第7話 感触
期末テストが終わると、教室内の張り詰めた空気が次第に緩んでいくのが分かった。
ようやく終わった、と言葉に出す人間も入れば、自分たちが今さっきまで解いたば
かりの問題の答え合わせをして頭を落とす人間もいる。
この時期らしいな、などと独りで笑みがこぼれそうになるのを、人目を気にしなが
ら手で覆い隠して何とかこらえる。
一人で笑ってる、なんて思われたくないし。
学校は嫌いだ。
何百人もの他人たちと足並みをそろえて行動をしないといけないから。少しでも、
思考や主張がずれてしまえば、誰からも相手にされなくなる。軽蔑される。危害を加
えてくる人間も現れる。
「翔…」
集団から孤立をするという考えから、彼の名前が出てしまうことに罪悪感を覚えて
しまう。
万引きを止める。彼にそういった日から、僕の前に現れなくなった。いつもなら、
廊下のどこかですれ違う時に声を掛けてくるのだが、それもない。廊下ですら、彼の
気配を見なくなった。ずっと、教室の中にいるのだろうか。十分休みの間も、ずっ
と。
「次はクラスマッチだな~」
「そういえば、あいつも、やっぱり参加すんのかな?」
「いや、さすがにねえだろ! あれからすっかり打ちのめされたような顔してるん
だぜ?」
坊主頭の二人組、まだ六月の終わりだというのに、どら焼きの表面のように日焼け
した野球部員たちが、特定の誰かを貶すように笑う。
翔のことだ。僕は直感した。
翔は、顔に出やすいから、万引きが終わったことへの不愉快感が、きっと前面に出
ていたことだろう。それを、翔と同じクラスの野球部員が気付いて、それから他クラ
スの人間にも伝えていたのだろう。
翔のことを他クラスの人間たちが、見世物のように見に行く様。それも、廊下の幅
を埋め尽くすほどの人数で、まるで隠すなど全くない様子で、元気のない彼の様子を
見て、好き勝手に想像を膨らませるのだろう。唯一の友達に見放されたのか、女にで
もフラれたのか。そんな下らないことを、自分とは全く関係のないやつらに。
僕は、拳を握り締めたところで、しかしそれを、簡単に解いた。
もとはと言えば、僕のせいだったから。
後戻りできない人殺しのくせに。
一方的に絡まれるだけで、友達だとは思わなかったくせに。
怒ったところで、何も行動できないくせに。
行動できたとしても、またしても『チカラ』に依存して、他人を傷つけてしまう癖
に。
何もできない。
そう、僕は何もできない。
無能なんだ。
無能…。無能…。
むの…。
「?」
緩んだはずの教室内の空気が、またしても、再び何らかの緊張の糸で張られたよう
な感覚がした。
数瞬、ほんの数瞬、しん、と静まり返った。
一体何が起こったのだと言うのだろう。
その変化は、周りの空気だけではなかった。
手に、柔らかい感触が伝わった。
なんだ、これ。
翔のことで没頭していた意識を、手に向けると、そこには手があった。
小さくて、真っ白で、でもどこか、氷のようにひんやりと冷たくて、柔らかい。
ソフトクリームでも鷲掴みにしているのか。
そんなバカげた回答は、一瞬のうちに粉々になって消えた。
手の方から、腕へ。
そのまま、持ち主の顔へ。
…。
「白木君。見つけたよ!」
テストのしがらみから解放されて満足顔の桃井春流が、落ち着かない調子で僕の手
を握り締めていた。
「も、桃井さん!?」
「見つけたよ! 見つけた!」
「ごめん…つい」
本屋の隣のカフェで、急に僕の教室へと入り込んできた転校生は、バツが悪そうに
謝った。
「大丈夫、もう平気だよ…。で、何だっけ?」
先ほどの、クラスの人間たちの意味ありげな眼差しが僕ら一点に集まっていたこと
を思い出すと、全然大丈夫ではなかったが、とりあえず、本題に入りたかった。
「見つけたよ。白木君の『チカラ』で、救えそうな人」
「本当に!?」
僕はつい、声を張り上げた。彼女が約束通り本当にそんな人を見つけるために努力
してくれたことへの感謝と、自分の『チカラ』で償えることへの期待、そして、また
人を傷つけてしまうことへの不安、それらの色々な思いが入り混じった結果、必要以
上に声が張ってしまった。
「うん」
彼女はそう頷いて、口をストローにやり、アイスミルクティーを吸い上げた後、本
題に入る。
「クラスの人が言ってた情報を私なりに整理すると、なんだけどね」
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