第10話 モテたい男達

 音楽と言うものは、その演奏者の心が宿ると言われている。常に楽しさを求めている人の音は軽快で、逆に悲しい時に奏でる音は暗い心をダイレクトに伝えてくるのだ。


 不思議なもので、音は目に見えないはずなのに、目で見えるもの以上にありのままを表現する。それは色であったり、感情であったり、受け取り方はその人それぞれだが、心に直接響くものなのだ。


 故に音楽は遥か数千年以上前から飽きられることなく歴史を刻み続け、今もなお受け継がれてきた人間の伝統文化である。


 まだまだ入学して間もないこの時期、あらゆる授業が新鮮で未知に溢れていた。


 例えば体育の授業。ここでどれほどの成績を誇れるかと言うのは、男子にとって一種のステータスになる。運動が得意ならば、より一層力を入れる授業だろう。まだ本格的に部活が始まっていない今だからこそ、格付けというものが重要になってくる。


 それに対して音楽の授業というのはどうだろうか。カラオケならいざ知らず、学校の授業で歌が上手だなどと話題になることなど滅多にないと思う。そこで本気で歌う者なんてほとんどいないだろうし、大多数の生徒にとっては必死になる授業ではないからだ。


 本気の歌が聴きたいなら歌手のライブにでも行けばいいし、凄い演奏が聴きたいならクラシックなりオーケストラなりを聞けばいい。今やネットを通じて世界中の音楽に触れられる時代だ。音に困る事などないのは間違いない筈だ。


 だから、学校の音楽の授業などで圧倒されることなど音楽学校の生徒でもない限り縁のない話だ。ずっと、そう思っていた。


「すっげぇ……」

「なんて美しい音色なんだ……」


 それは突然の出来事だった。たった一人の少女が奏でる演奏に、クラスの人間達は皆恍惚の表情を浮かべて静かに耳を傾けることしか出来なかった。





 時間は少し巻き戻る。


 魁鳴学園に入学してから初めての音楽の時間、この日は各々音楽室にある楽器を自由に扱ってもいいと言われた日となっていた。


 小学生なら自由に扱っていいと言われれば間違いなくリコーダーで宇宙戦争の戦士ごっこをするが、俺達はもう高校生、周りを意識するお年頃だ。思春期というのは意味もなく格好いいと思うことをし始める時期で、俺も例に漏れずその一人である。


 モテたいと思うのは男として当たり前で、ギターを弾ければモテると思うのもまた当たり前だ。だから中学を卒業する前にギターを買って練習し、基本が少し出来始めた頃に飽きたのもまた当たり前である。


 今日はせっかく練習したのだからと思い、ついでに言えばギターが弾ければ周囲からも一目置かれると思って一丁前にギターを手に取り演奏してみる。それだけで出来る男に見えるから不思議だ。もちろん余裕の表情を崩さない。昔からギターを弾ける風を装っていればオシャレかつ格好良く見えるのだ。 


 ただ予想外だったのは、クラスの男子のほとんどが同じ行動を取り、しかも同レベルに程度の低い演奏だったことだろうか。これではアドバンテージなど取れるはずもなく、それどころかやっちゃった感満載で気まずい空気が音楽室を漂わせていた。


 お互い中途半端な技量を見せ合い、結果として共倒れをするこの結果に満足出来るはずがないが、だからといってこれ以上やれば下手なのが女子にもバレてしまう。


 それが分かったのだろう、一人、また一人そっとギターを元にあった場所に戻していく。少しでもギターに思い入れがあるならともかく、付け焼刃な技量しかない自分がいつまでも引き摺っていると碌な目に合わないことをよくわかっているようだ。


「なんだ、主人公ヒーローもギターを止めてしまうのか?」

「頼む唯一神ゆいか。これ以上俺の傷を抉らないでくれ」

「むぅ?」


 俺の言葉の意味を正確に読み取れなかったのか不思議そうに首を傾げるが、それ以上の追及はなくなった。思春期の男子生徒にとって純粋無垢な唯一神ゆいかの瞳は眩し過ぎて浄化されてしまいそうだ。


 素直にリコーダーかハーモニカを細々と練習しておけばよかったと後悔していると、未だにギターを弾き続けている生徒がいた。下手だ。間違いなく下手だ。練習二週間くらいの俺よりも更に下手だが頑張っている感だけは伝わってくる。


「らー、ららーらー、らららー」

「……伝説レジェンド


 すでに男子生徒の大多数がギターを置いた中で、演奏を続ける彼は実に楽しそうだ。鼻歌は聞き覚えのある有名な歌でもあるので、俺でも知っていた。もっともあまり上手とは言えないし、何よりギターの音と合っていないのが非常に残念ではあるが。


 とはいえ、最初は沢山いたギター使いもついに最後の一人。気が付けば伝説レジェンドはこのクラスの中心人物として周囲から気にかけられていた。つまり、最初の狙い通り注目を浴びれているということだ。


 それに気付いたのか、かつてギター使いとして覇権を争っていた連中が悔しそうな顔をしている。全てを蹴落として今の地位に辿り着いた伝説レジェンドも、計画通りと口をニヤケさせながらドヤ顔をしていた。


 だがな、正直伝説レジェンドくらいの技量で注目を浴びるのは正直キツイし、お前らもどっこいどっこいなのは自覚しとけよ。


 まったく未練がましい。俺みたいにさっさと諦めてリコーダーでも触っていればいいのに。


「なあ主人公ヒーロー。なんでそんなに悔しそうな顔で伝説レジェンドを睨んでいるんだ?」

「そんな顔してない」

「え……でもな、どう見ても悔しそうな顔を」

「そんな顔してない」

「……あ、え? ……うん」


 まったく唯一神ゆいかは不思議な事を言う。まだ納得出来ていないのか困惑顔をしていて中々可愛らしいが、あんまりにも的外れな事を言うものだから語尾が強くなってしまったじゃないか。


「そういや唯一神ゆいかはなんか弾かないのか?」


 そんな俺の問いかけに唯一神ゆいかは待ってましたと楽器を取りに行く。タタタと擬音が聞こえてきそうな軽快なステップだ。見た目以上に幼い精神をしている彼女に思わず微笑みを浮かべてしまう。


 少しして、唯一神ゆいかは銀色に輝く棒状の楽器を手に戻ってきた。


「ふふん、私はこれを弾いてみようと思うんだ」

「フルートか。でもこれって結構難しいんじゃないのか? ほら、これの方が簡単だぞ?」

「それはカスタネットじゃないか! 主人公は私を馬鹿にしているのか!?」


 馬鹿にしているわけじゃない。ただ唯一神に似合う楽器を選んであげただけだ。とはいえ、本人としてはあまりにも子供向けな楽器を渡されて少し怒っているらしい。頬を膨らませながら涙目で睨んでくる。


「悪かった。だからその涙目を止めてくれ。じゃないと俺が殺される」


 誰に、とはあえて言わない。言わないが、正眼の構えからアルトリコーダーを素振りする女子がいるのだ。ひゅん、と風を切る音と同時にラ音が鳴り響いてなんとなく恐い。弘法筆を選ばず、とは良く言ったもので、彼女が持つとまるで名刀の如く切れ味を感じさせる。


 周囲の男子達もこいつが目を光らせてるせいか、迂闊にふざける事が出来ないでいた。いや、この瞬間誰よりもふざけてるのは間違いなくこいつなんだが、怖くて誰も注意出来ないでいた。


 そんな中、唯一神がアルトリコーダーで素振りを止めない女子に近づいていく。

 

「武蔵。リコーダーはそうやって使う物じゃないんだぞ」

「む、すまんな唯一神ゆいか。しかしこうも握りやすいとつい素振りをしたくなるんだ」

「武蔵は根っからのサムライだな。でも今は音楽の時間だからそういうのは駄目だと思う」

「……そうか」


 男子の誰もが恐れる剣鬼、佐々木武蔵に対して、当たり前のように注意出来る彼女は正に神。周囲ではみんな慄きまるで神を崇めるかのように腰を低くしていた。そんなに武蔵が怖かったかお前ら。俺も怖かった。

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