桶狭間伝

第48話 義元の思索 大高城の案件

　砦の場所と囲まれる経緯を聞いたとき、義元は織田信長という男の真意を図りかねた。

（これは、戦を誘いたいのか？）

　大高城に短刀を突きつけたような位置にあるその砦を見れば、誰もがそう思うだろう。実際、これまでの砦づくりでも『信長は挑発しようとしているのでは』と義元は感じていた。

　しかし、織田がわざわざ戦に持ち込もうとする意図が分からない。

　確かに義元としても、次は尾張だ、と思っている。

　嫡男氏真に家督を譲った理由の一つがそれだった。松平元康に三河統治を許したのも、松平の兵力をすぐにでも自分の手駒としたかったためだ。

（まあ次郎三郎〈松平元康〉は氏真の右腕になるという期待もあるが）

　自分の命がある内に尾張を手にし、氏真に手渡したいと思っている。そのための準備は以前から着々と進めてきた。

　まずは進軍によって熱田までを完全に掌握。勢力が弱まった織田家中に内紛などを誘発し、熟した果実を取るように尾張全土を手に入れる。

　しかし、尾張から挑発されて進軍するとなると話は別だ。

　当然織田は何らかの利を見込んで仕掛けてきているはずだ。あるいは罠かもしれない。それが何か分からずに行動するのは危険が伴う。

　ただ今回の場合、進軍は必然的に大高城の救援となる。周囲を砦で囲まれ、しかも向山の砦は城の隣、誰もが無視できない場所に造られた。

　排除するしかない。放置すれば尾張に常駐している今川勢の士気にかかわるし、中には勝手に砦を攻撃する輩が出てくるかもしれない。

　織田の挑発がなくとも鳴海・大高はそろそろ手を付けたいと思っていた。織田が砦を造ったために鳴海・大高の両城は今年の年貢徴収が難しく、兵糧の補充が必要だと考えられていたからだ。

　また、鳴海の城には五郎兵衛（ごろうひょうえ）（岡部元信）がいるが、大高城にはこれといった城代を置いていない。

　元々大高城の城主だった水野大膳（だいぜん）（吉守）は追放した。しかし増援はまだしていない。追放して間もない、ということもあるが、人選が簡単ではないという事情もあった。

　松平元康を当主とした三河支配が確立した今、後見役である朝比奈親徳と関口親永の影響力は大きく、当然二人は尾張にも自分の息のかかった人間を配そうとするだろう。対して氏真の後見となっている三浦正俊は先の二人、特に朝比奈親徳の勢力拡大を牽制するに違いない。

　要は力の均衡の問題だ。

　義元としては三河方面を領地としている縁者あたりが良いと考えていた。

　それに当てはまるのは鵜殿長照だ。

　鵜殿の家は三河岡崎城の南に位置し、三河湾に程近い上ノ郷（かみのごう）城（愛知県蒲郡市）を拠点としている。鵜殿の家は義元の父氏親以来の今川家臣であり、長照は義元の妹を母としている。つまりは甥に当たる。

　彼なら朝比奈も三浦も異議を挟むことはないだろう。

　――しかし、

　父の長持が亡くなったのが弘治三年（一五五七）。つまり長照が家督を継いでまだ二年しか経っていない。

　一触即発ともいえる今の状況で、大高城の城代を任せるには、長照はまだ経験が足りないように思える。

（では、誰が適任か、ということだが）

　大高城の目の前にある向山の砦を守るは小河の水野勢だ。

　その前に造られた正光寺砦は織田家臣の佐々政次、氷上（ひかみ）砦は熱田神宮の大宮司である千秋（せんしゅう）季忠（すえただ）だと聞いている。

　確かに水野は小河、千秋は熱田に領地を持つ。鳴海、大高の動静は両家にとって大きな影響を及ぼすだろう。

　また大高城の南という、海上からの敵にも備えなければならない要地に外様を配するということは、戦を想定しているだろうという憶測にたどり着く。戦の最前線と想定される場所に外様を置くのは定石といえるからだ。

（さて、織田の誘いに乗るか、否か）

　義元が大高城に城代を入れ、兵糧を入れようとしていることは、当然織田なら見越しているだろう。だからこそ大高城に矢じりを向けたとも想像できる。

　やはり大高城は放っておけない。

（戦は、まぬがれぬ、か）

「誰か！」

　義元は手を二度叩きながら人を呼んだ。重臣の招集をさせるためだ。戦の計画、手配も含めて評定にかけようと考えている。