第3話

5、

 タルスは己れの迂闊さに、歯噛みする思いだった。弩砲に気を取られ、敵の接近を許してしまうとは、常ならば考えられない失態である。

 彼奴らが、橋の民のどちら側なのか、見た目では判断できない。或いは、危険を感じた〈浮遊体〉が刺客を遣わせた可能性すらある。が、何であれ、すべきは同じ、弩砲に近づかせないこと、一点である。

 雄叫びを上げながらタルスは、助走をつけて躍り上がった。行く手には、五人。長剣を握る三人と短槍が二人だ。

 怪鳥けちょうのように舞い降りながら、槍を持った先頭の兵士に蹴りを見舞う。青銅の兜が、頭蓋骨ごとひしゃげ、人形のようにバタリと倒れた。

 着地するや、起き上がる間もあらばこそ、四方から敵勢が襲い掛かってきた。しかし息を合わせた攻撃ではないため、動きにバラつきがある。低い体勢のままタルスは、左手の相手目掛けて突進した。三者の白刃がタルスの躯幹くかんを掠めたが、意に介さず押し通す。肩から体当たりを喰らった相手は、蟇蛙ひきがえるめいた呻きとともに、吹っ飛んだ。

 勢いを利用し囲みから抜け出したタルスは、右に動いた。ほんの数歩であるが、横移動によって、敵方が一直線になった。これで一対一に持ち込めた。

 手前の敵が、短槍で刺突してきた。タルスは踏み込みながらそれを躱し、同時に攻撃に入っていた。面頬めんぼおに拳が命中したそいつは、顔を潰され鮮血を噴出した。

 タルスはすかさず槍ごと腕を掴んだ。そして、グイと押すと、そいつを盾替わりにして、そのまま前進した。

 巻き込まれた後ろの二人は、タルスの突進力によって、屋根からこぼれれ墜ちていった。最後にタルスが槍使いを蹴落とすと、グラッダが警告を発した。

「タルス!」

 振り返ったときには、別の場所から上ってきた敵の戦斧せんぷが、間近に迫っていた。タルスの頭にそれが振り下ろされんとした直前、胡蜂すずめばちの羽音めいた唸りとともに、そいつの肩に棒が突き刺さった。

 グラッダが、予備の矢を投げたのだった。

 礼を述べるのは後廻しだった。タルスは邸の周りに、素早く目を走らせた。蜜に群がる蟻のごとく、さらに二陣、三陣がここに集まりつつあった。

「グラッダ!」

 タルスに促されるまでもなく、グラッダは射撃の態勢に入っていた。女用心棒は、瞬く間に意識から周囲を遮断したようだった。凄まじい集中力と云えた。タルスが喉をひとつ鳴らす間に、すべてが終わった。

 射出音は、殊の外、しずかに感じられた。少なくともタルスには、ほとんど、無音のように思えた。放たれた矢が、吸い込まれるように、一直線に浮遊体に向かっていった。

 矢が、あまりに自然に空を駆け上って行くので、グラッダすらも、的を外したのだと思ったらしい。

 がーー。

 一拍置いて二人を襲ったのは、衝撃波に近い何かだった。見えない圧力が、浮遊体の在る方角から押し寄せてきた。不可視の怒濤によって、二人はひっくり返った。爆音が時間差で押し寄せたが、あまりの衝撃に、半ば失神状態だった二人には、遠雷めいた轟きに感じられるだけだったーー。

 

6、

 わんわんという響鐘ひびきがねめいた耳鳴りが、頭蓋から次第に消えていくにしたがって、タルスの意識も次第にハッキリとしてきた。

 タルスは、まぶたを押し上げた。躰を起こしながら、反射的に躰のあちこちを点検をする。幸い、これといって痛めた箇所はないようだった。しかし、立ち上がると、少し眩暈めまいがする。吐き気すらあった。暫く深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着きが戻ってきた。同時に、見当識も戻ったが、激しく失望させられもした。

 タルスはまだ、邸の屋根の上にいた。

 空に、浮遊体はない。にも拘らず、タルスは元の世界に戻れてはいなかった。ただ、喚声は聞こえず、替わりに鳥のさえずりがあった。下を覗き込んでも、あれほどいた敵兵は、幻のようにかき消えている。一瞬にして、都邑まちが無人になったようだった。或いは、眼前を、風に吹き散らかされて舞っている黄色い砂塵が、その成れの果てなのかもしれない。

 そうだーー。

 ふらつきながら、グラッダに駆け寄った。丁度、グラッダも起き上がったところであった。しかし、何と声を掛ければいいか、はたと迷った。俺たちはまだ絵の中にいるらしい、と云うのか? 失敗したと? 口を衝いて出たのは、自分でも以外な詞だった。

「ーーよくやった」

 うっすら目を開けた女用心棒を、ひとまずは労ったのだった。何にせよ、彼女は自分の仕事をやり遂げた。結果については、追々分かるだろう。後の事は後に考えればいい。

 と、不思議なことが起こったのだった。タルスを見上げていたグラッダが、いきなり、吹き出したのである。

「グラッダ……」

 それは微笑といった穏やかなものではなかった。声は高まり、すぐに、ゲラゲラという気味の悪い哄笑になったのだった。

「おい、グラッダ! 気を確かに持て!」

 タルスは彼女を抱き起こそうとしたが、グラッダの哄笑は止まるところを知らず、しまいには縮こまって、嘔吐えずくほどであった。

「グラッダーー」

 畏怖のあまり、タルスは手を貸すことすら出来なかった。

 すると、女用心棒が不意に顔を起こし、タルスに抱きついた。そして、タルスに満面の笑みを見せたのだった

「気を確かに持つのは、そっちだぞ、タルス!」

 グラッダが指差した先を辿って、ようやくタルスにも意味がわかった。

 そこには、見慣れた太陽が輝いていた。よもや、と周囲を眺めやれば、遠くに聳える青い山並みはまぎれもなく脊梁山脈であり、反対側にある沼沢地も、懐かしい姿である。

「俺たちはーー還ったんだ!」

「おう!」

 そう云って、再びグラッダが、両手でタルスの首筋にかじりついた。タルスもまた、骨も折れよとばかりに、女用心棒を抱き締める。

「おや?」

 抱擁をほどくと、グラッダが顔を寄せて来た。片方の眉が、悪戯っぽく持ち上がる。

「どうした? もう一戦ひといくさ始めたくなったか?」

 いつの間にか硬くなったタルスの陽物を、グラッダは太腿に押しつけた。

 タルスは酷く狼狽した。

 

 これが、何もない荒れ野、ペレンス野に、一夜にして橋梁都市が出現した奇蹟の顛末である。勿論、後世の記録に戦士タルスの名はないのだった。

 (了)

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橋の上にて しげぞう @ikue201

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