第11話 浄化される変態
渋々リコーダーを手放した武蔵は、手持無沙汰になってしまったらしく、キョロキョロと辺りを見渡す。何か自分でも出来る楽器はないか、探しているようだ。何となく、彼女に大きな楽器を渡すのは危険な気がする。主に素振り的な意味で。
「おい唯一神」
「ん? なんだ
ちょいちょいと手招きすると、唯一神は近くまでやってきた。その後ろでは、武蔵が何故か扱えるはずもなさそうなコントラバスに目を向けている。あれは演奏したいと思ってるやつの目じゃない。あれは良い鍛錬道具になりそうだ。そんな目をしてやがるのだ。
「これを武蔵に渡してやってくれ」
「こ、これは!?」
俺が手渡した物が何か把握したのだろう。唯一神は大袈裟に驚いて見せ、そして避難の目で見てくる。だが、そんな目をされても、こちらだって譲れないものがあるのだ。
「頼む唯一神。お前だけが頼りなんだ」
「私だけが、頼り……」
俺がそう言うと、顔を下げてなにかをブツブツと呟いている。そして再び顔を上げた時、ちょっと怒った顔を一変させ、ニヘラと頬を緩ましていた。
「し、仕方ないなぁ
「お、おう」
唯一神はマジでチョロいと思う。こんな子を一人にしていたら簡単に騙されてしまうに違いない。彼女は俺が守らないと。そんな気持ちにさせてくれる。
そして俺は再び唯一神に『カスタネット』を手渡す。今まさにコントラバスを手にしようとしている武蔵の瞳は正に名刀を選ぶかのように真剣で、間違いなく使い方を間違えようとしている。もし万が一、あんな高級そうな楽器を破壊してしまえば一高校生が簡単に弁償出来るものではないだろう。
「頼んだぞ唯一神。武蔵を救えるのはお前しかいない」
「うん。任された!」
そして唯一神の献身的な説得の結果、武蔵は大人しくカスタネットをパチパチと叩くことになった。コントラバスの重さが気になるのか、チラチラと視線が向いているが、その度に唯一神が抑えてくれているため何とか我慢してくれていた。
「ふう……武蔵も常識がなくて困る」
「多分武蔵もお前に、って言うかこのクラスのやつには言われたくないと思うぜ」
「
隣でソプラノリコーダーを持った紅弾丸が呆れたように声をかけてくる。どうでもいいが、お前がそれ持つともう小っちゃ過ぎて玩具にしか見えないな。そういえばこいつは最初からギター組には所属していなかったっけ。
「なんでお前ソプラノリコーダーなの?」
「え!? なんだよ突然! べ、別にいいだろ俺がソプラノリコーダー持ってたってよ!」
別に他意のある質問じゃなかったんだが、あんまりにも動揺しているせいで滅茶苦茶怪しい。ふむ、これは何かあるな。そう思って音楽室を見渡してみると、一人の少女が目に入る。
不安そうにソプラノリコーダーを噴いている少女の名前は
「……なるほどな」
今の俺の紅弾丸を見る目は、正に蔑むようなものになっているに違いない。紅弾丸も俺が何を思っているのか分かったのか、デカいガタイをしながらも恐れるように一歩後ろに下がった。
「な、なんだよその目は! 言いたい事があんならハッキリ言いやがれ!」
「このロリコン野郎。いや、この場合はストーカー野郎か?」
「ぐっは!」
そして倒れる紅弾丸。こいつはあれだ。こんな図体をしながら、
「そんな情けないと、
「っ!」
まあ、あの『一日だけ』とはいえ、クラス中で『女装』を強要された最高級の変態達に靡く女子がいるとは思えないが、紅弾丸はそうは思わなかったらしい。俺の発破に危機感を覚えたらしく、男らしく立ち上がると
あの巨体が歩く様は結構迫力があるな。自分に近づいてくる紅弾丸に気付いた
べ、別に紅弾丸の応援をしているわけじゃないからな!
「ん?」
そんな時、美しいピアノの旋律が聞こえてきた。その音はまるで細胞の一つ一つに囁くように優しく、体中の血液を沸騰させるが如く胸を躍らせる。そこから追い打ちをかけるように届いてきた少女の歌声は、風を呼ぶように圧倒的な質量を持って俺達に届く。
「なんっ――!?」
音の発信源を特定するのは簡単だった。この音楽室にピアノは一つ。しかも彼女の声にクラスメイト達は己の楽器を演奏することすら忘れて魅入っている。その視線の先を追いかければ……いた。グランドピアノを華麗に演奏する、クラスメイトの姿がそこにある。
それは突然の出来事だった。たった一人の少女が奏でる演奏に、クラスの人間達は皆恍惚の表情を浮かべて静かに耳を傾けることしか出来なかった。
「……まさか」
その少女は決して目麗しいわけではない。顔は大きいし、枝毛は多いし、タラコ唇だ。このクラスで不細工な女の子を選べば、間違いなく優勝候補筆頭と言ってもいい。だというのに、今このクラスの男も女も、誰もが彼女をまるで本物のアイドルを前にしているかのような緊張感に包まれていた。
「この演奏を、藍ドルが?」
彼女が歌う。彼女が演奏する。ただそれだけなのに、誰もが目を離せないでいた。その姿はあまりにも輝いていて、後光が光っているように彼女の姿を隠してしまう。代わりに、目麗しい天使が翼を広げて楽しそうに歌っているではないか。
「デュフゥ。まるで心が洗われるようでござる……」
「あぁ……ドMでごめんなさい」
「俺は、俺はロリコンなんだ。紳士なんだ!イエス・ロリータ・ノータッチ!」
「彼女の演奏は心に沁みるな。この私ですら思わず聴き入ってしまう。ハァ……」
隣でうっとりしながら偉そうに評論している唯一神を見ると、顔を赤らめていて色気を出していた。だがそれに俺が反応することはない。何故か、今はまるで邪悪な気は許さないと言わんばかりに、心に騒めきがないのだ。
原因は分かっている。だがそれを認めたくない。認めたくはないが、それでも認めなければならない。俺は、いや俺達は今、間違いなく藍ドルに魅了されていた!
「くそ……綺麗じゃないか藍ドル」
「ああ、本当に綺麗だな」
俺と唯一神は並んで、天使のように美しい歌声と戦慄を聴き入っていた。
名前には力があると、学園長は言っていた。今ならそれを信じる事が出来る。今の藍ドルの演奏は、普通の学生が出せるものでは決してない。
だから俺は思ったんだ。俺の名前にも、もしかしたら意味と力がちゃんと合って、そして何か出来る事があるんじゃないだろうかって。嫌いだったこの名前も、もしかしたら好きになれる切っ掛けがあるのかもしれないと、ほんの少しだけだが思う事が出来たんだ。
俺の名前は
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