第52話 駿府、少将之宮 松平元康の屋敷へ

 翌日、丹羽兵蔵は一人で松平元康の屋敷へと足を運んだ。

 元康の住居がある少将之宮は、今川館の東に位置する侍屋敷が集まる区域。現在の葵区鷹匠辺りかと思われる。

 今宿を東に歩き、町はずれの角を北に上がると、今川館の堀でもある横雄川と東から流れる妹川が合流する場所に出る。そこは今川館の東南角でもあった。そのまま真っ直ぐ橋を渡り、今川館の堀に沿って流れる横雄川を左に見ながら道を歩くと、一段下の堤沿いに神社が見えた。小梳おぐし神社という。

 この神社、少将井しょうしょうのいとも呼ばれ、少将之宮という町名の由来となっている。さほど大きくはないが当時から由緒正しいお宮だった。古くは奈良時代前期成立の『日本総国風土記』に載っているという。(当然ながら兵蔵はそのことを知らない)

 しばらく歩くと鳥居も見えてきた。

 鳥居のある場所は三叉路で、鳥居から境内に入る道を含めると四叉路になっている。兵蔵は一度止まると左の鳥居を見、どうしようかというように辺りをじっと見渡したが、気分にまかせたが如く反対の右に曲がった。

 この道を曲がると二件目が松平の屋敷であることを弥次右衛門は知っていた。しかし、あくまでも一人の商人が侍屋敷の様子を見に来ている風を装っている。

 一軒目は孕石はらみいし主水もんど元泰もとやすの屋敷、小道を一本隔てて次が松平元康の屋敷だった。その奥には北条氏康の五男助五郎の屋敷がある。

 つまりはこの並び、人質である元康と助五郎を並べ、入口に監視役の孕石を置いている構図となる。

 三軒とも屋敷の造りは似ている。幅はどの家も二十間(約三十六m)といったところ。奥行きは幅と同じ長さかもう少し長そうに思える。

 三河の当主の屋敷と思って見ると小さいが、十八歳の青年武将と十人程度の家臣達が住んでいると考えればさほど窮屈とは思えない。ただつつましやかな暮らしだろうな、とは想像できた。

 妻と嫡男は妻の実家である関口家に住んでいるそうだ。兵蔵は既にそのような基本情報を持っていた。

 入るだけなら左程苦労はないだろう。問題は、両隣の屋敷に気付かれることなく当主松平元康に面会することだ。

(さて、どうする)

 思いながら兵蔵は、三軒の家の前を通り過ぎた。目の前には知源院ちげんいんという寺がある。元康が竹千代と名乗っていた幼年時代、この寺の知短ちたん和尚に手習いを学んでいたという。そのことまで兵蔵は知らないが、この寺に元康の外祖母がいそぼである源応尼げんおうにが住んでいることは、事前に調べている。

 源応尼は実名を富という。於富の方と呼ばれた。若い頃はかなりの美貌で知られる人だった。

 刈屋城城主の水野忠政に嫁ぎ三男一女をもうけた(但し水野信元は前妻の子)が、元康の祖父にあたる岡崎城城主松平清康に見初められ、ほぼ奪われる形で忠政とは離縁、清康に再嫁した。彼女は清康との間に一男一女をもうけている。

 天文四年(一五三五)、清康は織田信秀を攻めようと尾張春日井郡の守山(現名古屋市守山区)に出陣したが、家臣の阿部弥七郎によって殺害された。

『守山崩れ』という。

 家督は前妻の子である広忠が継ぎ、彼女は三河の諸将の間で再婚、死別を繰り返した。夫となった人は、忠政、清康を含め五人だったといわれている。

 天文十年(一五四一)、広忠は水野忠政の娘を娶る。

 於大の方と呼ばれた。

 源応尼にとっては義理の息子の元に実の娘が嫁いだことになる。しかし彼女はこの時、別の家に再嫁していた。かなり複雑な心境だったのではないかと想像できる。

 翌天文十一年十二月二十六日、松平元康が誕生。松平家嫡男の幼名として竹千代と名付けられた。

 しかし於大の実父である水野忠政が死去し、後を継いだ長兄の信元が織田方に寝返ったため、於大の方は離縁となった。天文十三年九月のことだ。

 そして天文十六年、竹千代は人質として駿府へと送られた。当時の年齢で六歳、現在ならまだ五歳になっていない。途中、三河田原の戸田康光が今川を裏切り、竹千代一行を尾張の織田信秀に送った。永楽銭千貫文で竹千代様をお売りになった、と『三河物語』には記されている。

 天文十八年(一五四九)、松平広忠が家臣の岩松八弥によって暗殺される。二代に渡って家臣に殺されたことになる。

 同年、太原雪斎が三河安祥城を攻め、捕虜とした織田信広(信長の異母兄)と竹千代を人質交換した。これによって、竹千代は駿府今川義元の人質となり、この時から少将之宮の屋敷に住んでいる。

 さて、源応尼。

 彼女は五人目の夫が亡くなるとすぐに出家した。三河を離れ、駿河にいる竹千代の許へ向かうためだった。義元の了解を得、彼女が駿府に庵を結んだのは天文の末、竹千代十二、三歳の時だという。

 源応尼は竹千代が元服して元信と名乗りを変え、関口親永の娘瀬名姫を娶るまで養育した。この時期が彼女にとって一番幸せではなかったかと思われる。

 彼女は竹千代の母親となり、同時に家庭教師にもなった。毎日血を分けた孫である竹千代のことだけを考えることができた。

 竹千代の器量に期待を持ち、夢を持ったことだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る