る目黒唯奈は、しかし次は何かを思いついたように、再びいたず

らっぽい笑みで僕に言った。


 「テストしてよ!」


 「はあ? テスト?」


 「そう! 私が、白木くんに興味を持ってもらえるかの」


 「そんなの、やらないに決まって…」


 「期間は一週間だから! 今日からね! いつも通り、図書館に行くから、無視し

ないでよ?」


 じゃっ、と一方的に決められた約束を交わすと、彼女は僕の前から風のように消え

ていった。






 放課後。


 お気に入りの本を、今日は集中して読めない僕は、視線を無意識にドアの方へと注

いだ。この所作は、これで何回目だろうか。


 「なんだったんだよ、あいつ」


 夕方の6時を過ぎても、彼女は現れなかった。


 嘘をつかれた、と直感した。僕のことを騙して、楽しんでいたのか。


 ふと、辺りを警戒する。これだけでは、済まされないような気がした。


 何かを仕掛けられている可能性がある。もしかすると、クラスの人間全員が図書館

の入り口の前にいて、僕が出てきた瞬間に、みんなで僕のことを指さしてからかうの

かもしれない。お前みたいなやつが、目黒に興味を持たれるわけがないだろ、など

と、下らない非難を浴びせられるかもしれない。


 思考を巡らせると、怖くなってきた。窓から差し込む黄昏の光が、次第に闇に覆わ

れるのも相まって、僕の恐怖心に拍車をかける。


 「そうだよな」


 合点がいく。


 僕みたいな友達の一人もいないような根暗で不気味な男子に、クラスの中心に立つ

ような綺麗なルックスと活発な内面を持ち合わせた女子が声を掛けるわけがない。


 そんなことは、ありえない。


 漫画の世界じゃ、あるまいし。


 6時半。


僕は、悔しくて拳を握り締めた。


涙が出てきそうだったけど、図書室の先生の目を気にして、なんとかそれをこらえ

る。


 悔しさは、すぐに収まってくれたが、直後に、身体に重たい水がのしかかったよう

な虚しさを感じた。


 「ははっ…」


 呆れ笑いのようなものが、無意識に声になって消える。


 入口へと歩み、ドアを開ける。


 日が沈んだ廊下は、僕の心境を具現化しているように、真っ暗だった。


 期待、していたのだろうか。


 どうして、落胆なんかしているのだろうか。期待するほどに、僕はおごれていたの

だろうか。目黒唯奈みたいな女子と本当に仲良くなれるのだろうか、なんて期待を、

少しでもしていたのだろうか。


 残念な僕の頭の中は、もう、ほとんど、希望なんて言葉は無かった。


 ただただ、暗い道を歩く。


 その時だった。


 唯一、照明がついていた昇降口から、唯一伸びる人影が、見えた。


 その影の元となる実体は、膝に手をついて、大きく息を吸って吐いてを繰り返す。


 艶のある綺麗な黒髪が、縦に揺れるのを繰り返し、彼女は顔を持ち上げて、僕を見

つけた。


 「ごめん…、遅くなっちゃった…」


 えへへ、と力なく苦笑いする彼女は、涙を流した後のように少しだけ目が湿っぽく

見えた。


 「なんで…」


 「自分から約束したのに、遅れちゃったら世話ないよね」


 彼女の言葉が、僕の心の奥底に突き刺さる。


 呆れは驚きに変わり、そしてその驚きは、後ろめたさに変わる。


 疑ってしまった。


 彼女の人格を勝手に決めつけて、ありもしない事実を想像して、僕の物差しで勝手

に彼女という人間を測った。


 謝りたいのは、こっちの方だった。

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