第125話 その後 二
朝比奈親徳はこの戦いで生き残り、その時のことを記した書状が残っている。それによると彼は鉄炮で負傷したようだ。義元討死の場に居合わせず、面目を失ったと書いている。
親徳はその後も今川氏真に仕え、今川家家臣として亡くなった。
朝比奈泰朝も命を長らえ、掛川城に戻ることが出来た。彼も今川家に仕え、氏真に従った。今川家の家臣の大半が氏真を見限ったときも、彼は愚直といえるほどに忠義を尽くした。
今川氏滅亡後の泰朝の行方は分かっていない。一説には松平元康の家臣酒井忠次に仕えたとも、北条氏の小田原城に逃れたとも伝えられている。
泰朝の元で鷲津砦を攻略した井伊直盛は奥山孫一郎という家臣の介錯で自刃したと伝えられている。井伊家の菩提寺である
織田家家臣である太田牛一が書き残した『信長公記』にも今川家臣の記述がある。
山田新右衛門は戦場からは少し離れた場所にいたのだろう。義元討死の報を聞き、馬を返して戦い、最期をとげたとある。
松井宗信は本人だけでなく、一門一党二百人が討死した。
井伊も含め、義元本陣の周囲にある山々に陣を張っていた部将たちの討死は、善照寺砦に残っていた柴田勝家らが関係していたと考えられる。タイミングよく残り三千が動いたことで、彼らは挟み撃ちのような形で殲滅されたと想像される。道が細い中島を通るルートよりも、鎌倉往還から桶狭間に向かって侵攻したのではないか。いずれにしても三千の兵も怒涛の如く桶狭間の追撃戦に参加したのだろう。
黒末川の河口に船団を待機させていた服部左京進は、何の働きも出来ずに引き返した。帰りがけに熱田の湊に船をつけ、町に火を掛けようとした。しかし町人たちがどっと攻めかかり、数十人が討ち取られたので、左京進たちは仕方なく河内に引き上げたという。
大高城の松平元康は、今川兵が戦場から逃げ散っている時も、しばらく大高城に残っていた。物見に出ていた兵によって義元討死の報は届いていたが、確証を得るためと混乱した中で大高城を出るのは得策ではないとの考えで、夜になってもまだ城を出ずにいた。なによりも不安感が強かったのだろう。
すると元康の元に意外な人物が来た。水野信元の密使で、浅井六之助と名乗った。
実はこの密使、信長からの差し金で、元康は六之助によって桶狭間で起こった出来事の詳細を知った。
六之助はまた、松平元康の三河勢を岡崎まで安全に退却できるよう先導する役目も担っていた。信長にすれば、元康らは駿府には戻らず岡崎で独立を果たすだろうという算段で、そうなれば三河は今川との緩衝地帯となる。
信長は元康の独立を支援する、ということを六之助の口から伝えることを忘れなかった。
深夜、浅井六之助を前に立てて松平勢は退却を始めた。目指すは岡崎。
この時から松平元康、後の徳川家康の天下取りへの道が始まったといえるだろう。しかしこのとき、元康の爪は噛みすぎでボロボロになっていたのではないか。
退却中、浅井六之助は役に立った。闇に紛れて落武者狩りの集団が何度か松平勢の前に現れたが、彼が名乗り、主君である水野信元の名を出すとすぐに退散した。六之助は刈屋を越えるまで先導し、三河の国境まで元康らの軍と行動を共にした。
三河に入った元康らは、岡崎城には直接戻らず、
岡崎城には未だ今川から派遣された駿河衆が残っていた。しかし動揺した駿河の在番兵は、大樹寺に三河勢が入ったという報告を聞くと自ら城を捨て、駿河へと逃げていった。襲ってくるかもしれない織田軍だけでなく、目の前にいる元康たちが怖かったのだろう。
「捨て城ならば拾わん」
元康はそう言って岡崎城に入ったという。
三河衆は今までの苦労が報われたことを喜び、皆感涙にむせいだ。五月二十三日のことと伝わっている。
鳴海城の岡部元信は、桶狭間での織田軍の攻撃を見ながら何も手を出すことが出来なかった。そして織田軍が意気揚々と引き返す様を見ながら、いつ襲われても対処できるよう籠城の体制をとっていた。
鳴海城はその後も籠城を続けた。同時に元信は義元の首を戻してもらうよう織田方に交渉した。
信長はこれ以上戦いを長引かせたくはなかった。城攻めとなればそれだけ時間と手間がかかり、兵の損耗も起こる。
何よりも信長は、美濃攻めに集中したかった。現にこの戦いから十三日しか経っていない六月二日(この年の五月は三十日まで)、信長は美濃侵入を実行している。
信長は権阿弥ら人質と共に義元の首を鳴海城に返した。元信ら鳴海の今川勢は城を引き払い、駿府へと戻っていった。
戻る途中、元信は水野信近が守る刈屋城を攻めている。
水野兄弟に関して実際どうだったのかを元信は知らない。元信にすれば今川を裏切った水野だけは許せなかったのだろう。しかし小河と刈屋の両城を攻撃するには時間も人数もないため、より駿府に近い刈屋城を急襲した。
刈屋の兵は、まさか今川の残党が攻めてくるとは思わず、散々に打ち負かされた。水野信近は討死している。岡部勢は少しだけ留飲を下げて駿府へ帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます