第75話 怪しげな年始客
永禄三年最初の日が昇る。
この当時の人々にとって初日の出は、年齢が一つ上がることの象徴だった。現在でいうところの数え年が当時の年齢だ。義元は四十二歳になった。
――厄年、とは思わない。
当時から厄年という概念はあったが、男性四十二歳、女性三十三歳が大厄という現在のような風習は江戸時代になって成立したものだった。この時代は地域や信仰などによって厄の年齢や時期が違っていたという。
ともあれ、今川義元は四十二歳になった。
氏真は二十三歳、松平元康は十九歳、そして織田信長は二十七歳になっていた。
正月の義元は忙しい。
元日には一族、そして限られた重臣と公家達が伺候し、義元と氏真は一人一人順番に新年の拝賀を受ける。その後は祝いの宴となる。
二日からは家臣、公家の伺候と宴が続く。五日からは駿河の有力な商人たちの拝賀を受ける。
そんな義元と氏真の前に、ひとりの僧形の老人が挨拶に現れた。
「婿殿、お久しゅうござるな」
型通り新年の挨拶を終えると、老人は薄ら笑いでそう言葉を続けた。
異相だ。禿げ上がった頭はそれでも分かるほどに額が広く、顎が尖っているために逆三角形の形をしている。体は痩せ、しわが深い。しかし目の奥には今も何かを狙っているような鋭さが残っている。
「お久しゅうござる。舅殿もご健勝でなにより」
――やはり嫌いだ、この笑みは、
と老人の顔を見ながら義元は心の中で呟き、表面は老人と同じような笑みを浮かべている。
武田信虎は義元の正室であった
信虎はその名から『甲斐の虎』と称された。ある意味典型的な戦国大名といえるだろう。
父である武田
嫡子信玄に追放されたのが天文十年(一五四一)六月。完全な無血クーデターだった。
太郎という幼名を名乗っていた頃の信玄は孫子に通じ、四書五経を諳んじていた。なにかと理屈っぽく、信虎がやりこめられたことも一度や二度ではなかったという。
信虎は信玄を疎んじ、弟の
危機を感じた信玄は家臣と計らい、極秘裏に計画を進めた。信虎を駿河へ向かわせ、帰路を封鎖するというものだった。側室四人を伴い、義元に嫁した娘(定恵院)に会いに行く旅であったという。帰路、駿河と甲斐の国境を固めている武田の兵を見た信虎は、初めてこの事態を知った。
信虎は驚愕し、なんとか甲斐に戻ろうとした。しかし弟の信繁もクーデターに加担していることを知ったとき、全ては終わったと悟った。
実は義元もこのクーデターに一枚かんでいる。
彼は雪斎と岡部貞綱を甲斐に遣わし、当時晴信と名乗っていた信玄の要請を了承した。信虎の生活費は信玄持ち、ということまで事前に決めている。
義元としては今川の家督を得てまだ五年、内政によって力を蓄えておきたかった。武田の内紛に付け込み、北条や信濃の諏訪氏などが甲斐へ侵攻することで周辺が乱れるのを嫌ったという事情がある。また、武田晴信に恩を売っておくのも悪くないとも思った。
もちろん、雪斎の助言の元で事を進めたのは間違いない。信虎は駿府に隠居所を与えられ、その後は遠江で隠棲した。
「孫君も、いや今はもうお屋形様というべきですな。上総介殿も大層ご活躍の由、祝着至極に存じます」
ねばっこい口調で老人が喋る。返答がないのでチラと横を見ると隣の氏真は露骨に嫌な顔をしている。
(まだまだ青いな)
義元はそう思いながら、
「いえいえ、上総介はまだまだ。舅殿にもいろいろとご指導いただきたく存じます」
「ホホホ」
公家のような笑い声をたてると、老人は居ずまいを正し、元の薄ら笑いになって言った。
「そう、今年は冶部大輔殿御自ら尾張をお攻めになるとのこと。御武運をお祈りいたしますぞ」
「ほう」
義元は感心した声を出し、
「ご存知ですか。さすがですな」
「いやいや」
老人は右手を軽く左右に振り、
「遠州の山奥に過ごしておりましても、このようなことは自然と耳に入るもの」
そう言うとやや上目使いで義元を見つめ、
「婿殿、尾張などといわずいっそ上洛し、天下に旗をお上げなされ」
「はは、まさか」
義元は満面に笑みをつくり、
「畏れ多いことです。考えたこともございません」
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