第84話 おどり張行の夜

 信長の周囲では剽げた輩が思い思いの身振り手振りで踊りあい、流れるような笛の音や腹の底まで届くような太鼓の響きが踊る人々を包み、放つ。

 人々が踊り集う輪の外、暗闇の中に二人の男がいた。蜂須賀小六と前野将右衛門。旅装の二人は踊りの場の輪郭を描くように広庭の端を歩き、輪の中にいるであろう一人の男を捜していた。藤吉郎だ。

 しかし、踊りの人々の中に藤吉郎は見つからない。

「しかたんにゃあ。この辺で待つとするかね」

 馬場先という馬を繋ぎとめておく場所まで来たとき、築地塀の前で小六が言った。二人の目の先には踊りの中心にいる信長の姿がある。

「たるくさい。八右衛門殿じゃいかんのきゃあ」

「今はそれどこにゃあ、ま、待つとせんか」

 小六は言いながら、傍にある篝火まで歩いていき、両手を付いてその場に腰を下ろした。信長からもよく見えるようにするためだ。

「だちかん」

 話にならん、と悪態をつきながらも将右衛門もしぶしぶ従った。

 二人は知っている。たとえどんな火急の用でも信長は興を削がれると烈火のごとく怒り出すということを。(信長にすれば火急の用などという事がそうそうあるものかということらしい)

 二人はあぐらを掻いたまま信長の方を見ていた。小半時(約三十分)も過ぎた頃、すぐ近くから声がかかった。

「お、小六ではないか」

 屋敷のおさの生駒八右衛門だった。二人、あぐらのまま頭を下げる。

「もしかして三河からの戻りか」

「ええ、藤吉郎は」

 小六の問いに八右衛門は首を横に振り、

「おらん。清須じゃないか」

「ほうきゃあ」

「お屋形様はおられるぞ」

 八右衛門の言葉に二人は苦笑いで答えた。さっきからずっと信長を見ていたからだ。

 小六と将右衛門は知らないが、この冬藤吉郎は台所奉行のもとで薪炭の管理を任されていた。「この冬は薪炭を出来る限り削減せよ」というのが信長の命令だった。

 藤吉郎は清須城内の各所ごとに必要な薪や柴の量を徹底的に調べ、それ以上の燃料は渡さないようにした。信長が寝起きする居館も対象外としない徹底ぶりだった。

 藤吉郎のやり方にそれまで散々文句を言っていた家臣たちも、信長自身が我慢をしているという事を聞くと声を潜めるしかなかった。信長はそんな家中の様子をじっと見ていた。

 春先となり暖房用の薪や柴などが必要なくなった頃、昨年の冬に比べて二割ほどの薪炭が削減されていたという。

 生駒八右衛門は小折村に居を構えながら常に清須の情報を入手している。藤吉郎のことは今の清須のちょっとした噂だった。今は台所方の役から離れているそうだが、あのお屋形様のことだ。なんらかの職を与えているのだろう。八右衛門はそう思っていた。

 闇のどこからか、女の大きな喘ぎ声が聞こえてきた。どこかの草むらで村人たちが交わっているようだ。祭ではよくあることだ。

「また子どもが増えりゃあすな」

 将右衛門が片頬を歪めて言った。

「たわけ」

 思わず吹きだした八右衛門は、

「そこで待っておれ。お屋形様にお伺いをたててくる」

 そう言って、信長の元へと足を向けた。

 八右衛門は踊りざわめく人波をくぐり、輪の中央にいる信長の目の前で両手を地に付けた。

「恐れながら申し上げます。ただいま、蜂須賀小六、前野将右衛門の両名、馬場先にて控えております。何卒お目通りいただきますよう」

 八右衛門が一気にここまで言うと、信長は踊りの手を休めず後の言葉を押し留め、歌うような抑揚で唱えた。

「不敵なる奴ばらが来たか。今宵は無礼講なれば弁慶なりとも判官なりともまかそうらえ、罷り候え」

 八右衛門は仕方なく一礼し、小六と八右衛門が待つ篝火の傍まで戻った。

「いかんな、待つしかなかろう」

 そう言って自身小六の隣に座り、両手をついた。小六と将右衛門は顔を見合わせ、共に小さなため息をつく。

 また小半時ほどの時間が過ぎた。踊りの喧騒は途切れることもなく続いている。傍にある篝火は時折風で火の粉を散らし、三人のすぐ目の前まで降ってくる。

 八右衛門は意を決したように二人に目配せをすると、もう一度信長の下へと向かった。

「恐れながら申し上げます。築地のきわに控えし神妙なる両人は、かねてよりお見知りおきの者どもにて、殿へのお目通りを願い出ております。何卒お休みいただき、ご拝謁を賜りますようお願い申し上げます」

「くどいぞ八右衛門!」

 信長は周りに聞こえるような大声を出し、大仰に舌打ちした。鉦や太鼓の音も止まり、踊っていた人々もじっと中央の二人に目を向けている。

「無粋である!」

 信長は仁王立ちのまま、築地塀で控えている小六と将右衛門の方をチラと見ると、右腕の袂でぐいっと額を拭った。

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