第45話 鳴海城の岡部元信

 政綱の一言に信元の眼が見開き思わず音程が上がった。信元はそんな自分に気付き、またひそひそ声に戻す。

 ――この男、何歳だったかな。

 ふと政綱は思った。確か三十歳代の半ばだったように記憶している。

(最初に会った時はまだ元服前だったと思うが、いつの間にか髪に白いものが見え始めておる)

 儂も年を取るわけだ、と思いながら、政綱は別の言葉を口にした。

「主はこう申しておりました。向山に付城を築くことが危険であることは重々分かっている。もし今川に攻められる事あらば、遠慮なく逃げても構わぬ、と」

「えっ?」

 再び信元は声を出す、が、先ほどよりは音量が低い。

「どういうことでしょう」

「実は、某にも分かりませぬ」

 実は、本当に梁田政綱は知らない。だが説得のための策は聞いている。

「しかし、主は申しておりました。決して貴殿らの不利になることはせぬと。そして某にも下知がありました。貴殿と主とをつなぐ仲立ち人として、貴殿のお役に立つように、と」

「……、それは、」

 水野信元は一旦言葉をとめ、意を決したように続けた。

「監視役ということではありませぬか」

「いや、むしろ何かあった時、某は貴殿に監禁されたり、首を刎ねられたりする可能性がござる」

 政綱はここでニッと笑い、

「貴殿もご存知の通り、某はそんな危険なことはいたしませぬ」

 信元の逡巡する顔を見て、多分上手くいったな、と簗田政綱は思った。

(ここでたたみかけ言質を取っておくか。しばらく考えさせ、こちらに誘導させるか)

 政綱はこのとき、どちらが完全に落とせるかを考えていた。



 夕暮れ近く、岡部元信は鳴海城の物見台から城外を見渡している。

 ほぼ真北にある小高い山に丹下、東に善照寺の砦が見える。善照寺の砦は鳴海城よりもやや高い場所にあり、両城の間にはへこんだような谷間がある。

 そして南東に中島、この砦は天白川と黒末川、そして手越川の合流点に位置している。高台にある鳴海城に対し、河口沿いという低い位置にある中島砦は、鳴海城から全容が見える。既に柵をほとんど囲み終え、中も集落も砦としての形になってきている。たぶん木々の緑の中で囲みの一部しか見えない丹下・善照寺も同じような進み具合であろう。それは今までの状況から容易に推測できた。

 今も槌音や木の擦れる音、人々の声や音がそこかしこから聞こえ、どこからか木挽き歌も聞こえてくる。

――早い。

 元信は感心していた。どの砦も急拵えといっていい造りではあるが、すでに囲みの拠点として機能を果たしている。

 尾張の最前線に赴任してかれこれ七年。敵である織田信長に対して、元信は侮れない御仁、と思うようになっていた。

 山口父子が駿府へ招喚されたあと、一通の密書が元信の元へ届き、父子を粛清するので後の備えはしっかりと固めて置くように、という旨が書かれていた。このとき元信は驚きもしたが、仕方ないとも思った。

(大御所はこの地を、以前から身内で固めたいと思っていたのだろう)

 山口父子にとがはない。このことは身近にいた元信だからこそよく分かっている。しかし駿府は自らの家臣に尾張の最前線を任せたいとかねてから思っていた。ただそれだけのことだったのだろう。

(つまり大御所も、織田上総という男を『手強い』と思っておられるということか)

 そして、砦造りだ。

 正直、ここまで厳重に囲むとは思っていなかった。少なくとも二千以上の兵は使っているのではないかと推測できる。

(鳴海・大高を囲むだけで何をするにも難しくなった。よく考えておる)

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