第54話 松平屋敷の藤吉郎

 両端二軒は口頭での売り込みだけだが、松平だけはやり方を変えた。

「最新式の堺物でございます。一度ご覧いただけますか」

「いらぬ。必要ない」

「実は、尾張の織田が近頃大量にお求めになったものと同じ品です。見るだけで結構。ご興味ありませんか」

 こう言うと、対応した松平の家臣は藤吉郎をその場に待たせた。戻ってきたときは何人かの男たちと一緒だった。

 藤吉郎が箱を開けると男たちは一番奥にいる人物に鉄炮を渡した。

 若く体格の良いその人物は、興味深そうにその鉄炮を見詰めた。

(松平元康ではないか?)

 そう思ったが、気付かない振りで鉄炮の新機能を説明する。

「堺物は使いづらいと思っていたが、そんな所まで改良しておるのか」

 元康らしき人物はいくつかの質問を藤吉郎にぶつけた。マニアックといっていい細かさだ。生半可な知識ではない。

 なんとか質問には答えられたが、藤吉郎としても冷汗ものだった。

「もしよろしければ、しばらくの間お貸しいたしましょうか」

 その人物が鉄炮を撃つ構えをしたとき、藤吉郎はそう言った。

「しかし買わぬかもしれんぞ」

 構えた姿勢のまま顔だけを藤吉郎の方に向けてその人物は言った。やや顔が綻んでいる。

「いえ、私は商人です。今お買いいただくことよりも、長いお付き合いをさせていただく方が良いことを知っております」

「ほう、なるほど」

「本日は玉も火薬もお持ちしておりません。後日それもお持ちいたします」

 

 その日の夜、宿としている商人屋敷で藤吉郎に会った兵蔵は、人のいないことを確かめて声をかけた。

「見られていましたか」

 軽い口調で藤吉郎は答えた。三件の屋敷を訪ねた理由を聞くと、

「いえ武具の商人ですから利用しない手はないと、種子島くらいは買えそうな家をまわっていたわけです」

 小者扱いの藤吉郎はもちろん、誰にも本来の任務は伝えていない。

 全員には今川家と駿府の情報収集と伝えている。緊張関係が強まっている今、誰も疑問は持たないだろうと思っていた。

「何か、問題でもございますか」

「いや」

 感づかれているのではないな、とは思った。しかし何か釈然としないものも感じる。

「そう、こちらも実はお願いしたいことがあったのです」

「ん、なんだ」

 藤吉郎の笑顔に兵蔵はやや怪訝そうな表情を浮かべる。

「まず、種子島を一丁松平に貸しております。ご承知置きください」

「……ああ」

「あと、後日松平へ玉と火薬をお持ちする約束をいたしました。ご一緒されますか?」

「……」

「いや、上役にきていただくのは返却の時がいいかも知れませんね。そのときまたお知らせいたします」

 どうすべきか、と兵蔵がとまどっていると、

「よろしいですね」

 藤吉郎が念を押すように言った。兵蔵は思わず「わかった」と答えた。

 翌日、藤吉郎は一人、火薬と弾丸を持って松平の屋敷に向かった。


 気になる噂が丹羽兵蔵の耳に入ってきた。

 駿河の皮革の元締めである大井掃部丞かもんのじょうに、通常来年上納させる滑革ぬめかわ薫皮くすべがわをそれぞれ二十五枚、急用のため至急納入させる旨の書状が送られたという。

 滑革は牛皮を渋のタンニンでなめした革で、光沢と弾力があり、様々な革細工に使う。

 薫皮は燻皮のことで、鹿のなめし革を松葉の煙でいぶしたものをいう。地が黒く、白い模様を残している。

 共に鎧や馬具など軍需品として不可欠なもので、これが事実なら、戦の準備を進めていると考えられる。

 調べると、案の定噂の出どころは市だった。なんでも今川の家臣たちの会話を商人に化けた密偵の一人が立ち聞きしたらしい。

(本当なら、無用心な話だ)

 兵蔵は思いながらも、これは事実ではないかと予感した。

「この噂、事実か否かさらに詳しく調べよ。できれば大井掃部の手元にある書状の写しが手に入るとさらによい」

 兵蔵は部下に指示を出すと、自身は信長に向けて書状をしたためた。文面には松平への接触の経過報告も記している。もちろんそこに藤吉郎の名前は入っていない。

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