第41話 信長の仕官登用

「織田は、諸国の浪人どもを集めているそうだの」

 ここで初めて義元が口を開いた。

 この評定は基本的に重臣たちが自由に話し合い、義元はただそれを聞いているということが多い。かといって全員で決議をするのではなく、決定権はあくまで義元が握っている。

 この体制は氏真に家督を継いでも続いており、特にこのような軍議の場ではこのパターンが多い。

「そのようですな」

 親徳が頷く。

「分からんな。若い者のやることは」

 義元は皮肉とも嘆息とも受け取れる表情で呟くように言った。


 義元の言った通り、信長は仕官の登用を積極的に行っていた。この時期の戦国大名では珍しいといえるだろう。

 まず、金がかかる。

 現代のように毎月給料を払うということはないが、専任の武士を雇うならまず毎日食わさねばならない。それに伴い食料費だけでなく薪や柴などの燃料費や雑費などが掛かってくる。その負担は人数を雇えば雇うほど重くなる。

 しかも、仕官した人間が平時に何らかの働きをしているとは限らない。戦国といわれるこの時代でも、毎日戦があるわけではないし、戦の無いときは何もしない連中も多い。金銭だけが費やされる。いざ戦が始まると、途端に逃げ出す輩もいる。どう考えても効率が悪い。

 さらに、無闇に人を雇うと、中には敵の間者や無法者が混じっていることが多々ある。危険このうえない。

 また、新手を何人も雇うということは、それだけ組織が膨れ上がり、体制が変わってくるということになる。

 現に信長は何度も組織の改変を行ってきた。古参の家臣などからは不満の声が上がってきたが、信長は介さない。当然、こうしたリスクは承知の上で他国者や武士になりたい農民たちを採用した。

 彼は、もっと先を見ている。

 信長は、『兵農分離』を考えていた。この時代、兵団の大勢たいせいは農民たちで組織されている。何もないときは田畑を耕し、戦が起こると徴兵され、鍬や鋤を槍に持ち替えて働くことになる。

――効率が悪い。

 と信長は考えていた。

 戦に出る農民は働き盛りの男たちだ。彼らが戦に出ると、それだけ田畑が荒れ、収穫が減る。それでなくても農作物は天候や自然現象などに左右される。たとえ戦がなくとも一定の収穫量を上げるのは容易ではない。農民を戦に取るのは悪循環ではないか。

 では、どうすればよいか。

 農民は田畑に、武士は戦に、と分けることによって、今よりも農作物の収穫が高まり、年貢の上昇が見込める。しかも『戦のプロ』集団を創り上げることで軍も強くなる。

 一石二鳥だ、と信長は考えている。

 しかし、信長の考えは当時誰にも理解されなかった。当然、今川義元にとっても想像を超えていた。

 特に今川家は、新規の家臣の採用に厳しい家柄だ。

(家が荒れるではないか)

 余程の能力がない限り、どこの馬の骨とも分からない人間を雇い入れるのは、これまでのあり方をないがしろにすることだと思っている。特に忠誠心というものは、一朝一夕で育つものではない。

(訳が分からん)

 と義元は思うのだ。


「刑部殿はどう思われる」

 親徳は自分の隣に座を占める関口親永に顔を向け、声をかけた。刑部少輔ぎょうぶのしょうゆうを官名にもつ白髪の男は軽く義元、氏真に頭を下げると、

「それがしも丹波殿(親徳)の見立てに賛成です」

「ほう、そなたもか」

 親徳が声を上げると、

「はい、戦を仕掛けようと思うなら、どちらか一方に的を絞り、もう一方は押さえとして考えるはず。自然規模に格差が出ます」

「ふむ」

 親徳が頷く。親永は話を続け、

「この絵図を見、これまでの報告を聞くと、織田は鳴海・大高を囲むことに専念していると思われます。五ヶ所というは、織田の力を考えると分散されすぎております」

「なるほど。では、どうすればよいと思われる」

 親徳の問いに、

「放っておくことが上策と心得ます」

 関口親永は即答し、

「たとえこちらから仕掛けても、多少の増援ならばいたずらに兵の損傷を招くばかりと心得ます。今は相手の出方を見た方が良策と愚考いたします」

 再び頭を下げた。

 親永は白髪だが義元より一つ上に過ぎない。固いほどの真面目さが伺えるその声音には梃子でも動かないような頑固さも垣間見える。

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