第51話 駿府、江尻の市にて

 駿府は現在の静岡市。その中心といえる今川館いまがわやかたは、現在の駿府城公園とかなりの部分が重複しているといわれている。

 武器商人に扮した兵蔵は今宿いまじゅくという町を根城にした。清須で編成された彼の部下たちも、兵蔵を頭とした同じ店の奉公人として駿府に来ている。

 今宿は今川館の南、現在の静岡市葵区の七間しちけん町、両替町、紺屋町辺りだといわれている。

 現在もその地域は賑わいのある場所だが、当時も商家が集まっていた区域で、他所から来た商人は商人頭である友野氏に許可を得、今宿内に宿泊することが決まっていた。

 友野氏は油、米殻、木綿、麻など様々な商品を商っていた。また、駿府の商人の統率者として今川氏に仕える存在だった.

 友野氏の屋敷は呉服町にあった。現在も同じ町名が残っている。その構えは初めて訪れた者でも一目で友野屋敷と分かるほど大きい。屋敷の周辺は頑丈な土塀で囲まれ、門は重臣屋敷と見紛うほどの重厚な造りであり、中には明らかに武士と分かる人々が多くいる。また、屋敷の性格上商家ではここだけに門番がいる。

 駿府に入った初日、兵蔵一行はどこにも寄らずまっすぐに友野屋敷に入った。宿泊先の申告と駿府内での通行、商いを許可してもらう認可証の申請のためだ。

 彼らに対応したのは、商人というよりも明らかに役人という風貌をもつ男だった。役人づらは、またか、という一瞥で兵蔵らを見詰めた。この男にとってはこれが挨拶みたいなものなのだろう、

(嫌な奴だ)

 しかし商人姿の兵蔵は顔色も変えず、男の座る床に砂金を数粒入れた袋を置いた。役人面も何気ない顔付きのまま器用に袋を袂の中に入れた。

 裏常識、というものだ。

 一通り申請が終わったあと、兵蔵は世間話のような口調で役人面に言った。

「やはり、近頃は同業の者の出入りが増えていますか?」

 役人面が黙っているので、そっと二粒の砂金を握らせると、

「この夏ごろから増えておるな」

 男は顔色も変えずにそう言った。

(夏、ということは付城を造りだしたあたりか。同じだな)

 実は清須でも武器商人が続々来ているという話を聞いていた。

 兵蔵が仕事上で時々感じるのは、商人の方が武士以上に戦の臭いを嗅ぎ分ける嗅覚を持っているということだ。

 武器商人たちが駿府や清須に集まりだしているのは、やはりこのままでは済まないという予測があるのだろう。

(確かに、そうなりそうな気がする)

 兵蔵は思った。


 駿府に入って四、五日、丹羽兵蔵は武器商人としての仕事をしながら様々な情報集めに動いていた。

 このところ京での諜報が続いていたので駿府を訪れるのは久しぶりだが、来る度に思うのが、清須はまだまだ、

 ――田舎だな。

 ということだ。

 当時、駿府は日本有数の『都市』だった。

 困窮した公家たちが様々なつてを使って京から下ってくる。このような背景から、駿府は当時の京と比較しても遜色ない文化都市を作り上げていた。

 むしろ長い戦乱が続き荒廃の一途をたどる京に比べ、この当時の駿府の方がより都らしいといえただろう。なによりも街は静かで、洗練された印象がある。この街に比べると清須は騒々しく、荒い。

 しかし、駿府の街も月に何度かは賑わいと活気があふれる。いちだ。

 兵蔵は駿府からやや離れた江尻湊(現在の清水市)の三斎市に来ている。義元の父氏親の時代から月に三回開かれている市で、駿河でも特に賑わいがある。

 戦国時代といわれるこの当時、いわゆる小売店というものは存在しない。商家はすべて問屋のようなもので、店先に商品を並べるということはなかった。

 その点、定期的に通りに面して様々な店が列をなす市は、庶民にとって必要な商品を購買するという生活の一部であり、楽しみでもあった。

 江尻は当時から日本有数の港であったため、諸国から様々な品が集まって来る。

 野菜、魚などの食品から、桶や器、針などの生活用品、そして刀や槍、鉄炮といった武具など、実にバラエティ豊かな商品が並んでいた。そして一体どこにこんなにも人がいたのかと思われるほど通りは人であふれ、物が動く。

 信長も清須内での商業は推奨し、保護策を強化している。しかし江尻の市は、規模においても賑わいにおいても格が違っていた。

「国へ流す駿府の消息なども、ここでの噂話が元となっていることが結構あるのですよ」

 兵蔵の隣を歩く男が言った。男は駿府に駐在している密偵の頭だ。この日は市の案内のために自ら付き添ってくれている。

 この男、武器商人の娘をものにし、まんまと入り婿になった。今では旦那も隠居し、ほぼ家中の実権を握っている。仕事は堅実で、内外の信頼も篤いとのこと。当然二人とも服装だけでなく、しぐさや喋り方なども商人以外の何者でもない。

「ほお」

 確かに、ここで耳をそばだてているのが一番楽な情報収集かもしれない。兵蔵は目の前を通り過ぎていく様々な人々を眺めながら思った。

 と、

(んっ?)

 つい目を見張ってしまった。

 店を開いている行商人と親しげに話している男がいるのだが、自分が引き連れてきた部下の一人だと気がついた。

(確か藤吉郎という名だったな)

 わざわざ簗田弥次右衛門が直に付けてくれた男だ。しかし単なる下働きで、密偵として外に出たことは無いと聞いている。

 だが目の先にいる配下の男は、場にすっかり溶け込み地元の商人のように見える。常に頭の中は緊張しているから気が付いたが、普通に歩いていたら見逃していただろう。

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