第78話 品野城攻略

 馬に鞭を入れて清須城を出た信長は、城下を抜けるとゆっくりとした馬足に変わった。

 一緒に走っていた小姓たちも信長に従う。

 皆甲冑姿ではあるが、あまりにも少数な一行の姿を見て、街中の人々は誰も出陣だとは思わなかっただろう。

 半刻(約一時間)も経たぬうちに最初の軍勢が信長たちに追いついてきた。

「お待たせいたしました」

 柴田勝家だった。このとき既に武勇で内外に聞こえ、筆頭部将といっていい地位にいた。

「権六、さすが」

 信長はニヤリと唇を曲げた。柴田の隊は信長を守るように周りを囲んだ。

 その後も続々と兵が集まり、みるみるうちに大軍勢が出来上がってきた。自然、進軍速度も上がっている。

 信長は全ての隊が集まったとみるや馬上、手近にいる母衣衆に指示を与えた。

「品野城を攻める。まずは周囲を囲む。後は下知を待て」

 母衣衆は主立つ家臣たちに向けて一斉に散っていく。

 品野城は現在の瀬戸市品野町にあった。濃尾平野の東の端に位置し、小高い山の上にある。

 現在でもこの地から東へ四キロほどいくと三国山があり、その山頂の北は岐阜県土岐市、南東に愛知県豊田市が広がる。つまりこの地は尾張、美濃、三河の境となっていた。

 城の周辺には桑下・落合という支城があり、この三城は信長の父信秀の頃から三河松平が掌握していた。

 永禄元年(一五五八)三月、信長はこの城の周囲に付城を築いて攻囲したが、城主松平家次いえつぐの急襲を受けて退却を余儀なくされた。 

 大敗北だったという。

「今こそ、積年の恨みを晴らすときぞ」

 品野三城を囲んだと見るや、信長の大音声が響いた。

 あちこちからときの声が上がる。織田勢の突進だ。

 そこかしこから火矢が飛ぶ。石つぶてが弾ける。鉄炮の轟音が耳をつんざく。

 松平家次は驚いた。事前の情報や予測をさせる事態がまるでなかった。それでも家次はすぐに防戦態勢の指示を出した。日頃訓練していたのだろう。守備兵はすぐに自分の持ち場についた。

 しかし、戦いにおける意気込みの差は歴然だった。勢いにのった信長勢は次々に坂を駆け上がり、城門や塀に梯子を掛け、しがみ付くように登ってきた。城の一画が崩れるとそこから次々と織田の兵が城内に入る。

 戦いは一刻(約二時間)もたたぬ間に大勢たいせいが決まった。品野城の兵たちは次第に屍の数を増やしていく。松平家次は城を捨て、三河に落ちていくしかなかった。

(やはり、初動を制して混乱を呼びこむことか)

 信長はこの結果に希望を見た。


 信長はその場で名のある部将の首実検だけを行うと、品野、桑下、落合の三城を焼き尽くすよう指示をし、再び馬上の人となった。

 これでもし義元の別部隊が山の向こうからやってきたとしても、品野方面には前線基地がないことになる。

 多分義元は、全部隊を鎌倉往還沿いに進軍し、沓懸あたりから鳴海方面に向けて兵を展開させるだろう。

 信長は義元の勢力を二万程度と予想している。駿河・遠江・三河の勢力を足せばそれぐらいだろう、という目測だ。いずれにしても大軍団となる。これだけの人数が揃って尾張に来るとすれば鎌倉往還沿いのルートしかない。兵を分散して進軍することにメリットはないだろう。

 しかし、保証はない。

(とにかく、今出来ることはやっておくことだ)

 不安の芽は出来る限り取り除いておく。信長はそういう気持ちだった。

 鳴海、大高両城で展開している付城策は、長期戦を想定したときの常識的な策といえる。しかし相手にプレッシャーを与え続けていくことは、己にとっても精神的に過酷といえる。

 ――では、今川との戦いではどうするか。

 情報によると、義元自身が出馬する可能性は非常に高い。

 となれば、数で圧倒的な差が起こる。信長方は津島の南に位置する河内の服部党に備えて清須城にも兵が必要なため、対応に出せるのはざっと五千といったところだ。もし今川方が二万だとしても、自軍の四倍だ。圧倒的な兵力の差で勝つ術はあるのか。

(しかし、速度は大きな武器になる)

 信長は先程の品野城攻撃で再度確信している。

 はなから籠城策などというものは頭の中にない。籠城は援軍の期待があって初めて成立する。そうでない限り今川勢のあきらめを待つという消極策となり、その前に自軍の戦意喪失や裏切りが起こるのは目に見えている。

 寧ろ信長の頭には孫子の兵法にいう『奇』という言葉が浮かんでいる。

『戦いは正をもって合し、奇をもって勝つ』

 敵と対峙するときは正攻法で戦い、勝つためには相手の意表を突く、という意味だ。

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